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发表于 2007-8-7 08:35:32
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天声人語) G, J6 C; @2 x
2007年08月03日(金曜日)付& B# X/ ]8 e& l5 r7 d! Q2 l) U
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冬の名曲もあるけれど、亡くなった作詞家の阿久悠さんは「8月の人」だろう。瀬戸内海の淡路島で終戦を迎え、8月15日をつねづね第二の誕生日だと語っていた。
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, {9 L; d; G- M' ?3 r* |, L その日の晴れ渡った空を、8歳の阿久さんは、特別の青として覚えていた。あんなに見事な青空は人生で数度の記憶しかない、と回想している(『生きっぱなしの記』)。この日を境に、封印されていたものが一斉に飛び出してきた。# E9 e L, K( |7 ?0 k, a
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流行歌であり、映画であり、野球だった。「民主主義の三色旗」と阿久さんは呼んだ。なかでも野球には、「神が降りてきた感じ」を受けたという。用具はなく、すべて手作り。毛糸を巻いたボールで熱中した日々は、のちに小説「瀬戸内少年野球団」となって実を結ぶ。. B( v. x6 T6 a/ n' K% A: t
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毎年、高校野球の8月を心待ちにした。「球児は甲子園という聖地への巡礼者」と言い、この二十数年、すべての試合を自宅で見た。この間、仕事は入れない。昼は丼ものしか食べなかった。画面から目を離さずに口に運べるからである。4 [1 i) X2 a1 O3 J; D
9 |- r. K2 D5 T3 @/ V 「三色旗」のひとつの流行歌が、本業になった。「UFO」「勝手にしやがれ」「林檎(りんご)殺人事件」……。破天荒ともいえる表現を次々に繰り出した。秘話に類するのだろう、目指したのは「美空ひばりが歌いそうにない歌」だったという。ひばりとは同い年。畏怖(いふ)や意地など、ないまぜな思いがあったようだ。# A9 G8 k5 x& |2 l" P I
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だが彼女の死後は、それを悔やんだ。阿久さんは自著で、一番の心残りを「美空ひばりのために歴史的な詞を提供できなかったこと」とつづっている。 |
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