11日昼過ぎ、大事なお客を見送ったのは、中国時間午後1時40分、席に戻って、携帯で日本からのこれまた大事なビジネスからみのショットメールが入ったのを確認し、受信時間は13時29分。これまでと変わらない日常であった。
状況が一変したのはその15分後の2時手前だ。上海の友人から携帯に連絡が入った、東京が7.9の地震が起きた、家族大丈夫か、と。
「またそんな冗談を言って・・・」と笑って切り返したら、すごい剣幕で怒鳴られた、思わず携帯をそむけた。慌ててインターネットを覗き込んだら、三陸沖と茨城沖だと分かり、安心したのと同時に、折り返し電話でお詫びとご報告をした。ニ
すぐにでも東京に電話をしたいが、経験からもう繋がらないだろうと考え、夜にすることにした。駐在の日本人に電話をし、状況を伝え聞きした。そちらの専用回線で日本に連絡が取れるからだ。東京はニュース報道通りの状況なので、一層安心した。
が、それからというものの、携帯がひっきりなしに鳴り始めた。知っている殆どの知り合いからの電話だ。そのたびに「谢谢,没事!」の応答とお礼でした。最初は余裕だったが、答えているうちに不安になり始めた、自分はまだ家族に本当に連絡を取れていないからだよ。そのうち、居ても立っても居られなくなり、迷惑かけたと分かっても取りあえず家に電話をしてみた、案の定、繋がらない、増幅する不安を抑えつつ、6時になってようやく娘に連絡を取れた。
ほっとした。
最後の試験を終え、昼過ぎに家に戻り、ちょうど遅いお昼を二人で食べていたどころ、家中がゆれ始めた、いつものことだから気にしていなかったが、ゆれが一向に収まらない、天井つるしの照明がブランコのように縁を天井に当てそうに揺れているを見て、怖さを覚え始めたと息子が言う。
その晩、お母さんが帰ってこれなかった家での姉弟二人でした。
それから今日で6日目に入った。ニュースは地震から津波、そして今は原発と移る。
絶対的な自信が少しずつ削がれて行く、直後に全世界で絶賛される日本人の民度の高さが政府や一企業のふがいなさに空しく見えてしまう。それでもあまり文句を聞かれないのはやはり日本人は従順すぎるなのかな?
今まで風評だと決め込んだマイナス情報がこの遥々離れた中国で風評のままで終わってくれることを祈ってやまない。
斉藤孝の国語を勉強している息子と、ポケモンに浸かる娘の自宅待機はもうすぐ一週間になろうとしている。。。