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发表于 2004-9-20 05:00:56
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09月20日
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人生の残り時間が少なくなってきた。そう思い始めたとき、人はどうするか。できるだけ豊かに多彩に生きようとするのか。あるいは余計なものを削りつつ、簡素な生き方を志すのか。
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& R# n4 U8 V: l* E8 l$ | 「テレビは見ない、電話は嫌い、冠婚葬祭、夜のパーティーはすべて欠席、ワープロ、インターネットとは無縁」。今夏亡くなった作家の中野孝次さんは、余計なものを排除しながら晩年を送った。しかし、容易に捨て去れないものもあった。数々の書物である。 6 ~" W! L* g; k4 D
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あるとき、愛蔵してきた本を手放す苦渋の決断をした。「別れるべき書物(文学者)の名を一つずつ書いていった」。たとえばドイツ文学者の全集は身内同然で「別れるのは文字通り身を切られるような辛さ」だった(『老いのこみち』文芸春秋)。 ^6 _. G- z. Y5 \6 W. J
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捨て去れないものもあった。酒の楽しみである。午後は間食せず、水分も控える。「そうやって体調の下拵えをしながら、日が暮れたときのことを思って、心をおどらせている」。そして「犬たちを傍らにはべらせての独り酒」に至福の時間を過ごした。 7 s, } L. y; n0 t1 z& {: Y; u& N
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残りの時間には、日本、中国や古代ローマの古典の世界に沈潜した。簡素でぜいたくな余生である。そんな生活の中から、いやおうなく見えてきたものがあった。現代社会のゆがみである。「老いの繰り言」とはいわせない数々の警告を残し、彼は逝った。 + y. \8 N$ @/ o8 z
1 w& {* [+ }4 y) v4 P, h7 S, h) S, U つい先日亡くなった歌人島田修二さんにこんな作品がある。〈余計者になりてしまひし老人の目の鋭さをわがものにせん〉。老いた目の鋭さにも敬意を表すべき敬老の日だ。 |
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