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发表于 2005-1-24 07:21:17
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01月24日付
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4 J- q3 p3 A* q; c' o6 \& _8 w■《天声人語》, _2 N$ [$ z' ^+ P9 A) I. Y: A
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! `. M2 s# ^; ^9 \9 [" }; m ある時、ルーズベルト米大統領は、チャーチル英首相に対して「今度の戦争を何と呼ぶべきかについて、一般の意見を求めている」と言った。即座に「無益の戦争」と答えたと、チャーチルは書いている(『第二次世界大戦』河出書房新社)。今度の戦争ほど、防止することが容易だった戦争はかつてなかったのだとも記す。 / e5 n; E* B$ k( _- b; ~# j: v4 Y
% o# b/ c6 I# N. Z+ W5 C 60年前の今頃、その戦争は終わりに近づいていた。1月末、チャーチルは、ルーズベルト、スターリンと会談するため、クリミア半島のヤルタへと向かった。
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一行は3機に分仱筏皮い郡ⅳΔ粒睓Cが途中で墜落した。さすが豪気のチャーチルも、ひやっとして述べた。「奇(く)しき呙吾à铯─斓坤坤盲俊梗ā亥隶悌`チル物語』角川書店)。それは、世界のその後にとっても、小さくない岐れ道だった。
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戦時中、ドイツ軍の空襲を避けて、チャーチルが閣議を開いていた地下施設がロンドンに残されている。ダウニング街の首相官邸にほど近い「戦時内閣執務室博物館」だ。「この部屋から、私は戦争を指揮する」と述べた。
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作戦室や会議室の他に、チャーチルの居室があった。そこには、寝泊まりに使ったというベッドが置かれている。写真や映像での堂々たる巨漢という印象からはほど遠い、小ぶりなものだった。 ; x, s& e: t& e, d3 h+ N' e s2 Z
6 N7 W$ u" b+ F' A- s% I チャーチルは、ルーズベルトよりもスターリンよりも前に生まれ、ふたりより長く20世紀を生きた。そして、40年前の今日、90歳で他界した。臨終に際して、こう述べたと伝えられる。「もうすっかり、いやになったよ」(『チャーチル名言集』講談社) |
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