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发表于 2012-5-30 17:03:30
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日本語nativeが無意識的に使い分けているものの、non-nativeには使い分けが難しい助詞には、「と」「れば」「たら」「なら」がある。
いずれも条件・仮定を表す助詞だが、その意味合いは少しずつ違う。一応辞書には
「と」 現実に観察される継起的な事態の表現
「れば」一般的因果関係の表現
「たら」時空間に実現する事態の仮定表現
「なら」ある事態を真であると仮定して提示する表現
などと記されている。意味不明なのでw、例を使って説明すれば、
「食べ過ぎると、太る」は、「食べ過ぎる」という行動の後に、「太る」という現象が(話者とは無関係に)続いて起こることを示しており、
「食べ過ぎれば、太る」は、「食べ過ぎる」という行動の結果として、「太る」がもたらされることを表しており、
「食べ過ぎたら、太る」は、「食べ過ぎる」という行動を仮定しており、
「食べ過ぎるなら、太る」も、同様に仮定しているが、この場合は食べ過ぎるという事態を真と仮定しようという、話者の判断や意志が含まれている。
「たら」と「なら」の使い分けが難しいが、元々は完了の助動詞「た」の仮定形が「たら」であり、断定の助動詞「だ(なり)」の仮定形が「なら」であり、そこから「たら」は、「ある事が既に起きてしまったと仮定する」意味が生まれ、その用法が簡略化されて単純な仮定に使われるようになったようだ。
一方「なら」の方は、断定という話者の判断が入る原義を持っており、そこから「話者の判断を交えた仮定」という用法が出てきたと思われる。この違いをはっきりさせるために、もう一例挙げれば、
「硫酸に水を加えたら、爆発します」は、単純に化学の手順を述べたものである。一方
「硫酸に水を加えたなら、爆発します」は、通常そんなことはしないが、敢えて仮定するという話者の判断が含まれていると言える。 |
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