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日志

日本語(第八冊)^^五

已有 1016 次阅读2008-6-28 11:17 |个人分类:日语学习|

辛苦的看完这一课,发现自己不认识的单词真的很多……  
 

第五課 龍舌蘭

 

一日じめじめと、人の心を腐らせた霧雨もやんだやうで、静かな宵闇の重く湿った空に、何処かの汽笛が長い波線を引く。さっき迄「青葉茂れる桜井の」と繰返して居た隣のオルガンが止むと、間もなく門の鈴が鳴って軒の葉桜の雫が風のないのにばらばらと落ちる。「初雷様だ、あすはお天気だよ」と勝手の方で婆さんが独り言いを云ふ。地の底空の果から聞えて来る様な重々しい響が腹にこたへて、昼間読んだ悲惨な小説や、隣の「青葉しげれる桜井の」やらが、今更に胸をかき乱す。こんな時には何時もするやうに、机の上に肱を突いて、頭をおさへて、何もない壁を見詰めて、あった昔、ない先きの夢幻の影を追ふ。何だか思ひ出さうとしても、思ひ出せぬ事があってうっとりして居ると、雷の音が今度はやや近く聞えて、ふっと思ひ出すと共に、ありあり目の前に浮んだのは、雨に濡れた龍舌蘭の鉢である。

 河野の義さんが生れた歳だから、もう彼是(かれこれ)十四五年の昔になる。自分もまだやっと十か十三位であったらう。来る歳日義勇の初節句の祝をしますから皆さん御出下さるやうにとチョン髷(まげ)の兼作爺が案内に来て、其時に貰った紅白の餅が大きかった事も覚えている。いよいよ其日となって、母上と自分と二人で、車で出掛けた。折柄の雨で車の中は窮屈であった。自分の住まって居る町から一里半余、石ころの田舎道をゆられながらやっと姉さんの宅へ着いた。門の小流の菖蒲も雨にしをれて居る。もう大勢客が来て居て母上は一人々々に懇に一別以来の辞儀をせられる。自分は其後に小さくなって手持無沙汰で居ると、折りよくここの俊ちゃんが出て来て、待ち兼ねて居たと云ふ風で自分を引張って鯉池の鯉を見に行った。姉さん何処には池があって好いと子供心に羨ましく思うて居た。池は一寸した中庭に一杯になって居て、門の小川の水が表から床下をくゞって此池へ通ひ裏だ圃(はた)へぬける様にしてある。大きな鯉、緋鯉(ひごい)が沢山飼ってあって、此頃の五月雨(さみだれ)に増した濁り水に、おとなしく泳いで居ると思ふと折々凄(すさ)まじい音を立ててはね上がる。池の囲りは岩組になって、痩せた巻柏、棕櫚竹抔(ちくなど)が少しあるばかり、そして隅の平たい岩の上に大きな龍舌蘭の鉢が乗って居る。姉さんが此家へ輿(こし)入れになった時、初めてこの鉢を見て珍しい草だと思ったが、今でも故郷の姉を思ふ度には屹度此池の龍舌蘭を思ひ出す。今思ひ出したのは此鉢であった。

 池を距(へだ)てて池の間と名の付いた此小座敷向ひ側は、台所に続く物置の板蔀(いたじとみ)の、其上が一寸しやれた中二階になって居る。

 あの頃の田舎の初節句の祝宴は大抵二日続いたもので、親類縁者は勿論、平素は余り往来せぬ遠縁(とおえん)のいとこ、はとこ迄(まで)、中には随分遠くからはるばる泊りがけで出て来る。それから近村の小作人、出入の職人まで寄り集まって盛んな祝であった。近親の婦人が総出で杯盤の世話をし、酌(しゃく)をする。その上、町から芸者を迎えて興を添へさせるのが例なので、此時も二人来て居た。これも祝のある内は泊まって居るので、池の向ふの中二階は此芸者の化粧部屋にも休憩所にも又寝室にもなって居た。

 夕方近くから夜中過ぎる迄、家中唯眼のまはる程忙しい騒がしい。台所では皿鉢のふれ合ふ音、庖丁の音、料理人や下女等の無作法な話声などで一通り騒がしい上に、猫、犬、それから雨に降り込められて土間へ集まって居る鶏迄が一層の賑やかさを添へる。奥の間、表座敷、玄関とも云はず、一杯の人で、それが一人々々に御辞儀をしては六ヶしい挨拶を交換して居る。

 其混雑の間をくゞり、御辞儀の頭の上を踏み越さぬばかりに杯盤酒肴(しゅこう)を座敷へはこぶ往来も見るからに忙しい。子供等は仲間が大勢出来た嬉しさで威勢よく駈け回る。一体自分は其の頃から陰気な性で、こんな騒ぎが面白くないから、いつもの様に宵の内い加減御馳走を食ってしまふと奥の蔵の間へ行って戸棚から八犬伝(はっけんでん)、三国誌などを引っぱり出し、おなじみの信乃(しの)や道節、孔明や関羽に親しむ。此室は女の衣裳を着更へる処になって居たので、四面にずらりと衣桁(いかう)を並べ、衣紋竹(えもんだけ)を掛けつらねて、派手なやら、地味なやらいろんな着物が、虫干の時の様に並んで居る。白粉(おしろい)臭い、汗臭い変な香が篭(こも)った中で、自分は信乃が浜路(はまじ)の幽霊と語るくだりを読んだ。夜の更けるにつれて、座敷の方は段々賑やかになる。調子を合す三味線(しゃみせん)の音がすると、清らかな女の声で唄ふのが手に取る様に聞える。調子はづれの鄙歌(ひなうた)が一度に起って皿をたたく音もする。一しきり唄が止んだと思ふと、不意に鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)と誰やらがいやな声でわめく。

 信乃が腕を拱(こまね)いてうつむいて居る前に片手を畳につき、片袖をくはへて居る浜路の後に、影の様に現れた幽霊の絵を見て居た時、自分の後の唐紙がするすると開いて、はひって来た人がある。見ると年増の方の芸者であった。自分にはかまはず隅の衣桁に懸って居る着物の袂(たもと)をさぐって何か帯の間へはさんで居たが、不意に自分の方をふり向いて「あちらへいらっしゃいね、坊ちゃん」と云った。そして自分の傍へ膝のふれる程に坐って「オ、いやだ、御化け」と絵をのぞく。髪の油が匂ふ。二人でだまって無心に此絵を見て居たら誰かが「清香さん」とあっちの方で呼ぶ。芸者はだまって立って部屋を出て行った。

 俊ちゃんと二人で奥の間で寝てしまった頃も、座敷の方にまだ宵のさまであった。

 翌(あく)る日も朝から雨であった。昨夜の騒ぎにひきかへて静か過ぎる程静かであった。男は表の座敷、女同士は奥の一間へ集まって、しめやかに話して居る。母上は姉さんと押入から子供の着物など引きちらして何か相談して居る。新聞を拡げた上に居眠りを始めて居る人もある。酒の匂いの籠った重苦しい鬱陶(うっとう)しい空気が家の中に充(み)ちて、誰れも彼れも、とん気抜のした様な風である。台所では折々トン、コトンと魚の骨でも打つらしい単調な響が静かな家中にひゞいて、それが又一種の眠気をさそふ。中二階の方で、つま引の三絃の音がして「夜の雨のしや来るかと」とつやのある低い声で唄ふ。それもぢき止んで五月雨の軒の玉水が亜鉛(トタン?)のとゆに咽(むせ)んで居る。骨を打つ音は思ひ出した様に台所にひゞく。

 昼から俊ちゃんなどと、ぢき隣の新宅へ遊びに行った。内の人は皆姉さんの方へ手伝に行って居るので、唯中気で手足の利かぬ祖父さんと雇婆さんが居るばかり、いつもは賑やかな家もひっそりして、床の間の金太郎や鐘馗(しょうき)も淋しげに見えた。十六もさし、将棋の駒(こま)の当てっこなどして見たが気が乗らぬ。縁側に出て見ると小庭を囲ふ低い土塀を越して一面の青田が見える。雨は煙の様で、遠くもない八幡(はちまん)の森や衣笠山(きぬがさやま)もぼんやりにじんだ墨絵の中に、薄く萌黄(もえぎ)をぼかした稲田には、草取る人の蓑笠(みのかさ)が黄色い点を打って居る。ゆるい調子の、眠さうな草取歌が聞える。歌の詞(ことば)は聞き取れぬが、単調な悲しげな節で消え入るやうに長く引いて、一ふしが終ると、しばらく黙って又ゆるやかに歌ひ出す、此れを聞いて居ると何だか胸をおさへられるやうで急に姉さんの宅へ帰りたくなったから一人で帰った。帰って見るともうそろそろ客が来始めて、例のうるさい御辞儀が始って居る。さっきから頭が重いやうで、気が落付かぬ様で人に話しかけられるのがいやであったから、独りで蔵(くら)の間へ入って八犬伝を見たが、すぐいやになる。鯉でも見ようと思って池の間へ行って見た。縁側の柱へ頭をもたせてぼんやり立つ。水かさのました稲田から流れ込んだ浮草が、ゆるやかに廻りながら、水の面へ雨のしづくが画いては消し、画いては消す小さい紋と一緒に流れて行く。鯉は片隅の岩組の陰に仲良く集ったまゞ静かに鰭(ひれ)を動かして居る。龍舌蘭の厚いとげのある葉が濡れ色に光って立って居る。中二階の池に臨んだ丸窓には、昨夜の清香の淋しい顔が見える。窓の緑に頬杖をついたまゞ、何やら物思はしさうに薄墨色の空の彼方を見つめて居る。こめかみに貼った頭痛膏にかゞる後れ毛を撫でつけながら、自分の方を向いたが、軽くうなづいて片頬で笑った。

 夕方母上は、あんまり内をあけてはと云ふので、姉上の止めるのにかゞはらず帰る事になった。「お前も帰りませうね」と聞かれた時、帰るのが何だか名残り惜しい様な気もして「ウン」と鼻の中で曖昧な返事をする。姉さんが「此児はいゞでせう。ねえ、お前もう一晩泊っておいで」とすゞめる。之れにも「ウン」と鼻で返事する。「泊るのはいゞが姉さんに世話をおかけでないよ」と云っていよいよ一人で帰る支度(したく)をせられる。立場迄迎にやった車が来たので姉さんと門迄送って来た。車が柳の番所の辻(つじ)を曲って見えなくなった時急に心細くなって、一緒に帰ればよかったと思ふ。「さあ御出で」と姉さんは引き立てる様に内へはひる。

 頭の工合がいよいよ悪くなって心細い。母上と一緒に帰ればよかったと心で繰返す。煙る霧雨の田圃道をゆられて行く幌車の後影を追ふ様な気がして、なつかしい我家の門の柳が胸にゆらぐ。騒々(そうぞう)しい、殺風景な酒宴に何の心残りがあって帰りぞこなったのか。帰りたい、今からでも帰りたいと便所の口の緑へ立ったまゞ南天の枝にかゞってゐる紙のてるてる坊さんに祈るやうに思ふ。雨の日の黄昏(たそがれ)は知らぬ間に忍足で軒に迫って早や灯ともし頃の佗しい時刻になる。家の内は段々賑やかになる。はしゃいだ笑声などが頭に響いて佗しさを増すばかりである。

 姉上に、少し心持が悪いからと、云ふにくかったのをやっと云って早く床を取ってもらって寝た。萌黄地に肉色で大きく鶴の丸を染め抜いた更紗蒲団が今も心に残って居る。頭が冴えて眠られさうもない。天井に吊るした金銀色の縄除け玉に写った小さい自分の寝姿を見て居ると、妙に気が遠くなる様で、体が段々落ちて行く様な何とも知れず心細い気がする。母上はもううちへ帰りついて奥の仏壇の前で何かして居られるかと思ふと訳もなく悲しくなる。姉さんのうちが賑やかなのに比べて我家の淋しさが身にしむ。いろんな事を考へて夜着の領(えり)を噛んで居ると、涙が眼じりからこめかみを伝うて枕に染み入る。座敷では「夜の雨」を唄ふのが聞える。池の龍舌蘭が眼に浮ぶと、清香の顔が見えて片頬で笑ふ。

 此夜凄まじい雷が鳴って雨雲を蹴散らした。朝はすっかり晴れて強い日光が青葉を射(い)て居た。早起して顔を洗った自分の頭もせいせいして、勇(いさ)ましい心は公園の球投げ、樋川(ひがわ)の夜振と駈けめぐった。

 義ちやんは立派に大きくなったが、龍舌蘭は今はない。

 雷はやんだ。あすは天気らしい。

 

 

ことばの使い方。

一、「かれこれ」

1)、数量を表す言葉に続いて、だいたいその量に近いこととを表す。「ほぼ」「おおよそ」「約」の意。

○ 二人が線路づたいに歩いていた。そのうちにかれこれ一キロほど来ると、線路の勾配が急になり出した。

○ 元の会社をやめさせられた私は、しかたなく妻子をつれてこの町に来てからかれこれ十年になる。

2)一つのものに決めないでいくつかのものごとに及ぶ様子を表す。「あれやこれや」「なんのかんの」の意。

○ かれこれ(と)言うよりも実際にやってみたらどうですか。

○ 久しぶりの天気だから、部屋の掃除をしたり、ふとんや服を日干しにしたりしていた。かれこれするうちに日曜日がすぎた。

 

二、「手持無沙汰」

名詞。何もすることがなくて、退屈で困ること。

       タバコを吸う人は、タバコがないとお客さんと話すとき手持無沙汰で困ると、よく言う。

       遊びにいらっしゃいと、田舎に住んでいるおばあさんを何回も誘ったが、町では家が狭いし、自分のなすこともないし、手持無沙汰だと、なかなか来ない。

 

三、「泊りがけ」

普通は旅行先で泊る予定で出かけることを表す。

       明日は泊りがけで、みんなで箱根温泉に行くことになっている。

       上海からの蘇州旅行は日帰りでもいいが、無錫なら、泊りがけでないと無理だろう。

 

 

1

雷人

鲜花

鸡蛋

路过

握手

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发表评论 评论 (11 个评论)

回复 qianqianli0912 2008-6-28 22:41
小右: をくゞって  なんだこれ?
そうですね。「ゞ」って、具体的には、よくわからないんですが、ただ、「おなじ」という入力方法だけ知ってるんだ~
回复 echo1001 2008-6-29 20:44
路过。凌晨还在学习?qianqianTX要注意休息啊~~
回复 echo1001 2008-6-29 20:45
不过看到评论时间,4:44,4:52,5:07,My god~~~~
回复 qianqianli0912 2008-6-29 21:39
echo1001: 路过。凌晨还在学习?qianqianTX要注意休息啊~~
ありがとう!でもさぁ~その時間はやっぱ間違ってた…実はね、あの頃は12時頃だったかな~?
回复 qianqianli0912 2008-6-29 22:31
小右: をくゞって  なんだこれ?
右ちゃん~やっとわかったわよぉ!「ゝ」ってこと、「おなじ」という意味ですが、前の字とおなじということで、「々」です!例えば、をくぐって、人々、堂々と…あはは、ついさっき、偶然の発見で~
回复 美丽莲花 2008-6-29 22:55
呵呵。学过的都交给老师了
回复 echo1001 2008-6-29 22:56
qianqianli0912: ありがとう!でもさぁ~その時間はやっぱ間違ってた…実はね、あの頃は12時頃だったかな~?
能否说中文呢?。。。!#@I!U#OI#@

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