5.助詞2
外国人学習者は「私は○○です」「これはいくらですか」「私はあした東京へ行きます」のような文の段階では、事実上、「は」しか習っていないわけですから、「は」と「が」の混乱はありません。学習者は頭の中で、「は」は主語であり、主題であると理解しているようです。
そして、存在文の「・・に・・があります(例:教室にテレビがあります)」と「・・は・・にあります(例:テレビは教室にあります)」あたりで、学習者は「は」と「が」はどう違うのだと、疑問を持ち始めます。そして、「は」と「が」の混乱が始まります。
「は」と「が」の違いを説明するとき、決して「雪が降る」「雪は降る」のようなよく似た2文を比べてはいけません。
実は、存在文は混乱しやすいのですが、一方で、「は」と「が」の違いを端的に表している文だとも言えます。
私は普通、次のように導入します。
まず、机の上に本かボールペンか、何かを置いて、学習者に机の上を見るように指示します。机の上を見て何かがあるという、単なる描写(叙述・報告・発見)の文が、
「机の上に本があります」(「・・に・・があります」)
となります。ここでは「が」は単なる主語を表す助詞です。
次に、本に注目させて、机の下に置いたり、いすの上に置いたりして、学習者に質問します。
「本はどこにありますか」
そして、その答え(「本はいすの上にあります」)から、「・・は・・にあります」文を導入します。ここでは、「本」はすでに話し手と聞き手の話題になっているものですから、「は」は主題topicとしての役割を担っているのです。
しかしながら、上記のような導入で、学習者に「は」と「が」がわかったかというと、全くそうではありません。私の経験では、次の日には多くの学習者が混乱していて、「本はどこにありますか」という私の質問に対して、「いすの上に本があります」と答えたりします。
「は」は話し手の気持ちを表す取り立て助詞(とりたて詞、係助詞、副助詞という研究者もいます)、「が」は動詞との関係を示す格助詞で、両者はかなり性質の違うものです。しかし、「は」が話し手の気持ち(ムード・モダリティ)に関わるものなので、習得が難しくなると考えられます。
「は」と「が」の基本的な違いを、大雑把過ぎるとの批判は覚悟の上で書いてみます。
「は」
・取り立て助詞(話し手の気持ちを表す助詞)
・ 主題、および、対比を表す。
(主題:私は○○です。対比:東京へ私は行きません。)
・ 「が」「を」の代わりができる。
(私が肉を食べない。→私は肉は食べない。)
「に」の一部、「で」「へ」「から」「まで」などの他の格助詞は「は」に
取って代わられることはない。(例:「メキシコでは」「日本からは」など)
・ 大きくかかる。
(これは私が買ったバッグです。
(新宿は大きな町だ。夜11時でも人が込んでいる。(ピリオド越え))
「が」
・ 格助詞である。
・ 主語を表す。
・ 対象も表す。(私は君が好きだ。)
・ 疑問詞が主語のときは「が」をとる。(どれがいいですか。)
・ 選択を表す。(山田さん/あなた/わたしが行きます。)
・ 従属節の主語は「が」をとる。
(あなたが行くなら、私も行く。
・ 小さくかかる。
(これは私が買ったバッグです。
1. 説明を読んでも、いつ「は」を使い、いつ「が」を使うのか、使い分けが わからない。
2. トピック(主題)とは何か。
3. 一文には必ずトピックが必要なのか。
4. 何をどう主題化すればいいかがわからない。
5. 「教室にはテレビはありません」のように、一文に「は」が複数現れるのはなぜか。トピックが、それについて話されるものであるなら、一文にひとつあるだけでいいのではないか。
6. 否定文ではいつも「は」を使うのか。
7. バスがバス停に近づいてくるのを見て、「バスが来た。」と報告(新情報)として「が」が使われるが、もし、バスが来る前に、「バスの来るのが遅い」など、バスについて話がされていれば、バスは旧情報となって、「バスは来た。」となるのではないか。
8.「日本では」「さっきは」のように、「は」は格助詞のうしろや副詞にも付く。副詞句や副詞が主題になりうるのか。
9.作文するとき、入り組んだ文(主語・述語が複数ある文)では、どこに「は」を使い、どこに「が」を使えばいいか混乱してしまう。
以上のような質問について、皆さんはどう思われますか。
「は」と「が」については、問題が大きいので、これらの学習者の疑問に答えながら、次回にもう一度取り上げたいと思います。
(詳しくは『日本語教育』70号「取り立て助詞「ハ」導入のための一試案―イラストと漫画で「ハ」を教える―(市川・本間)」をご覧ください。)