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「桜の木の下には死体が埋まっている」とは良く言ったもんだ。 なんとも異常な美しさなんだよね。私も本当にそう思う。 桜は特別な植物で、他のそれとは決定的に何かが違っている気がする。 私は今年も満開の桜の下を歩いた。 すごくすごく綺麗すぎると、無気味さや悲しさや、儚さまでを感じてしまうことがあるんだ。 坂口安吾もそういのを感じて、あんな文章書いちゃったんでしょうきっと。 だけどそれに似た感覚って他にもある。 「幸せすぎて怖い」とか「美人薄命」とかもその手の感覚から来た表現なのではないかしら。 美しすぎるものは、同時にまったく相反するはずのものさえ含んでいる(ような気にさせる)んだ。 「実際はどうか」なんてここでは無意味で、ただ「そんな気」が人の心に居座ってしまうだけ。 桜には確かにそんな気にさせる力があると思う。あの花の咲かせ方の迫力には圧倒される。 それにどこかで聞いた話だけど、花って自分の命がどのくらいか知ってるんだって。 花によっては最期にボタッと落ちて終わる花もあるけど、そこらへんが桜の大物なところ。 桜は最期のときも、儚く、美しく、派手に、印象的に終わらせる。なぜ桜はそうなんだろう。 一体何の力を持っているというのだろう。うまく説明できないけど、あれは絶対に特別な植物だ。 |
私はよく早死にするかもしれないな、と思う。美人ではないけど、運がいいから。 今、とても運が良くて、いろいろ幸せに生きているから。 こんなに人生序盤の早い時期から運がいいと、もうそろそろ使い果たしてしまいそうな気がする。 だからそれでもいいように生きていかなくちゃ。 誰だってそうだけど、いつ死んだって少しも不思議じゃない。 生きてることのほうが不思議と言ってもいいほど。だって、自分という人間が存在するにあたって、 一体どれだけ多くの偶然が重なったと思う?その確率より、明日死ぬ確率のほうがきっと高いはず。 だからそう考えたら、命を削って歌ったり芝居したりしなきゃって思った。 結果がださくても、それが今の精一杯なら仕方ない。何よりも今咲いていられる時間が大事で、 それ以外何も必要じゃないんだから。 桜がそんなつもりで咲いているかどうかは別として、あの生き方はかっこいい。 花が咲かない季節や死に方も含めて。うらやましいと思う。 いつも春がくるたびに、私にとっては特別な存在になる。生きてる価値を忘れたころに咲く花。 と、さもセンチメンタルな風情を漂わせても、結局これも桜が「そんな気」にさせているだけなのでしょう。 |
それはそうと、もし私が今急に死んじゃったらどうしようと本気で考えた。 つまり葬式とかそういったこと。まず菊は嫌だな、チューリップにしてほしい。 音楽はビートルズにしてね。あと問題なのは骨だ。 いくら親が私のために新しいお墓を買ってくれたとしても、 そこにひとりで入って誰かがくるまで待ってるなんて寂しいから、 それよりもこっそり海とかに捨ててほしい。それとも本当に桜の下に埋めてもらおうかしら。 おばけになって出たりはしないから。とにかくお墓は嫌。 だったら私の大好きな人に食べてもらって、その人のカルシウムになりたいわ。 *maaya* |
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