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发表于 2008-11-30 22:41:06
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2008年11月25日(火)付
& C' {" Q+ R' a) C: O9 _$ {* c 葉っぱの写真をあしらった図鑑を片手に、東京の北西にある奥武蔵の低い山を訪ねた。季節の進み具合は平地より早く、コナラやクヌギの木々からは落葉がしきりだ。風が吹くと、カサカサとさざめきながら頭上に降る。「木の葉雨」という美しい日本語が脳裏をよぎっていく。3 ]# y O, g* n) ^
燃えるようなモミジは、手(しゅ)裏(り)剣(けん)のように宙を舞い落ちる。ゆらりと枝を離れるのは、うちわを思わせる朴(ほお)の葉だ。所々に、雪だまりならぬ「葉だまり」がある。くるぶしほどに積もった葉をかき分けながら、山道を歩いた。6 _3 R0 N$ c3 \0 P& y, U9 t, e1 U# b5 f
シャンソンの名曲に「枯葉」があり、秋の日の/ヴィオロンの……に始まる名訳「落葉」がある。街路に散って、吹き寄せられる朽ち葉には、うらぶれた感傷が重ねられがちだ。だが、山に降る落ち葉には生命の輝きがある。( t* v2 _. |# J' ~" `
〈それは凋(ちょう)落(らく)であろうか 百千の樹木がいっせいに満身の葉を振り落すあのさかんな行為……〉。石垣りんさんの詩「用意」の一節を思い出す。落葉は、一切を捨てて裸の骨格を空に突き上げる、木々の意志を見るようでもある。8 `' M) g+ d& z- z6 Q' ]
葉という衣装を脱いで、樹林は明るさを広げていく。光は地表まで差し込むようになる。落ち葉はミミズやバクテリアなどの力を借りて分解され、土に還(かえ)り、また木々を育てる。1 P4 Z) T5 e2 p3 N/ s. i; s9 R
山を歩きながら、手近な枝を引き寄せてみた。来年開く冬芽がもう、固く閉じた姿で枝についている。そんな生命力に自らを託すように、石垣さんは詩を結んでいる。〈私は身内ふかく、遠い春を抱く そして私の表情は静かに、冬に向かってひき緊(しま)る〉。 |
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