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楼主 |
发表于 2004-2-2 23:00:00
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■《天声人語》 02月01日付 * |( c$ n3 ]6 c9 X x# _) u- X
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金も無い、人も無い、何も無い。そんなところで、いちかばちかのトライをした。青色発光ダイオードの製法を発明した中村修二さんは、3年前の朝日賞受賞のあいさつでそう語っていた。ほとんどやけくそになって深くのめり込んだ結果だった、と。 ; _" z( ` ?$ r! `
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/ D/ C5 ]. R, f+ g" t$ i8 y) d 中村さんは徳島大学の大学院を出た後、家族の都合もあって地元の日亜化学工業に就職した。大企業の恵まれた研究施設とは比べものにならない環境だった。しかし、そのことが大きな発明につながった。 # K' w0 R f/ W8 ^2 g9 y
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' T7 j. L" e" g4 A7 X; @) E( P あれもこれもと手を伸ばすことはできない。開発の方向を一つにしぼって邁進(まいしん)した。それも、当時は成功の可能性が薄そうな方向だったそうだ。途中、難題にぶつかると、自分の手作業で装置を改良しながら前へ進んだ。独力の弱みを強みに変えた。 7 J* B( i6 p( \6 \9 T
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会社からの支援も強力とはいえなかった。それどころか本人の話によると、研究中止の指示が出たこともあったそうだ。会社から見れば、成果が出るかどうかわからない研究に勝手に没頭している扱いにくい社員だったのかもしれない。 ; F8 H+ b3 @4 u, D o% k) ]" r, E% D
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製法の開発に成功して、海外の研究者らと交流する機会が増えた。彼らはノーベル賞級の発明をした中村さんの給与や待遇を聞いて驚いたそうだ。「まるでスレイブ(奴隷)ではないか」とからかわれたという。
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東京地裁は、中村さんの発明の対価を604億円と算定し、請求していた200億円の支払いを会社に命じた。会社と社員との関係を揺さぶる判決だった。会社勤めの技術者・研究者には夢を与え、企業社会には、反省を促す痛撃になった。
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