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发表于 2006-1-12 13:58:07
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【天声人語】2006年01月12日(木曜日)付 * ?( K Y% t' `( j6 K; v" c
5 w7 t7 K( g3 h1 e& _3 C行ったことはないが、いつかは訪ねてみたい。信越国境にある秋山郷も、そんな旅ごころを誘う場所の一つだろう。平家の落人伝説の残るその地が、豪雪で孤立している。- l* A* [( q' X6 J( p4 d
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「秋山には古(いにしへ)の風俗おのづから残れりと聞(きき)しゆゑ一度は尋(たづね)ばやとおもひ居りしに……米味噌醤油鰹節茶蝋燭(らふそく)までをも用意して……」。新潟の文人、鈴木牧之が秋山郷を訪ねたのは、江戸後期のことだった。この『北越雪譜』(岩波文庫)には、心引かれた地へ旅立つ思いや現地での見聞が記されている。
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牧之が秋山郷への旅で著した別の一冊『秋山記行』(東洋文庫)には、当時の集落を描いた絵が載っている。見ているうちに、先日見た一枚の写真が絵に重なってきた。それは、雪で孤立状態になった秋山郷を上空から撮影したものだった。
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絵の方では、かやぶきの家がわずかに点在している。写真の方の家は大きく数も多い。しかし厚い雪がその家々の屋根を覆っているので、昔の秋山郷のたたずまいがよみがえったかのように見えた。9 ~# [: W. e6 X" X. ]- q
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やはり江戸の後期に書かれた『信濃奇勝録』が、当時の人々の様子を伝えている。争ったり怒ったりすることなく、質朴で「太古の人の如し まことに世外の一世界なり」
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1 H7 P. e$ `3 T; g 冬場には道が閉ざされてきた秋山郷は、隔絶の地であればこそ、うつろわない暮らしや文化を伝えてきた。しかし今では、人々の暮らしは周囲と行き来することで成り立っている。地上の道は閉ざされたが、牧之の時代には思い及ばなかった空の道も使って、一世界と世界とをつなぎ続けたい。 |
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