|
|
发表于 2004-6-1 23:00:00
|
显示全部楼层
06月02日
7 T7 ^! v0 _0 [* D
4 u! }, b7 t+ B, H9 @
y7 w8 N2 s8 c% H 比類のない才能を持った超一級の人物だが、オートバイを東京で仱昊丐工瑜Δ时挤扭丹驊n慮――。元ソ連軍参直静繂Tの近著で、リヒャルト・ゾルゲは、そう書かれているという。 1 ^7 Y. V# M* i: M/ D* N, P# N
- T1 F0 K- h9 e) D( C7 ^( J1 ~
ゾルゲがスパイ容疑で逮捕された41年10月18日に、東条内閣が成立する。外相に就いた東郷茂徳の秘書官で、日米開戦時に外務省北米担当課長だったのが、先日101歳で亡くなった加瀬俊一さんである。第二次大戦前後の激動期、日本と世界とがきしみ合う現場に身を置いた。 * h, @% Z6 K- u/ `8 P
/ i, w% e9 l4 h+ _3 g: I+ k3 p
「私は吉田茂と重光葵の二代の駐英大使に寵(ちょう)用された」と記す(『ジャーナリストの20世紀』電通)。重光の側近として終戦に臨み、ミズーリ号での「降伏文書調印式」に随行した。初代の国連大使になった翌年の56年、日本加盟が実現する。「晴れて受諾演説をした重光外相は、私を強く抱擁し『これで思い残すことはないよ。ありがとう』と言った」 , ?$ N2 N* r, F! x7 ~; d* X5 j) v6 R
* }1 ^. @ V V* C% b( I9 c
神奈川県大磯町の吉田邸の完工前に招かれて、名前を付けろと言われる。「ご主人にふさわしい名前でないといけないと思いますから、海千山千楼はどうですか」。それで決まった(『劇的外交』成甲書房)。
' s4 s8 \ Z* m+ \. J$ X5 Y7 D: c4 {" h( W- E" i! \* T
世間を驚かせ、戸惑わせもした佐藤栄作氏のノーベル平和賞受賞の根回しにも動いた。「今回の受賞のかげに加瀬君の努力のある事を忘れるわけにはゆかぬ」(『佐藤榮作日記』朝日新聞社)。戦後、世界が東西に分かれる時代には、西の道を選ぶ日本の目撃者であり、推進者でもあった。 ( h G* o; i7 d( g% [% ?* S# B
3 L; a$ C) x* H8 P; k4 r
国連加盟からざっと半世紀。東と西に代わる新しい対立が世界を覆っている。 |
|