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楼主: Jennifer

[经验方法] 連載《天声人語》想看中文版请去看1590楼最新公告

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发表于 2007-7-22 07:51:24 | 显示全部楼层
2007年07月22日(日曜日)付
+ F" r* w) F, S+ w2 D2 u! K- K4 |2 x( m7 g, O& C( |, D# D
 物理学者の寺田寅彦は、防災の大切さをことあるごとに説く警世家でもあった。1935年(昭和10年)に亡くなる直前、地震の研究に長くかかわってきた感想を、『災難雑考』と題して記している。
, S( `6 R8 q# l# c1 N) ]3 z' h+ Q" o
 プレートがぶつかり合う位置にある列島の危うさを、寅彦は「日本の国土全体が一つのつり橋の上にかかっているようなもの」と例えた。そして「つり橋の鋼索が、あすにも断たれるかもしれないという、かなりな可能性を前に控えている」と警鐘を鳴らしている。
& {) j+ ]0 W2 f. P  l; u1 g2 J% b2 ^
 寅彦の時代にはなかった様々な人工物が、いま、不安定な「つり橋」の上にひしめいている。全国に55基を数える原発もそうだ。その一つ、東京電力柏崎刈羽発電所が、新潟県中越沖地震に揺さぶられ、多くの弱点があぶり出された。
* `4 }3 A+ k6 K% r$ v! M
' v8 F1 t4 Z& e4 }3 g そもそも建設の際、直下にある断層を見逃していたという。微量だが、放射能が海や大気中に漏れた。変圧器は黒煙を上げ、消せないまま燃え続けた。あわてた国の調べで、他の原発のお寒い防災体制も分かってきた。これでは55本の剣が、国民の頭上に、ゆらゆらつり下がっているようなものだ。1 o8 `" O9 A2 g" {  @8 H7 t3 {
2 V4 ?* l+ {" i0 W% `
 根拠のない「安全神話」が、原発にもあると聞く。様々な神話の数だけ、その崩壊する悲劇があった。ジャンボ機もかつては、まことしやかな「墜(お)ちない神話」に彩られた。22年前に日本で崩れたのは、記憶になお鮮明だ。
- |, v( v9 U/ x  j7 {) {, q0 b) ?0 I2 H' q- x* n$ j% O& C/ i
 地震はどうにもならないが、被害は人間次第。それが寅彦の持論だった。必要なのは空疎な「神話」ではない。今回の教訓を生かした「実話」であろう。
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 楼主| 发表于 2007-7-25 15:03:37 | 显示全部楼层
2007年07月23日(月曜日)付
7 ~8 }+ R3 R, E6 T8 n
" W4 e+ ]! Z- q. F& Z" q1 p梅雨明けは九州付近で足踏みしているが、きょうは二十四節気の大暑。暦のうえでは暑さも盛りの時期である。〈兎(うさぎ)も片耳垂るる大暑かな〉と芥川龍之介は詠んだ。動物も猛暑にうんざり。ユーモラスな情景が、まぶたに浮かぶ。! D2 H- R  \+ X4 E, o# o1 ?
9 r# q+ U# }( _- j. o- Q
 そして明日は、芥川がみずから命を絶った「河童(かっぱ)忌」だ。今年で80年になる。残された手記によれば、「ぼんやりした不安」にさいなまれていた。今なら「うつ病」と診断されたのかもしれない。ともあれ人気作家の35歳での早世は人を驚かせた。  ~+ d+ p% t% J- P) _8 j- B! Q
$ `% H$ R4 S6 C7 A
 芥川と同じ30代で、職場の重圧から心や体を病む人が、近年増えている。厚生労働省によれば、心の病で労災認定された人が、昨年度は過去最多の205人を数えた。4割を30代が占めるというから、その突出ぶりに驚く。" ~* S) ~4 l, S! \. }) Z  m

, Q2 C% v  a' |( C 体力気力がかみ合って、仕事も板につくのが30代だろう。だが「働き盛り」は「こき使われ盛り」でもある。男性の2割強が「過労死ライン」を超す長時間残業をしている。そんな調査結果もある。成果主義の荒波も容赦はない。
# p/ Q- p4 E* e3 P* {7 Z$ p
6 u: Y: `; M% [7 u5 \ ストレスゆえか、30代による暴行事件も急増中だ。逮捕・書類送検は10年で5倍に。いまや「主役」が10代と入れ替わった。街頭などで、カッとなって暴行するケースが多いらしい。キレやすい30代像が、数字の向こうに浮かんでいる。
! G9 J" `' v; P& }5 l1 E5 k. m% J( a  w+ a1 A  K; G
 皮肉屋の芥川は人生を一箱のマッチに例え、「重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である」と言っている。ストレスという火種を上手に鎮める術(すべ)が、30代ならずとも大切な今の時代である。
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 楼主| 发表于 2007-7-25 15:05:29 | 显示全部楼层
2007年07月24日(火曜日)付1 n3 M" x. A. p6 `) x- ]% M1 W4 M

0 Y& f$ j8 l2 U3 B3 A9 f; j. ^/ z$ i$ Q% g2 d$ T
その昔、芸者衆のお代は線香が燃え尽きる時間で計算した。上方落語「たちぎれ線香」では、若だんなと芸者が恋に落ち、案じた番頭が仲を裂く。死んだ芸者に若だんなが泣いて供えた三味線は、なじみの地唄を奏で、やがて線香が消えたところでやむ。ほろりとさせるサゲだ。
1 |) b. o6 H; Q; f2 |3 Q6 ~7 v& h: W( v1 O
 松岡利勝氏の事務所費のことで、すとんと胸に落ちる説明を初めて耳にした。赤坂で芸者を呼ぶのに、領収書が出ない花代を事務所費で落としたという。「本人から聞いた」と、山本拓農水副大臣が演説会で紹介した。
2 N( @) Z$ ]) u! n, X' O' N+ u: `) e9 w; A- o$ n) D! e
 「会場を和ませる冗談」と撤回したが、テレビでは「うそをついた覚えはない」と語った。それはそうだろう。根も葉もない話なら「若い頃に遊んだ仲間」(山本氏)に失礼ではないか。しかも故人である。
  i+ ~' l0 K( l* a: y& y$ m" }
 大人がどう遊ぼうと勝手だが、松岡氏が説明を拒んだ水代と違い、花代は極めつきの私費といえる。事務所のどんぶり勘定に混ぜ込んだとすれば、やぼと言うしかない。粋人のために日々芸を磨く女性たちに笑われる。
- w! t  c* z$ B2 Y) F
8 P: Z# w7 y7 U) {( \; I- E 神楽坂の芸者を300万円で囲ったと報じられ、69日で辞めた首相がいた。退陣表明は18年前のきょう。前日に投票された参院選で、自民党は改選議席の半分近くを失っていた。
* M# R3 P1 [( a! w5 B& w( Z0 Q" X& o$ S- C5 D  R& \
 嫌な客のお座敷に向かう道、芸者は三味線を運ぶ箱屋にいくらか包み、立てる線香の下端をちょいと折ってもらったという。共に過ごす時を少しでも減らしたいという知恵だ。投票日を控えて、閣僚の失言と醜聞が続く。これでは、政権の線香は両端から短くなるばかりだ。
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 楼主| 发表于 2007-7-25 15:06:06 | 显示全部楼层
2007年07月25日(水曜日)付6 K: W) s; ]6 D& m: ]% E: t

  J) w# k# C* @$ a4 I
* Z2 n4 K; M. z$ Lご家庭のアルバムで、お父さんの影は薄いかもしれない。撮った人は写らないのが写真だ。でも、シャッターに乗せた思いが画面に残ることはある。写真集『カンボジアの子どもたち』(連合出版)にそう教えられた。
( O0 T+ \5 L, \
" `. x! ]2 u  o. ^" O 戦乱と暴政を見つめてきた自然や遺跡を背に、黄金の笑みがはじける。体より大きいバナナの葉束を運ぶ娘、水牛の背の少年。99年から20回以上訪れた写真家、遠藤俊介さんへの信頼が、かぐわしい靄(もや)のように作品を覆う。3 @# L( S8 k( A5 u% L. w3 c& S
& {6 c, V6 b/ u
 かつて戦場を記録した沢田教一や一ノ瀬泰造は、この地に散った。平和を撮る者に約束されていた豊潤な時は、しかし白血病に断ち切られる。今月半ば、写真集が枕元に届いた3日後、29歳の遠藤さんは一ノ瀬らのもとに旅立った。
* p2 K( Y- _& H; R, @
  [' D# E6 S- ^, O 婚約者の高瀬友香さんにお会いした。昨夏、カンボジアの勉強会で意気投合し、直後に病気が分かったそうだ。かの国で式を挙げる夢を支えにして、初の写真集に使うコマは病室で一緒に選んだ。' }) j$ q$ A6 ~. W. X$ D7 l

- S0 V+ f% m- C) U! N5 Q 「整理が苦手な人で、まだ膨大な画像データがあります。私たちの子と思い、個展などの形に育てたい」。後書きに「貧しいけれど笑顔のカンボジアを撮り続けようと決めた」とある。平穏の尊さを伝える仕事が友香さんに残された。
( L; `- O. x5 b  g8 K7 a$ \' s. q! h2 E8 T- e, ^. e1 b; J
 本人の写真は奥付に1枚。子供に囲まれ、飛行機のポーズでおどけている。そしてもう1枚。表紙でほほ笑む少女の、とび色の瞳に小さく写り込んだ人影は、キヤノンEOSを構える。異国の、いくつもの柔らかな記憶の奥底に、遠藤さんは永遠の像を結んでいるはずだ。
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发表于 2007-8-1 10:14:16 | 显示全部楼层
2007年07月26日(木曜日)付3 O" B3 M( E: @9 D4 |. T" G& @
明治30年代、東京の呉服業界は模様合戦にわいた。老舗(しにせ)の三井呉服店(後の三越)は京都に染め工場を構え、復古調の元禄模様に力を入れる。これに対し、より古く平安時代に想を得た御守殿(ごしゅでん)模様で押したのが、創業間もない伊勢屋丹治呉服店だった。( ^: D( u2 W  a* u6 L: L  a
2 z/ z! p2 k+ d6 P( ?/ B0 [9 b
 伊勢屋は、この模様を柳橋芸者の総踊りで着せたほか、両国の花火大会でも宣伝した。「御守殿模様の成功により、天下の三井呉服店と張り合って高級呉服店を目指す伊勢丹の姿勢に、衆目が注がれるようになった」(伊勢丹百年史)。
& [7 K& I4 y3 H" s$ k
3 o6 F3 j1 W. x! L( x 三つの世紀にわたり競ってきた三越と伊勢丹が、経営統合を視野に提携交渉に入った。実現すれば国内最大の百貨店グループになる。三越のブランドと優良顧客、伊勢丹のセンスと収益力を「袷(あわせ)の衣(きぬ)」に仕立てる策らしい。
' @3 d) c# r, l- p$ f
" ~6 w- L# X3 I 三越は明治38年、主要紙に「デパートメントストア宣言」を出し、日本初の百貨店になった。元禄模様の芸者ポスターに列記した取扱商品の中、「欧米流行洋服類」は世紀を経て、今や伊勢丹の得意分野である。世事は有為転変だ。
+ b8 J8 S/ M: U7 }7 ]! |0 q, E/ u3 z, x0 E& a7 W& {9 O9 d
 総売上高を減らし続けるこの業界は、呉服系も電鉄系も再編の渦中にある。そごうと西武に続いて、今秋には大丸と松坂屋、阪急と阪神が統合する。昨日の敵は今日の友。勢力地図がどんどん塗り替わる、いわば「百貨領乱」の相である。) ~% [1 f2 l$ e1 X  K6 {

3 k9 W2 Q* A9 V5 @# C" P6 v2 B 本来の百花繚乱(ひゃっかりょうらん)は多くの才能や美が集い、競い合う様をいう。流行を争い、時代を導いた往年の百貨店がそうだった。のれん2枚を重ねて、巻き返しの模様が浮かび出るか。衆目が注がれよう。
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发表于 2007-8-1 10:16:44 | 显示全部楼层
2007年07月27日(金曜日)付
9 Q/ m7 g6 F$ }: o% {4 O5 x8 ]) m/ N7 p* \/ X7 j
ベルギーに6年いた。仕事場に近い地下鉄の階段はいつも、名物ワッフルの香りがした。バターと蜂蜜とココアが混じる「においの記憶」は、冷たい雨の風景に重なる。着任時の高揚と不安が溶け込んだ雨だ。
# O% C$ w" q  J6 m: _/ _4 u; p
* l: [1 j. U: s" U* O" Z" r 未体験のにおいの印象は、それをかいだ場面と共に記憶されるという。資生堂の調香部門を率いた中村祥二さんの説だ(『香りの世界をさぐる』朝日選書)。初めてのにおいは一生もので、それぞれが思い出に連なるのだろう。
+ _/ m  ~+ g' }" W# ?0 B
7 B; J6 s5 L0 A9 U$ F 米シカゴの研究チームが気になる仮説を発表した。身近なにおいをかぎ分けにくくなったらアルツハイマー病の兆しかも、というのだ。レモンやガソリンなど12種のにおいを、平均80歳の約600人に当てさせたところ、的中率が悪い人ほど、後々、認知力が落ちる傾向にあった。9 r3 }- [6 Y$ n" e3 I
0 j3 [2 Z" h6 ~# o: [8 |  C, m
 老化による嗅覚(きゅうかく)の衰えは、本人も周囲も気づきにくいから厄介だ。鼻からの刺激が減ると、老化がまた進む。中村さんは「素人考え」として、においの刺激を繰り返し与えることで老化に対抗できないか、と提案している。! B( u* n  J, B6 ~) ^/ h! L% l0 v# J% d
3 L  C" P3 J& E- G9 @% K) c( y
 人の五感のうち、嗅覚はどうも軽く見られがちだ。多くの情報は目と耳から入る。特に、パソコンや携帯電話を操る現代人は視覚に頼りすぎて、動物に劣る嗅覚がますます鈍ってきたとも聞く。
2 B4 ?* C$ j. I/ Z4 C5 Y) g7 N' C. T) U% D* M" s( S7 b! v
 風邪をひくと食事がまずいのは、舌ではなく鼻の粘膜がやられるためだという。かぐ力が弱まれば、料理の風味ばかりか人生のアルバムまでが色あせかねない。鼻の値打ちは高さにあらず。色んなにおいを通過させ、内側の元気を保ちたい。
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发表于 2007-8-1 10:17:37 | 显示全部楼层
2007年07月28日(土曜日)付
/ A& G$ Y+ g( P
, k" `, l' s$ }$ i( M, j分割した画面を開きながら、それが何かを当てるクイズ番組があった。記憶は定かでないが、タワシかと思えばハリネズミ、はげ山のはずが実はラクダといった意外性の妙。ボタンを押す出演者が間違うたびに、お互い様の「木を見て森を見ず」を笑ったものだ。
* g3 W1 z; {8 \6 D' W' u
1 n1 F! ]5 h$ M( S# j- t あと1日の参院選で、期日前投票が空前の出足という。クイズ番組の早押しとは違い、初めから森は見えているという票である。今回は、木を見る前に怒りを投じた人もいよう。
% T: j; z8 m2 J% Z( x0 E8 N; T+ v: T9 r$ Y& b2 m; E) M
 選挙では、お粗末な年金行政、閣僚の事務所費や失言が盛んに論じられた。それを「小事(しょうじ)」とし、移ろう世論を嘆く言説がにぎやかだ。与党が大敗すれば景気は失速、外交が揺らぐという警告さえある。
  D* F( D& A( V+ H; N& {
3 L6 T3 a: C  v それらの当否はさておき、どんな投票行動も生活に影響する。それを承知で国民が怒る時がある。怒るなら小事ではなく、国家の針路や屋台骨を論じよとも言う。正論だが、肝心の政党や政治家が大事(だいじ)を扱うに値するかどうか。これこそ民主主義の超大事だろう。
" U! n. C" K7 m7 I0 G% |+ c  k0 a0 y8 k+ ?# F
 公示の日、安倍首相は秋葉原の電気街で「負けるわけにはいかないんです」と絶叫した。日の丸の小旗が一斉に打ち振られる秒の間(ま)に、首相は腕の時計に視線を走らせた。意外な余裕と見たが、同じ街でいま、店頭の大型テレビが与党苦戦の予想を伝えている。$ {+ Y& K' N! [2 G: \

& G' j' {, [5 m* a2 U 本日が期日前投票のピークらしい。その票が箱に収まったところで選挙戦は終わり、審判を待つ森が現れる。あすの「期日投票」には満を持したなりの選択があろう。思い切りボタンを押していただきたい。
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发表于 2007-8-1 10:18:42 | 显示全部楼层
2007年07月29日(日曜日)付9 q! J# }+ x# g
" b  ?8 Z( s9 A1 {* Z7 l
効き目のほどは知らないが、落雷を避ける呪文を「くわばら、くわばら」と言う。由来は諸説あって、菅原道真の領地だった桑原には雷が落ちなかったから、などと伝わっている。
% X1 {4 H- T% e+ T
6 Y( }$ t+ N- _. Z) A3 q7 h 「気象庁」を三度唱えるまじないも、昔あった。夏場、生ものを食べる前に唱えると「食あたりしない」と言われた。天気予報が「当たらない」ことに掛けた、きつい冗談だった。
2 t7 e% @0 t+ v4 r+ l8 h; @/ Q+ ]
 いまは随分正確になったが、外れることもある。「8月は猛暑」としていた長期予報を、先ごろ「平年並み」に修正した。夏の主役の太平洋高気圧が勢いに欠けるためらしい。梅雨明けも早いはずだったのに、東日本では明けないままに8月も近い。( U+ U& H0 U; G$ `8 [& a

: x* ^% j9 U7 @6 ?" c 短期の予報では、「降水」が当たり外れの基準になる。近年の的中率は、翌日の天気の予報だと8割を超えている。だが気象庁によれば、人々の満足度は数字通りにはいかないらしい。
% W. {+ K0 ^; @4 C
' K( X( H1 P* s3 h7 {& j 明日が遠足の子、慈雨を待つ農家……日々、だれもが、それぞれの「好天」を望んでいる。予報が外れて、前夜の期待感が、朝には落胆に変わる。やり場のない悔しさを味わったことのない人はまれだろう。かくて2割弱の不首尾は、数字以上に人々の不評を買うことになる。
' t5 C) R8 K& h" E. `1 v2 Y2 j: F9 K8 |- a5 _
 きょうは参院選投票日である。投票率への影響をにらみつつ、それぞれの候補者の望む「好天」がある。ゆうべの天気予報を見て「当たり」を願った人も、「外れ」を祈った人もいただろう。明けての結果はさておいて、一有権者としては、晴雨に左右されない投票で「天下分け目」に参加したい。
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发表于 2007-8-1 10:20:30 | 显示全部楼层
2007年07月30日(月曜日)付
2 m( n% h" ?6 r/ r5 r
8 ]% t# k& d- d; \7 y. ?" F古代ギリシャの哲学者タレスは天文学にもたけていた。ある夜、星の観測に熱中するあまり、井戸に気づかずに落ちてしまった。使用人が冷やかした。「あなたは天上のことは知ろうとするが、足元のことはお気づきにならない」
% {* e% r1 l4 O# N, d! S# S( _4 @" N) m) Q9 A
 よく知られた逸話に、安倍自民党の大敗が重なる。首相になってからの安倍さんには、望遠鏡で遠くの空ばかり眺めていた印象が強い。いわく「美しい国」「憲法改正」「戦後レジーム(体制)からの脱却」……。大構えなテーマは、彼の思い描く夜空に、星座となってきらめいていたのだろう。+ |9 R# r9 V/ V; l& Q& B' Y( l
* a, `. c: G/ T+ p/ B8 S
 だが足元には疎かったようだ。暮らしを脅かす格差に無頓着だった。政治とカネの醜聞につまずき、年金問題という井戸に落ちた。それからが正念場だったはずだが、腹を据えて空を仰ぎ続けるでもなく、取り繕いに追われた。# b: }. |) {8 Y) c. Q' ]! o
3 b3 p# H5 y+ n* O
 「政治家は次の時代を考え、政治屋は次の選挙を考える」という。首相就任時には、安倍さんは政治家だったかもしれない。だが井戸に落ちてからは、動揺したのかすっかり政治屋になってしまった。脆(もろ)さに失望した人は、自民支持層にも少なくなかっただろう。" L& ]- o4 @# N: d1 F: Z7 A

! A" f6 U' ?$ U タレスは、万物は水から生まれ、水に還(かえ)ると、宇宙の原理を説いた。その水を庶民に、為政者を舟になぞらえたのは、中国の思想家の荀子だ。「水はすなわち舟を載せ、水はすなわち舟を覆す」
* s4 W  r7 q( W$ b( T1 Y9 n% I4 h& k% F9 q0 E/ J8 }/ i& f# A
 民衆は政権を支えもするが、不満ならひっくり返す。それが一票の力だろう。舟が覆ってなお、首相は泳ぎ続けるそうだ。民意の波は相当荒いのだけれど。
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发表于 2007-8-1 10:33:34 | 显示全部楼层
2007年08月01日(水曜日)付; t. r3 T: |' R/ C# j$ C/ Z$ F

7 j& r/ M, f% X; O* L- M# b2 e* nどうっと吹いた風が、自民党という森の木々をなぎ倒していった。累々たる倒木。聞こえてくるのは、首相や閣僚たちへの恨み節だ。「一票」が猛威をふるった7月の言葉から。
3 C; y, X# {. z. V* M
6 r. q: c& m* q) x 東京で3選をめざした自民の保坂三蔵氏は、あえなく6位に沈んだ。「年金問題、政治とカネ、閣僚の失言など暴風雨のなか、演説の大半をおわびや経過報告に割かれた」。本論で勝負できなかった、と悔しさをにじませる。4 q' u8 T% y) ]$ W6 r
$ i' l# m# }5 i2 B
 農村でも逆風が吹いた。新顔が大敗した山形で、運動中に応援に歩いた衆院議員は、支持者の突き上げを食った。「大臣の失言、なんだべ」「松岡(農水相)の後は、ばんそうこう張った男か。安倍さんには学習してもらわねえと」
4 a! H- m" }& l
) d! C8 d% J# B% ^" s, B! J7 B% c- T! H* J* K 落選したほかの陣営も悲鳴を上げた。「年金だけならいいが、余計なものがどんどん出てくる」(青森)。「オウンゴールが4点ぐらいだ」(千葉)。足を引っ張った代表格の赤城農水相は選挙翌日、「…………」。終始無言で登庁した。
- L1 J2 `0 r- V- v' m" C: z+ z2 B; l6 D  [, t# p, |1 [
 惨敗を尻目に、首相は続投を表明した。派閥のボスらが即刻承知したのを、作家の辻井喬さんは嘆く。「子分を一人でも多く閣僚にしようという計算で、自民党全体のことなんて考えていない。まして国家の将来なんて頭の片隅にもない」$ V8 V% ?2 e! C
& N7 i! s& A, N- W! n$ `
 追い風は民主党に吹いた。比例区の最後に滑り込んだ山本孝史氏は、進行がんと闘う。「天から『あなたの出番を作りましたよ』と言われた気がする。6年は無理かもしれないが、命ある限り仕事をしたい」。弱い人たちへの優しさを、自らに課す。
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发表于 2007-8-1 10:37:52 | 显示全部楼层
すみません、2007年07月31日の天声人語を漏れた。  v% d+ E5 r0 x  c1 ?) X7 U, G
これからコピーされていただきます。
' ~1 R: D  ?5 Z8 e* l0 T- V- ^- c8 w% h- ^, G
2007年07月31日(火曜日)付  V3 K* L* t+ |0 F) C6 [
( P& M: X0 A$ {& q
きのう75歳で亡くなった小田実(まこと)さんは、存在感のあふれる作家だった。行動派で知られ、60年代には「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」の顔となって奔走した。一つの時代が過ぎたと感じる人も多いだろう。/ H2 V  e/ W. t8 U
' H; I9 z) g9 w
 ともにベ平連をつくった哲学者の鶴見俊輔さんは、小田さんをよく知らないまま運動に呼び込んだ。「たまたま拾ったビンから煙がもくもく出てきて、アラジンのランプみたいに巨人が現れた」と出会いを回想する。並はずれた実行力で運動を広げていった。% P/ d) H; ?( R6 g
' d/ t; j1 M$ R1 Q
 根底にあったのは大阪空襲の体験だ。爆弾の中を必死で逃げた。ふるえながら防空壕(ごう)をはい出し、黒こげの死体を片付けたという。だから米軍の北爆の写真を見たとき、煙の下で起きていることが手に取るように分かった。「される側」の視点である。. D) P$ p3 G: u$ Y+ ?8 O# E

% M& a8 a# S( v: ]6 F5 D0 H 若い頃、世界を歩いて『何でも見てやろう』を書いた。印象深いくだりがある。ユースホステルで徴兵制が話題になった。小田さんが「日本はそんな野蛮な制度はとっくの昔にかなぐり捨てた」と言うと、様々な国籍の若者の目が輝いたそうだ。そうした体験が、憲法9条への思いにつながっていく。
$ T" U: ~& p% R  ?" o: o8 c
' `3 j5 l, {9 e" ~2 I7 H' U  e3 ^ 末期がんの病床でも、いまの日本の空気を「戦前のようだ」と憂えていた。家族によれば、ここ1カ月はあまり話せなくなっていた。だが、「政治が本当にひどいときは市民は動くもんだ」と何度も口にしたという。
/ Y9 k  ?# h6 A/ S
" R; c% D' o- v( b5 b7 z$ y9 Z 市民派として、「市民」への信頼を貫いた生涯だった。永眠は奇(く)しくも、その市民が安倍政権に厳しい審判を突きつけた夜だった。
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 楼主| 发表于 2007-8-2 13:04:19 | 显示全部楼层
天声人語( L, C: E4 J2 i* n7 ]/ v

! @0 H! W& _7 S2 ^7 B2007年08月02日(木曜日)付) _# d- j, \* S/ z. B9 [  v% G8 z
& G, g  _' z4 o4 Q, @: l

1 [2 s# [% K1 Y, M毎年8月になると、大阪から1冊の本を送っていただく。庶民の戦争体験を集めたもので、『孫たちへの証言』と題がついている。この夏で区切りの20集目を数える。刷り上がったばかりの本が、今年も届いた。1 ?5 }: T6 N$ o0 v- o& H

( P3 h& I+ a; Q* I( ?& R 手にとって項を繰る。玉砕の島サイパンから奇跡的に生きて帰った女性。学友の無残な遺体を防空壕(ごう)から運び出した男性。子ども6人を連れて厳寒の朝鮮から逃れた母親……。74編が収録されている。とつとつと飾らない文が、それゆえに、戦争の罪深さを訴えかける。) i. W* s; x. J; R% ^

/ B: ~$ A. S; _& Z4 {" l 出版社を営む福山琢磨さん(73)が編集してきた。原稿は毎年募集する。収録候補を選び、電話や手紙で筆者に問い合わせて、手を入れていく。手間のかかる作業だが、損得抜きで、名もなき人々の苦難にこだわってきた。
! a  Q. w7 f8 G- `) ]
6 m, `, B2 {$ t* D( _7 Y5 G 大所高所からの歴史だけでは「戦争」は見えない。だが小さな物語を丹念に集めていけば、やがてはモザイク画のように実相が浮かぶ。そんな信念に支えられた。20年間の応募は1万3000を超え、収録は1599編にのぼる。「庶民の戦争史」と呼んで恥じない数だろう。
6 l& N0 e) j8 b5 A0 L$ j, O6 K# S' s5 h7 z9 j
 今年は100歳の人の原稿が初めて載った。震えがちな肉筆とともに、介護ヘルパーの聞き書きが同封されていた。「伝えたい」という執念を、福山さんは感じた。
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 体験者の高齢化は進み、4人に3人を戦後生まれが占める時代である。戦争をめぐる日本人の記憶の泉から、わずかに残る水をくみ上げて、「記録」にとどめる。涸(か)れる前に一滴でも多くをと、応募のある限り刊行を続けるそうだ
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发表于 2007-8-7 08:35:32 | 显示全部楼层
天声人語
! D( r% T/ ]2 U. a, g/ m2 D; S2007年08月03日(金曜日)付
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 冬の名曲もあるけれど、亡くなった作詞家の阿久悠さんは「8月の人」だろう。瀬戸内海の淡路島で終戦を迎え、8月15日をつねづね第二の誕生日だと語っていた。' n2 d9 g: U& {4 ^/ G
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 その日の晴れ渡った空を、8歳の阿久さんは、特別の青として覚えていた。あんなに見事な青空は人生で数度の記憶しかない、と回想している(『生きっぱなしの記』)。この日を境に、封印されていたものが一斉に飛び出してきた。3 }0 X- C( |9 i  `

7 [/ @6 V2 d/ a9 n( n) }0 b 流行歌であり、映画であり、野球だった。「民主主義の三色旗」と阿久さんは呼んだ。なかでも野球には、「神が降りてきた感じ」を受けたという。用具はなく、すべて手作り。毛糸を巻いたボールで熱中した日々は、のちに小説「瀬戸内少年野球団」となって実を結ぶ。7 O6 I. _+ G/ E; [9 `

) K! }1 k% C; ? 毎年、高校野球の8月を心待ちにした。「球児は甲子園という聖地への巡礼者」と言い、この二十数年、すべての試合を自宅で見た。この間、仕事は入れない。昼は丼ものしか食べなかった。画面から目を離さずに口に運べるからである。) S) o% T  |5 E# e
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 「三色旗」のひとつの流行歌が、本業になった。「UFO」「勝手にしやがれ」「林檎(りんご)殺人事件」……。破天荒ともいえる表現を次々に繰り出した。秘話に類するのだろう、目指したのは「美空ひばりが歌いそうにない歌」だったという。ひばりとは同い年。畏怖(いふ)や意地など、ないまぜな思いがあったようだ。/ B3 T$ K' h  {( r& p; V& H1 E' a
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 だが彼女の死後は、それを悔やんだ。阿久さんは自著で、一番の心残りを「美空ひばりのために歴史的な詞を提供できなかったこと」とつづっている。
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发表于 2007-8-7 08:36:01 | 显示全部楼层
天声人語
3 O7 U0 g( E& `5 h4 ?1 p# ]2007年08月04日(土曜日)付0 v' F+ G2 O4 F* T$ F' ?) V4 f
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双葉山といえば戦前の大横綱である。前人未到の69連勝を果たした。ついに敗れたとき、館内は静まりかえった。しばらくして、我に返ったような怒号と喚声が渦巻いたという。
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 さすがの「不敗の代名詞」も緊張の糸が切れたのか、翌日、翌々日と連敗した。双葉山は後援者に「我、いまだ木鶏(もっけい)たりえず」と電報を打ったという。木鶏は、中国の故事で、最強の闘鶏のたとえ。木彫りの鶏さながらに、動じることなく勝負に臨む。無心の境地をあらわす言葉だ。
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 相撲は心、技、体だと言う。技と体はともかく、心はまだまだ。電報は、未熟を恥じる意味だったろう。土俵内外でのひたむきな姿勢で、双葉山は求道者(ぐどうしゃ)とも仰がれた。名横綱に比べるのは無粋だが、いまの朝青龍騒動に、古き良き伝説を懐かしむファンもいるだろう。
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 看板役の朝青龍のいない夏巡業は、きのう群馬県を皮切りに始まった。日本相撲協会は「おわび企画」として、急きょ力士の握手会を開いた。騒動は、横綱を甘やかしてきた協会の、大きなツケでもある。
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# u' c7 f0 `, H  H: Y! Q1 N. ] 戦後の大横綱だった大鵬について、名アナウンサー北出清五郎さんが回想している。当時の二所ノ関親方は、大鵬の素質を見込んで英才教育を施した。ほかの弟子とは違う特別扱いである。その一方で、とりわけ厳しく第一人者となるべき心構えを説いたそうだ。9 [6 m3 H1 j$ E

* c' b: e" r; G 大横綱がそびえ立ち、巨木を倒そうと下位の力士が精進を積む。過去の隆盛期には、きまって理想の形があった。真の巨木になれるのかどうか。ここが朝青龍の土俵際である。
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发表于 2007-8-7 08:36:22 | 显示全部楼层
天声人語0 C" w2 \6 d5 F3 `" E
2007年08月05日(日曜日)付4 s0 K9 D# b% c& `

( j( K) w+ r; }. w; v" l, J5 p$ Z4 F江戸城・大奥の礎を固めたのは3代将軍家光の乳母、春日局(かすがのつぼね)とされる。60半ばでの辞世は〈西に入る月を誘(いざな)ひ法(のり)をえて今日ぞ火宅を逃れけるかな〉。欲に満ちた火宅を春日局が仕切った17世紀前半、はるか西方では「イスラムの大奥」が栄華を極めていた。
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 オスマン帝国の都、イスタンブールの輝きを伝える「トプカプ宮殿の至宝展」が、東京・上野の都美術館で始まった(9月24日まで)。1000人もの女性が暮らしたハレム(後宮)の品々は、バラの香りに抱かれて並んでいる。6 m1 {* M4 n' }! N( d" o
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 ハレム、またはハーレムと聞けば殿方は落ち着かないだろう。この言葉は、もっぱら一夫多妻の背徳を帯びて欧州に伝わり、世界に広まった。アングルの「トルコ風呂」(ルーブル美術館蔵)では、多くの裸婦が妖(あや)しく憩う。
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3 }& h9 k$ s3 M2 X9 C1 N 現実のハレムは、世継ぎを争う場だった。奴隷市場から連れてこられた異教徒の美女たちが、作法や教養、歌舞を身につけ、君主スルタンの寵愛(ちょうあい)を競う。首尾よく男子を産めば、母后として国に君臨する道も開けた。
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: L, a! j# o" \& M 化粧箱、羽根うちわ、出産用のいす、ゆりかご。自分を飾り、勝ち残るための道具は華やかで、どこか悲しい。小型のうちわは、見知らぬ男との「会話」にも使われたという。例えば、頬(ほお)からずらせば「愛してる」になった。6 \, m" k( b+ V$ f1 E. B9 W
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 ハレムが育んだ文化は、時が博物館へと押しやった。言葉には官能の澱(おり)だけが残された。大奥と同様、その名が風俗産業に多用されていることを知れば、往時の女性たちはうちわを左耳にあてるかもしれない。「ほっといて」と。
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