2005年07月02日(土曜日)付
& [% T8 j: p% v2 p/ E「ある時、息子の洋服のお古を、千葉に住んでいた弟の息子に送ってあげようと思った。ところが、咻敇Iの社長である自分に送る手段がない」。元ヤマト咻斏玳L、小倉昌男さんは、「宅急便」を思いついたヒントのひとつを、そう記している(「私の履歴書」日本経済新聞)。
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国鉄小荷物や郵便小包ぐらいしかない頃で、家庭の主婦は不便な思いをしているはずだと思った。「それまで咚突嵘绀趣いà谢膜炷肖违ぅ岍`ジが強く、主婦は業界から最も縁遠い存在だったが、実は大いなる潜在顧客だと気づいた」2 G' s0 h: @" B: K( `
, H% B% D, H, i4 S& | 生活感に根ざした発想と強い指導力で、小口輸送の新時代を築いた。このアイデア豊かな開拓者は、骨っぽさでも知られる。路線免許の申請を何年も許可しなかった旧咻斒·蛳嗍证诵姓V訟を起こした。: s3 d6 L6 l1 D9 P! {9 l( m
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創業者の父から江戸っ子の町人気質を受け継いだ。「二本差しが怖くておでんが食えるか」。そんな侍を恐れない意気が、官僚との闘いの支えになったという。
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& V) q- p7 _4 ?* B- B" T 21世紀が近づいた98年の元日、本紙は、各界の人たちの俳句による特集「21世紀を詠む」を載せた。〈初日の出車椅子寄せ接吻す〉。この小倉さんの句に添え書きがある。「日本は障害者が住み難い国です。21世紀は、ノーマライゼーションを実現したいものです」。私財を提供して福祉財団をつくり、障害者の自立実現のために尽力した。
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〈ほととぎす去りにし静寂(しじま)旅果つる〉。会長職を退いた時の作だ。惜しくも人生の旅は80年で終わったが、その気概や福祉へのまなざしは長く継がれてゆくだろう。 |