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『芸者(げいしゃ)』という日本語をご存知ですか?芸妓(げいこ)も芸者(げいしゃ)も全く同じ意味です。関西(かんさい)では芸妓(げいこ)と、それ以外の地域(ちいき)では芸者と呼ばれていることが多いようです。それらは一般的(いっぱんてき)な呼び方で、正式(せいしき)には、『芸妓(げいぎ)』と呼ばれております。
外国人は『芸者』というものを誤解(ごかい)しているように思います。まず知っておいてほしいのは、芸者は売春婦(ばいしゅんふ)ではないということ、少なくとも必ずしも売春行為(ばいしゅんこうい)をするものではないということです。『芸者』を字義(じぎ)どおりにいえば『芸をする人』という意味で、それが本来(ほんらい)芸者がしてきたことなのです。芸者は歌い手であり、踊り手であり、また、三味線(しゃみせん)などの名手(めいしゅ)でした。
芸者は、踊りや三味線、鳴り物など日本の伝統芸能(げいのう)で宴(うたげ)を盛り上げるプロの女性エンターテナーです。三味線を弾く人を『地方(じかた)』、踊りを踊る人を『立方(たちかた)』といいます。ちなみに男性の宴会エンターテナーを『幇間(ほうかん)』通称(つうしょう)『たいこ持ち』といいます。『舞妓(ぶぎ)』は芸妓見習(みならい)中の少女のことで、京都独特(どくとく)の呼び名(な)です。他の地域でも芸者見習いは、『お酌(しゃく)』とか『半玉(はんぎょく)』とか呼ばれます。名前の由来は、まだお酌くらいしか出来ないため、宴席(えんせき)での料金(りょうきん)が芸者の半分(はんぶん)だったからです。
芸者は通常(つうじょう)、『置き屋』と呼ばれるプロダクション(のような所)に属し、『見番(けんばん)』と呼ばれる芸者の斡旋(あっせん)、精算(せいさん)を行う事務所(じむしょ)からの手配(てはい)で、揚屋(あげや)である宿泊施設(しゅくはくしせつ)や料亭(りょうてい)へ派遣(はけん)されます。宴席での料金は花代(はなだい)とか玉代(ぎょくだい)、あるいは線香代(せんこうだい)と言われます。これは昔、時間(じかん)を計るのに線香(せんこう)の燃え尽きる時間を計っていた事によるものです。通常は線香三本分(90分)で一席(いっせき)の料金が決まっており、その後は三十分毎(ごと)に追加(ついか)料金となります。
お茶屋(ちゃや)とは、芸妓を呼んで遊興(ゆうきょう)する場を提供(ていきょう)する店であり、『お座敷(ざしき)』とよばれる部屋(べや)をいくつか持って、お客の要望(ようぼう)に応じて芸妓やお酒、料理など、遊興に必要とする全てのものを段取りする、いわば花街(はなまち)遊びのイベント企画(きかく)会社です。
舞妓(ぶぎ)の装束(しょうぞく)は、振り袖(そで)にだらりと長く垂らした帯(おび)、肩(かた)と袖(そで)に縫い上げを付けておりますのはまだ子供であるという日本古来(こらい)の風習(ふうしゅう)で、京風(きょうふう)の髷(まげ)に花簪(はなかんざし)もたくさんつけて、 あくまでもかわいらしさと幼さを強調(きょうちょう)しております。 この形は、江戸時代末期(まっき)の京都の町娘(まちむすめ)の風俗であると言われております。
芸妓(げいぎ)の装束は、袖も短く、帯は二重太鼓(にじゅうたいこ)、簪(かんざし)も少なくなり、スッキリとした『粋(いき)さ』を表現(ひょうげん)しております。明治維新(めいじいしん)の後、京都で大流行(たいりゅうこう)したという江戸風の島田髷(しまだまげ)が定着(ていちゃく)し、現在に伝えられております。
今は数少なくなりましたが、芸者が出入りする料亭街は花街(はなまち)と言われます。その花街の華やいだ世界である花柳界(かりゅうかい)のいわれは、柳緑花紅(りゅうりょくかこう)(色鮮やかな緑の柳と紅の花)から、あでやかな世界を意味しています。踊りの花柳流(はなやぎりゅう)は西川流(にしかわりゅう)からの分派(ぶんぱ)で、同じ花柳(かりゅう)の名前の元、各地の見番(けんばん)で芸者肖擞护辘蚪踏à皮い敕饯啶い趣M袱ⅳ扦浃丹扦狻⒒ǹ?おいらん)は江戸時代、公許(こうきょ)であった吉原(よしはら)の遊郭(ゆうかく)にいた高級娼婦(こうきゅうしょうふ)で、芸者とは異なります。 |
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