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これから人文系大学院へ進む人のために

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发表于 2007-9-13 10:03:57 | 显示全部楼层 |阅读模式
这是一个日本大学院的失败者写的经验教训总结。虽然这是日本人写的,但应该也能对准备去日本读文科大学院的朋友有一定的参考借鉴作用。以下内容摘录自http://www5a.biglobe.ne.jp/~teorema/index.html

2. 私の大学院体験:総括と評価
2-1 失敗の原因
私の大学院経験の総決算を試みましょう。まず失敗の原因は以下のようにまとめられると思います。

1) 大学院における指導教官の持つ役割の重大性を全く認識していなかった。
今から思えば無知もいいところだったのですが、学部生のころは指導教官の持つ役割の重大性を全く認識していませんでした。これを読んでいる学部生の方の中には私のような愚か者はほとんどいないでしょうが、なんといっても真っ先にこのことを心得ておく必要があります。

2-1-1 指導教官の持つ役割
大学院での「成功、不成功」を決定する要素はただ一つしかありません。それは「良い」指導教官につけるか否かということです。なぜ「良い先生につくこと」が重要なのか、繰り返しになりますがもう一度述べましょう。第一に学問的な側面から述べますと、学生は、論文書き、発表いずれの場合においても、主題の選定、参考文献の選択、構成、最後には表題の決定まで細々と指導教官から指導してもらわねばなりません。このような側面は誰にも理解されるでしょうが、まだ大学院経験の無い学生の方には見えにくい指導として、一段高い所から見た論点の相互関連を教えてもらったり(こういうものは本には書いてないうえに理解するのに特に年季が必要で、自分一人でいくら勉強してもなかなか理解には到らないものなのです)学会の現在の状況を教えてもらったり(これを押さえてない論文は多くの人に対していかにも素人臭い浮いた感じの論文であるという印象を与えます)といった指導が挙げられます。

しかし本音を語るなら、決定的に重要なのは、様々な、いわゆる「プッシュ」です。まず認識すべきなのは、奨学生、非常勤、常勤講師への採用などに際して、推薦状を書くことなどの「各種推薦行為」は、ほとんどの場合それらに決定的な役割を果たすと言うことです。極端な話、指導教官からの電話が一本あるかないかで決定してしまうことすらあります。このように大学院におけるある学生の処遇は、すべてが上の人の一存や上の人同士の間の話し合いで決まります。指導者の何の手助けもなしに奨学金を受け取り、就職するのは絶対に不可能です。同時にこれらを認識するなら、指導教官が何の「各種推薦行為」もしないことがどのような意味を持つのかは明らかでしょう。指導教官に嫌われた場合や、そのような推薦行為を全く放棄している、ないしそれにひどく不熱心な教官に師事してしまった場合にどうなるか想像して下さい。もし何もしてくれない指導者についてしまったなら全く何も起こりません。つまりいつまでも学者として成長せず、職もありません。大学院ではポスト、奨学金等すべてが上(の人)から落ちてくるものです。それはちょうど天の恵みと同じで、自分の上に雨を降らせるつもりのない神様の下に居たら干涸びてしまいます。だからといって下界の人間が泣こうが騒ごうがそれで雨が降ることはありません。それでは困る人は自分の上にたくさん雨を降らせてくれる神様の居る所に移って行くしかありません。

ついでに認識しておいて欲しいことは、これらの「各種推薦行為」は指導教官の義務ではまったくないという点です。これはちょうど一般人にとっての「慈善活動」が、やらなかったといっても非難されるようなことではないのと同じです。しかし慈善活動と違うのは、上に述べたとおりその行為がそれらの決定の際に決定的な役割を果たす場合が多いと言うことです。そのような重大な行為が、大学内では「慈善」程度にしか考えられていないことは覚えておくべきです。

付け加えておきますと、このような「慈善に消極的」な教官が、実はかなり多いことを知っておいて下さい。

2) 「授業」や「演習」があり、「教官」と「学生」がおり、「授業料」を納めていたせいで、どのような大学院も(したがってX大学も)教育機関として一定の機能を果たしているという幻想を抱いてしまった。
大学院における「教育」と言うものについて、学部生の方は大きな思い違いをしがちです。それが幻想であることに気付いて下さい。

2-1-2 教育機関としての大学院
大学院に在籍し、さまざまな状況を経験する中で、私が大学院における教育に対して抱いていた思いの多くは幻想だったことが分かりました。ここではそれについて述べてみましょう。

大学院体験記の中で、様々な教授の行った授業や演習に対して、私はそれは教育として極めて不適切であったと批判しました。また教授が様々な関心を持つことは、教授自身にとっては望ましいことでも、学生にとっては必ずしも望ましくないこと、そしてそれを認識していないことに対して、指導者として無責任であると批判しました。このような批判に対して常に持ち出される反論は、「勉強は自分でするものだ」と言うものです。事実本を読んだりものを考えるのは自分自身で努力するほかにありません。また教授が手取り足取り学生にものを教えてくれることを期待するのは確かに誤っています。がしかし、だからといって初心者にいきなり専門性の高い授業をしたり、質問に答えない演習をしたりすることが許されるはずがありません。多くの場合このような言い方は教官の怠慢や無能の言い訳にされているに過ぎないように思われてなりません。

この点に関して是非指摘しておきたいことがあります。それは、一体大学院は教育機関なのか、選抜機関なのかという点です。自動車教習所とマイナーリーグはこれらの両極端にあります。自動車教習所は入所するもの全員を一定水準に到達させることを目的とします。従って能力の劣るものにより多くの指導をなすべきで、能力の秀でたものは放っておいても良いことになります。一方マイナーリーグは有能なものを選抜・育成することが目的です。従って能力の秀でたものにより多くの指導がなされるべきであり、能力の劣るものは放っておいても良いことになります。もちろんこれらは両極端であって、大学院はそのいずれの側面をも持ち合わせていると考えるべきでしょう。それを踏まえた上で是非次の点を指摘したいと思います。それは、一般に教育に関して無関心なすべての教官は大学院をマイナーリーグのように考えているという点です。彼らは大学院での指導教官は何の指導もせず、何の手本も示さず、学生にケチをつけるだけであるのが正しい態度だと思っています。なぜなら、彼らによると大学院ではそのような中でも頭角を現すもののみをが生き残れば良いからです。彼らはこのような発想を大学院を選抜機関と見なすことで正当化しようとしています。しかしはっきり指摘しておきたいのですが、彼らはそれが自分たちにとって楽だからそうしているのです。

もう一つ是非言っておかねばならない点は、彼らは学生が「授業料」を払っていることに何の考慮もしていないという点です。そんなことを言ったなら「君は学問を商売のレベルで見る俗物だね」と言われるに違いありません。しかしそういう教官に次のことをはっきり言っておきます。もし学生が「お布施」とか「学力査定手数料」とか「学位授与手数料」という名目のお金を大学に払っているのなら特に問題はないと思います。しかし、専門の大学院生にしか分からない授業を聞かされたり質問にも答えてもらえないのに「授業料」だけ取られたなら、それは一般社会では「詐欺」と呼ばれる犯罪行為です。

3) 大学教授とはどのような人種なのかという点については、体験して見てはじめて分かったことがほとんどです。学部生の方からは見えにくい部分でしょう。大学院で成功するためにはまず大学教授を知ることです。

2-1-3 大学教授というもの
学部生のころ、私は大学の先生は偉い人で、多少変人であっても基本的にはきちんとした人たちだろうと考えていました。まずもってこの段階から私の失敗はもう始まっていたと言えます。大学教授とはどのような人種であるかを熟知することは、大学院における「成功」への鍵となります。

まず、大学教授の特性を一言で言い表すなら、それは「徹底したエゴイスト(利己主義者)である」ということになると私は思います。多くの学生の皆さんは、大学教授に接した時独特の人を寄せつけない冷たさを感じると思います。これは彼らが徹底したエゴイストだからなのです。(大学教授に限らず、徹底したエゴイストはみなこのような冷たさを持っています。)それではなぜ彼らは皆エゴイストなのでしょうか。私にはこれは分かります。なぜなら研究というものはそれ自身非常にエゴイスティック(利己的)なものだからです。どのような研究者に対しても、なぜ研究するのかと突き詰めて問うなら、それが面白いから、と答えが返るはずです。人類の役に立つとか、誰かがやらねばならないとかいろいろ理屈を付けていても、究極的には「自分に取って面白いから」研究を行っているわけです。つまり大学教授と言うものは、社会的にはまだ未成熟な年齢から、一貫して自分が面白いと思うことだけを行って生きて来ているということになります。また、研究優先という態度は、裏返せば自分にとって面白くないことはしないということに外なりません。このような人生を送って来れば、誰でもエゴイスティックになって行くのは当然であると思います。しかし研究優先という態度はそれ自身では肯定的に評価されるものなので、彼自身そういう態度を取ることが自己のエゴイズム(利己主義)を強化していることには気づきません。最終的には「自分に取って面白くないもの=研究を妨げるもの=排除すべき対象」という方程式が自分の中で確立するようになります。「研究優先=良いこと」という方程式がこれを正当化します。私は大学教授の様々な態度について述べて来ました。このような態度も、それが「自分にとって面白くないこと=排除すべきこと」という方程式でほとんどが説明できるような気がします。(ちなみに彼らのエゴイズムを象徴する表現は「僕は時間が無いんだ」と「僕は忙しいんだ」です。)

もう一つの大学教授の特徴は、そのプライドの高さです。彼らのプライドは極めて傷付きやすいものです。従って彼らに接する時にはどれだけ気を付けても付け過ぎとは言えません。例えば体験記で私はF教授に対して出した手紙で大失敗をしたことを述べました。私のこの失敗例は、どのような簡単な手紙や小さなお願いでも、決して気を緩めず最大限の注意を払わねばならないという教訓です。また彼らのプライドを傷付けた人に対しては必ず彼の怒りの鉾先が向けられます。ただしそれが表面的な行動に出るか、もっと陰湿なものになるかは人によりけりです。

以上の二点を理解するなら、大学教授に「お願い」をする際の難しさが十分に理解できると思います。一方で、大学院では大学教授への「お願い」が生命線を握っていることは既に述べたとおりです。大学院生は、全員この困難な状況を各自解決せねばならないのです。

3. 結語
ここまで読んでこられた方は、大学院に進むという行為が、いかに人生に取って危険の大きいことか、失敗した時に取り返しのつかないことになるかについて、十分に理解されたことと思います。最悪の場合、鬱病から自殺に至るということになりかねませんし、そこまで行かなくとも、莫大な借金を背負った上に社会の辺境で満たされることのない生活を続けることになる可能性が大きいのです。

もちろんそのような結果を覚悟の上で、なお困難な道を選ぶことを妨げようとは私は思いません。また全員が私のような経験をするとも考えられません。……

[ 本帖最后由 getty 于 2007-9-17 13:26 编辑 ]
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发表于 2007-9-13 17:53:58 | 显示全部楼层
谢谢楼主分享、
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