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发表于 2004-4-20 23:00:00
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■《天声人語》 04月20日付; F1 m% K1 B2 g4 g4 A
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自己責任。この言葉が、イラクの日本人人質事件で何度も出てきた。多くは武装グループに拘束された人たちの行動や判断を批判したり、救出費用を問題視したりする時に聞く。しかし今回の使われ方には、なぜか、聞きづらさが感じられる。
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数冊の辞書に当たったが「自己責任」は載っていなかった。新しい言葉だからかとも思い、さかのぼってみると、そうでもない。戦後間もない47年の国会議事録に、自由主義の特性として「自己責任においてイニシアチーヴをとつていく」とある。近頃では、投資や経営など経済の世界でよく聞いたが、人命にかかわる事件で個々の被害者に対して使われるのはまれだろう。
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辞書の「責任」にはこうある。「自分が引き受けて行わなければならない任務。義務」「自分のしたことの結果について責めを負うこと」。責任という言葉そのものの中に「自分の」という意味合いがあるように見える。
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今回の「自己責任」には「自分でしたことの結果に『自分だけで』責めを負う」というような強調が感じられる。責任に、もう一つ自己を重ねたところが重苦しい。 * a- d/ }6 B" d* ~: b- Z
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( B u1 P4 g( j, J$ x4 q 自衛隊派遣という、国論を分けた国策のかかわる外国が事件の現場となった。この言葉が、事件の背景や、イラクの現状をもたらしたものへの視点を失わせる「目隠し」になってはいないだろうか。
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5人にも、それぞれの「責任」はあった。しかし、銃を突きつけられ、命を脅かされたことが「結果に責めを負うこと」だったのではないか。それぞれが落ち着いて語れる時を待ちたい。 7 H3 x b& u" j! ]- D0 o7 k
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