最近文学史を繰り返して読み始めた。前とは別の本だけど。いろいろと有名人たちのエピソードを書いている。日本人の学者たちはみんな勉強家と、前には心当たりにそう印象付けていたが、此度顧みると、やはりそうでもないような気がする。確かに、ものしりやも何人かいったけど、普通で地味な人も何人かいる。ただし、歴史上位置を占めた人は、つまるところある特質が共有される、何かというと、それは根性強いことイコール一筋何かの信念と貫くことである。
漱石と鴎外は並みならぬ文学史上の巨峰で、二人は本物の偉い人だけど、他に変な奴もいる。たとえば、石川啄木、天才と自称したけど、高校時代に二度もカンニングして、しかも、最終試験までカンニング、とうとう退学の羽目に落ちいた。原因は女との恋愛問題。まあ、ここまではおかしいことではなかった、が、啄木の結婚写真を見ると唖然するほど驚いた、なんでそんな醜い女のため落第?天才とはやはり自己満足か。ちなみに、26歳で肺結核で早死に。「天才」はみんな不幸なものか。
文学作品を読み始めたころ、宮沢賢治の童話を読んだ。「注文の多い料理店」とか、「銀河鉄道の夜」とか、彼の特に名高い詩作「雨にも負けず」をも読んで、感動した。ずっとすごい人だなあと思って、事実上違った。彼は仏教徒で、童話によって伝教が目的だった。詩作も詩集「春と修羅」と、死ぬ前に手帳に残した「雨にも負けず」しかなかった。童話も少なかった。でもなんで彼がそんなに有名?原因は?それが私の好奇心をそそる。あえて言うと、彼は一人の農民作家としての文学を作ろうとしていた。自分の腕の力量をわきまえない勇ましさこそがたっとぶべしところであろう。
ほかに、自分の世界に閉じこもる人もいる。たとえば、中島敦、まあ、彼自身は多病の身で、あまり外へ出ないことも多少の原因になるかもしれないが、彼の有名の作品はほとんど生前に発表していなかった。「李陵」や「悟浄出世」とか、全部死後発表した点で、少しおかしく見える。