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发表于 2004-3-6 23:00:00
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■《天声人語》 03月07日付! C: l, r5 u X$ G$ L0 f, K; u
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ときどきの世を映すのが新聞の投書欄だが、4日の米紙に掲載された投書には、複雑な感慨を禁じえなかった。「刑務所からの手紙」と題して、米紙の記事の誤りを指摘する10行の短文だ。
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* P2 _7 P4 A3 a# U" }9 ?; _ 「記事には、豪華ホテルから誘拐とありますが、私たちが閣僚を誘拐したのは、OPEC本部からです。その夜、カクテルパーティーが予定されていたホテルからではありません」
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9 n& o, Y, }* f ウィーンで75年に起きた石油輸出国機構(OPEC)襲撃事件についてだった。産油国閣僚が会議をしているところへ男女6人組が乱入、警官や護衛を射殺してサウジアラビアのヤマニ石油相らを人質にした。犯人は人質とともにアルジェリアへ行き、人質を解放した。投書の主は、事件の主犯とされる国際的テロリスト、カルロスだった。
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: A; z, ~* [% C8 h9 @% \# v0 A7 k 70年代から80年代にかけて、数々の国際テロを実行したとされる「伝説のテロリスト」だ。革命家を名仱辍ⅴ靴欹攻隶式夥扭虺à俊%伐辚ⅳ扦吻狈h、ハンガリーの旧政権がかくまっていたなど諸説流れる中、巧みに逃亡を続けた。死亡説が流れたこともあったが、94年にスーダンがフランスに引き渡した。いまはフランスで獄中生活を送る。
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彼が捕まった背景には、世界の変化があった。冷戦の終わりと、当時進んでいた中東和平への動きだ。彼の居場所はどんどん狭くなった。対立と紛争とを糧として生き延びたテロリストをかくまう国も人も減っていった。 テロリストたちは、いつ逃げ場を失うのか。「地上最大のお尋ね者」とも称された彼の末路が一つの答えだろう。
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