おじさんの中学生のときはどうだったろう。
いたずら好きのAと仲良しだったときがある。野球のうまいBや、頭のいいCや、家が貧しいけれどマジメなDと仲良しだったときもある。でも、クラスが変わるたびに友だちが変わっていき、1中学の三年間を通じて一人の友達と深く付き合うことはなかった。Dとは夏休みにいっしょにアルバイトをやったりして「親友」みたいだったのに、いつの間にか付き合わなくなっている。
2これはだれでもそうじゃないかと思うんだ。友達は変わってゆく。その場かぎりのつきあいといえば言えなくはないけど、自分の求めているものが変わってゆくから、3相手を自然に変えてゆくのだと思う。
おじさんの場合、いたずら好きのAと仲良しだったときは、おじさんもいたずらがしたかった。いたずらをして気持ちがスカッとすることを求めていた。でもいたずらではほんとうに気持ちがスカッとしないことにやがて気づいて、Aとつきあわなくなった。BやCやDについても、そのときどきにおじさんが求めていたものを、彼らがあたえてくれたんだね。意識したわけじゃないけど、そのときの自分の益になる相手を求めて、付き合う相手がおのずと変わっていったのだと思う。だからといって、4こうした相手を「友達」と呼べないかというと、そうではないんだね。
利己的のようだけれど、「友達」というのは自分に「益」になる相手のことなんだ。その相手とつきあうことで自分が「得」をする。しかし、その「益」なり「得」なりの中身が問題なんだね。(中略)
たった一度しか会わなくても、その影響が人生にすばらしく作用すれば、5これは立派な「友達」だ。実際には会わなくたって、たとえばその人のことをテレビで観たり本で読んだりしただけで、素晴らしい影響を受けたら、これは「友達」なんだね。
もっとも実際に会わなければ、厳密には「友達」とはいえないけれど、生きるうえで心に影響を受ける相手とはそう何人も出会えるものではないことも、おじさんの経験からいえる。
しかし、6君自身がそれを求める心構えでいなかったら、中学生のときはおろか、一生「友達」には出会えないだろう。
問1①「中学の三年間を通じて一人の友達と深く付き合うことはなかった」とあるが、それはなぜか。
1野球がきらいだったから
2夏休みにアルバイトをしたから
3よくけんかをしたから
4求めるものが変わったから
問2②「これ」は何を指しているか。
1夏休みにアルバイトをすること
2いたずら好きなこと
3友達が変わること
4友達が多いこと
問3だれが③「相手を自然に変えてゆく」のか。
1だれか
2だれでも
3友達
4親友
問4④「こうした相手」とは、この場合どんな相手のことか。
1いつも自分の利益になる相手
2中学時代自分の利益になる相手
3そのときどきに自分の利益になる相手
4大人になってからも自分の利益になる相手
問5⑤「これは立派な『友達』だ」とあるが、この場合どんな意味か。
1友達になったほうがよい
2友達といってよい
3友達といってはいけない
4友達にならなくてもよい
問6⑥「君」とはだれのことと考えられるか。
1中学生たち
2中学生の親たち
3筆者の昔の友達
4おじさんの友達だったA
問7この文章に出てくる「おじさん」とはだれのことか。
1筆者自身
2筆者のおじ
3中年の男性
4友達のおじ
問8結論として筆者はどんな「友達」を求めるべきと言っているか。
1その場限りの友達
2長く付き合っていける友達
3経済的に助けてくれる友達
4人生に影響を与えてくれる友達
正解
問1-4 問2-3 問3-2 問4-3
問5-2 問6-1 問7-1 問8-4