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日志

日本語(第八冊)^^六

已有 836 次阅读2008-6-30 23:33 |个人分类:日语学习|

第六課 画の悲しみ

 

画を好かぬ子供は先ず少ないとして其中(そのうち)にも自分は子供の時、何よりも画が好きであった。(と岡本某が語りだした)。

 好きこそ物の上手とやらで、自分も他の学課の中画では同級生の中自分に及ぶものがない。画と数学となら、憚(はばか)りながら誰でも来いなんて、自分も大に得意がって居たのである。しかし得意ということは多少競争を意味する。自分の画の好きなことは全く天性といってもよかろう、自分を独で置けば画ばかり書いて居たものだ。

 独で画を書いて居るといえば至極温順しく聞えるが、其癖自分ほど腕白者は同級生の中にないばかりか、校長が持て余して数々(しばしば)退校を以(も)って嚇したのでも全校第一ということが分る。

 全校第一腕白でも数学でも。しかるに天性好きな画では全校第一の名誉を志村という少年に奪われて居た。この少年は数学は勿論、其他の学力も全校生徒中、第二流以下であるが、画の天才に至っては全く並ぶものがないので、僅かに塁を摩そうかとも言われる者は自分一人、其他は悉(ことごと)く志村の天才を崇(あが)め奉(たてまつ)って居るばかりであった。ところが自分は志村を崇拝しない、今に見ろという意気込で頻りと励げんで居た。

 元来志村は自分よりか歳も兄、級も一年上であったが、自分は学力優等というので自分の居る級と志村の居る級とを同時にやるべく校長から特別の処置をせられるので自然志村は自分の競争者となって居た。

 然るに全校の人気、校長教員を始め何百の生徒の人気は、温順しい志村に傾(かたむ)いて居る、志村は色の白い柔和な、女にして見たいような少年、自分は美少年ではあったが、乱暴な傲慢な、喧嘩好きの少年、おまけに何時も級の一番を占めて居て、試験の時は必ず最優等の成績を得る処から教員は自分の高慢が癪(しゃく)に触り、生徒は自分の圧制が癪に触り、自分にはどうしても人気が薄い。そこで衆人の心持は、せめて画でなりと志村を第一として、岡本の鼻柱を挫(くじ)いてやれという積であった。自分はよく此消息を解して居た。そして心中ひそかに不平でならぬのは志村の画必ずしも能(よ)く出来て居ない時でも校長をはじめ衆人がこれを激賞し、自分の画は確かに上出来であっても、さまで賞(ほ)めて呉(く)れ手のないことである。少年ながらも自分は人気というものを悪(にく)んで居た。

 或る日学校で生徒の製作物の展覧会が開かれた。其作品は重に習字、図画、女子は仕立物等で、生徒の父兄姉妹は朝からぞろぞろと押かける。取りどりの評判。製作物を出して生徒は気が気でない、皆なそわそわして展覧室を出たり入ったりして居る。自分も此展覧会に出品する積りで画紙一枚に大きく馬の頭を書いた。馬の顔を斜めに見た処で、無論少年の手には余る画題であるのを、自分は此一挙に由(よっ)て是非志村に打勝とうという意気込だから一生懸命、学校から宅に帰ると一室に籠って書く、手本を本にして生意気にも実物の写生を試み、幸い自分の宅から一丁ばかり離れた桑園(くわばたけ)の中に借馬屋があるので、幾度となく其処の厩(うまや)に通った。輪廓といい、陰影と言い、運筆といい、自分は確にこれまで自分の書いたものは勿論、志村が書いたものの中でこれに比ぶべき出来はないと自信して、これならば必ず志村に勝つ、いかに不公平な教員や生徒でも、今度こそ自分の実力に圧倒さるるだろうと、大勝利を予期して出品した。

 出品の製作は皆な自宅で書くのだから、何人も誰が何を書くのか知らない、又、互に秘密にして居た殊に志村と自分は互の画題を最も秘密にして知らさないようにして居た。であるから自分は馬を書きながらも志村は何を書いて居るかという問を常に懐(いだ)いて居たのである。

 さて展覧会の当日、恐らく全校数百の生徒中尤も胸を轟かして、展覧室に入った者は自分であろう。図書室は既に生徒及び生徒の父兄姉妹で充満(いっぱい)になって居る。そして二枚の大画(今日の所謂(いわゆる)大作)が並べて掲げてある前は最も見物人が集(たか)って居る。二枚の大画は言わずとも志村の作と自分の作。

 一見自分は先ず荒胆(あらぎも)を抜かれてしまった。志村の画題はコロンブスの肖像ならんとは!しかもチョークで書いてある。元来学校では鉛筆画ばかりで、チョーク画は教えない。自分もチョークで画くなど思いもつかんことであるから、画の善悪(よしあし)は兎も角先ず此一事で自分は驚いてしまった。その上ならず、馬の頭と髭髯面(しぜんめん)を被う党々たるコロンブスの肖像とは、一見まるで比べ者にならんのである。且つ鉛筆の色はどんなに巧みに書いても到底チョークの色には及ばない。画題といい色彩といい、自分のは要するに少年が書いた画、志村のは本物である。技術の巧拙は問う処でない、掲げて以て衆人の展覧に供すべき製作としては、いかに我慢強い自分も自分の方がよいとは言えなかった。さなきだに志村崇拝の連中は、これを見て歓呼して居る。「馬もよいがコロンブスは如何だ!」などいう声が彼処(あっち)でも此処(こっち)でもする。

 自分は学校の門を走り出た。そして家には帰らず、直ぐ田甫(だんぼ)へ出た。止めようと思うても涙が止まらない。口惜しいやら情けないやら、前後夢中で川の岸まで走って、川原の草の中に打っ倒れてしまった。

 足をばたばたやって大声を上げて泣いて、それで飽き足らず起上って其処らの石を拾い、四方八方に投げ付けて居た。

 こう暴れて居るうちにも自分は、彼奴(きゃつ)何時の間にチョーク画を習ったろう、何人(だれ)が彼奴に教えたろうと其ればかり思い続けた。

 泣いたのと暴れたので幾らか胸がすくと共に、次第に疲れて来たので、いつか其処に臥(ね)てしまい、自分は蒼々たる大空を見上げて居ると、川瀬の音が淙々として聞える。若草を薙(な)いで来る風が、得ならぬ春の香を送って面を掠める。いい心持になって、自分は暫くじっとして居たが、突然、そうだ自分もチョークで画いて見よう、そうだという一念に打たれたので、其の儘飛び起き急いで宅に帰り、父の許を得て、直ぐチョークを買い整え画板を引提げ直ぐ又外に飛び出した。

 この時まで自分はチョークを持ったことが無い。どういう風に書くものやら全然不案内であったがチョークで書いた画を見たことは度々あり、ただこれまで自分で書かないのは到底未だ自分どもの力に及ばぬものとあきらめて居たからなので、志村があの位い書けるなら自分も幾らか出来るだろうと思ったのである。

 再び先の川辺(かわばた)へ出た。そして先ず自分の思いついた画題は水車、この水車は其以前鉛筆で書いたことがあるので、チョークの手始めに今一度これを写生してやろうと、堤(つつみ)を辿って上流の方へと、足を向けた。

 水車は川向にあって其古めかしい処、木立の繁みに半ば被われて居る按排、蔦葛(つたかずら)が這い纏うて居る具合、少年心にも面白い画題と心得て居たのである。これを対岸から写すので、じぶんは堤を下りて川原の草原に出ると、今まで川柳の蔭で見えなかったが、一人の少年が草の中に坐って頻りに水車を写生して居るのを見つけた。自分と少年とは四五十間隔たって居たが自分は一見して志村であることを知った。彼は一心になって居るので自分の近づいたのに気もつかぬらしかった。

 おやおや、彼奴が来て居る、どうして彼奴は自分の先へ先へと廻るだろう。忌ま忌ましい奴だと大に癪に触ったが、さりとて引き返すのは猶お厭だし、如何して呉れようと、其儘突っ立って志村の方を見て居た。

 彼は熱心に書いて居る。草の上に腰から上が出て、其立てた膝に画板が寄り掛けてある。そして川柳の影が後から彼の全身を被い、ただ其白い顔の辺りから肩先へかけて楊(やなぎ)を洩れた薄い光が穏かに落ちて居る。これは面白い、彼奴を写してやろうと、自分は其の儘其処に腰を下して、志村其人の写生に取りかかった。それでも感心なことには、画板に向うと最早志村もいまいましい奴など思う心は消えて書く方に全く心を奪われてしまった。

 彼は頭を上げては水車を見、又画板に向う。そして折々左も愉快らしい微笑を頬に浮かべて居た。彼が微笑する毎に、自分も我知らず微笑せざるを得なかった。

 そうする中に、志村は突然起ち上がって、其拍子に自分の方を向いた。そして思わず笑った。

 「君は何を書いて居るのだ」と聞くから、

 「君を写生して居たのだ。」

 「僕は最早水車を書いてしまったよ。」

 「そうか、僕は末だ出来ないのだ。」

 「そうか、」と言って志村は其の儘再び腰を下し、もとの姿勢になって、

 「書き給(たま)え、僕は其の間にこれを直すから。」

 自分は画き初めたが、画いて居るうち、彼を忌ま忌ましいと思った心は全く消えてしまい、却て彼が可愛くなって来た。其のうちに画き終わったので、

 「出来た、出来た!」と叫ぶと、志村は自分の傍に来り、

 「おや君はチョーク書いたね。」

 「初めてだから全然画にならん、君はチョーク画を誰に習った。」

 「そら先達(せんだって)東京から帰って来た奥野さんに習った。然し未だ習いたてだから何にも書けない。」

 「コロンブスはよく出来て居たね、僕は驚いちゃった。」

 それから二人は連立って学校へ行った。此以後自分と志村は全く仲が善くなり、自分は心から志村の天才に服し、志村もまた元来が温順しい少年であるから、自分を又無き朋友として親しんで呉れた。二人で画板を携(たずさ)え野山を写生して歩いたことも幾度か知れない。

 間もなく自分も志村も中学校に入ることとなり、故郷の村落を離れて、県の中央なる某町に寄留することとなった。中学に入っても二人は画を書くことを何よりの楽にして、以前と同じく相伴うて写生に出掛けて居た。

 此(なにがし)町から我村落まで七里、若し車道をゆけば十三里の大迂廻(おおまわり)になるので我々は中学校の寄宿舎から村落に帰る時、決して車に乗らず、夏と冬の定期休業毎に必ず、此七里の途を草鞋(わらじ)がけで歩いたものである。

 七里の途はただ山ばかり、坂あり、谷あり、渓流あり、淵(ふち)あり、滝(たき)あり、村落あり、児童あり、林あり、森あり、寄宿舎の門を朝早く出て日の暮に家に着くまでの間、自分は此等の形、色、光、趣きを如何いう風に画いたら、自分の心を夢のように鎖(とざ)して居る謎を解くことが出来るかと、それのみに心を奪われて歩いた。志村同じ心、後になり先になり、二人で歩いて居ると、時々は路傍に腰を下ろして鉛筆の写生を試み、彼が起たずば我も起たず、我筆をやめずんば彼も止めないと言う風で、思わず時が経ち、驚いて二人とも、次の一里を駈足で飛んだこともあった。

 爾来(じらい)数年、志村は故ありて中学校を退(しりぞ)いて村落に帰り、自分は国を去って東京に遊学することとなり、いつしか二人の間には音信もなくなって、忽ち又四五年経ってしまった。東京に出てから、自分は画を思いつつも画を自ら書かなくなり、ただ都会の大家の名作を見て、僅に自分の画心を満足さして居たのである。

 処が自分の二十の時であった、久しぶりで故郷の村落に帰った。宅の物置に曾(かつ)て自分が持あるいた画板が有ったのを見つけ、同時に志村のことを思いだしたので、早速人に聞いて見ると、驚くまいことか、彼は十七の歳病死したとのことである。

 自分は久しぶりで画板と鉛筆を提げて家を出た。故郷の風景は旧の通りである。然し自分は最早以前の少年ではない、自分はただ幾歳かの年を増したばかりでなく、幸か不幸か、人生の問題になやまされ、生死の問題に深入りし、等しく自然に対しても以前の心とは全く趣を変えて居たのである。言い難き暗愁は暫時も自分を安めない。

 時は夏の最中(もなか)自分はただ画板を提げたというばかり、何を書いて見る気にもならん、独はりぶらぶらと野末に出た。曾て志村と共に能く写生に出た野末に。

 闇にも歓びあり、光にも悲しみあり、麦藁帽の廂(ひさし)を傾けて、彼方(かなた)の丘、此方の林を望めば、まじまじと照る日に輝いて眩きばかりの景色。自分は思わず泣いた。

 

 

ことばの使い方

 

一、「癪」

1)形容動詞。不愉快で腹がたってむかむかすること。

○ 兄さんは結婚したら、母さんに対して何かにつけ冷淡だった。父さんにはそれが癪だった。

○ あんな人が推薦されるなんて癪だわ。

○ 見るもの聞くもの癪の種であり、われわれはいじめられるための存在のように思えた。

 

2)「癪に触る」という形で使い、腹がたってむかむかすることを表す。「かんしゃくに触る」とも言う。

○ 物忘れをしたり、呼んでも返事が遅かったりしたため、私は母の癪にさわったことが度々あった。

○ 子供のことだから癪にさわってもどうにもならないと思って、辛抱づよく道理を説いてきかせた。

 

二、「気が気でない」

何か悲しいことや苦しいこと、不安などのため気になって落ちついていられないさまを表す。

       彼が悲しみに沈んでいるので、家じゅうのものは気が気でないのである。

       診察の結果、彼の脳後部の視神経のあたりに腫瘍が出来たらしい。みんなは気が気でなく、ひどく心配していた。

 

三、「手に余る」

物事が自分の能力以上であってその処理ができない。自分の力に及ばない。「手に合わない」「手に負えない」とも言う。

       私はそれは今の自分の手には余る研究テーマだから、はっきりとことわった。

       日本語からの翻訳ならいつでもひき受けますが、フランス語は私の手に余るものです。

 

四、「胆を抜かれる」

慣用句であり、非常にびっくりさせられることである。「胆を取られる」とも言う。「荒胆」は「胆」を強く言う場合の表現。

       さすがの彼もこの不意うちには胆を抜かれたものと見えて、しばらくはぼうぜんとしていた。

       点火後十五秒しかたたないうちに宇宙船がこっぱみじんに爆発し現場にいた人々はだれ一人荒胆を抜かれないものはなかった。

 

五、「胸がすく」

誤解・不信・不満などがあって気分が晴れ晴れしない気持がなくなってすっとする意を表す慣用句。

       色よく黄ばんだ稲が風に波打っている光景は、気のせいか殊にすがすがしく、胸のすくような眺めである。

       子供の頃は不愉快があってもやさしい姉さんの所へ行くと胸がすくようになったものだ。

 

六、「さりとて……ない」

「さりとて」は接続詞。下に打消しの言葉と伴って使う。「そうであるからといって……ない」という意味を表す。「さりとて」は文語的な言葉。

       たしかにそれは面倒臭い仕事だが、さりとてやめるわけにも行かない。

       余り遠くでない、さりとて近くでもないどこかで、ぶんぶん昆虫の羽のような音がしている。

 

 

2

雷人

鲜花

鸡蛋

路过

握手

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发表评论 评论 (1 个评论)

回复 echo1001 2008-7-2 00:29
学习中~~

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