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残酷な話題ー死ぬ

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发表于 2004-2-23 23:00:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
人間は、生まれた時から余命何年かの人生を生きている。

でも、そのことは忘れて過ごしていると思う。

まるで永遠の時間があるかのように。

死ぬ、ということ。どうしてタブーなのだろう。

明日、来年、自分がここにいないかもしれない。

もしそんな事実を叩き付けられたら、何が変わるだろうか?

何が大切になるだろうか?
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发表于 2004-2-23 23:00:00 | 显示全部楼层
死ぬことはもちろんいまでは怖いものだと思う。いい人生を送るように、がんばって、がんばってって毎日覚悟していく。死ぬことぜんぜん考えない、そして考えたくない、でもさ。それは怖いな:)
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发表于 2004-2-24 23:00:00 | 显示全部楼层

私は死ぬより婆になるのがもっと怖いと思う。みんな笑っちゃってだめだよ!    
私は老人になることが一番怖いと思います。死ぬことは一応瞬間のことなんで、その次どうなるか,誰でもわからないでしょう。でも、年取って、体もだんだん動かなくなる。もし頭にははっきりわかってるけど、体が動かないから,一日中べっトで寝るしかない。それは,一番怖いではないか。
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发表于 2004-2-24 23:00:00 | 显示全部楼层
生きっている今現在を大切にしてください。誰も知れない未来を考えることは早すぎる。
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发表于 2004-2-24 23:00:00 | 显示全部楼层
死ぬということを考えれば確かに恐ろしい、妙にびくびくしてくる。死んでしまえば、もう永遠消えてしまうわけだから、なんとなく寂しい。だったら考えないようにするのがポイントかも。充実な毎日を過ごすため、目標を持って、やるべきことを一つ一つと実現していく。結果はどうであれ、精一杯やったつもりですって胸を張って言える自分に誇りを持てると思う。

でも、死は恐ろしいということには変わりがないから、どうしてもそこから抜け出せないというんだっから、宗教を頼りにするしかないかなあ。輪回ってあるの?
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发表于 2004-2-24 23:00:00 | 显示全部楼层
若者は普通あんまり死ぬことを考えないですよね
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发表于 2004-2-24 23:00:00 | 显示全部楼层
普段は考えないけど、周り実際に不幸に遭った人とかの話しが耳に入ったら、やっばりつくづくと考えさせる時もありますよ。

まあ、考えない方がいいね、知らん振りすればいい。
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 楼主| 发表于 2004-2-25 23:00:00 | 显示全部楼层
皆さん、現在の毎日を大事にした方がいい、将来はどうなるか?だれだって知らないから。

ですので、何があっても、自分自身も、周り大切の人にも楽しくさせなきゃ。
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发表于 2004-2-25 23:00:00 | 显示全部楼层
輪回転生のことを信じていますから、死ぬことを全然怖がらないと思いますよ。
心配しているのは死んでから、何を変わることです。だから、今世、できるだけ悪いことをしないように頑張ります。
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发表于 2004-3-1 23:00:00 | 显示全部楼层
何になれば、いいかなあ。この件について、今まで考えたことは無いです。

とにかく、遠い将来のことだと思います。もし、ある日、いきなり死んでしまったら、もう一回人生ゲームを楽しむのも悪くないことですね。
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发表于 2004-3-1 23:00:00 | 显示全部楼层
生有る者は死有り、死があって初めて生がある。



人々は、誰でも、意識していなかったとしても、己の死生観をもっている。しかし、死生観は、精神文化の一種として、社会・文化・時代によって異なる。



死生観を論じるのは、共通点も相違点も、いずれもの死の考察は、よりよい生のためなのである。
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发表于 2004-4-3 23:00:00 | 显示全部楼层


最近、P社に一人のシニアスタッフが自殺した。
同じビッグ4ファームのスタッフとして悲しい。
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发表于 2004-4-6 23:00:00 | 显示全部楼层
人生には一番怖しのは死のことではなく、生きているときの虚しさかもしれない......
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发表于 2004-4-9 23:00:00 | 显示全部楼层
聖人は死に対して何の不安もなく泰然自若としている、

賢人は死を天の定めとして、死を冷静に理解している、

常人は死に対して畏怖の念を抱いている、と言うのである。(誰が言うから~~)

昔、僕はお父さんの書斎にこもって、古い革のソファの上に座れ、多くの本は手にとって開いて、ページの間から本の独特な匂いを吸いながら、これ古語を読んだことがある、皆様、聞いたことがありませんか。あの本は旧いし、厚いし、すごく超重いですよ。(本の名前も忘れちゃんだ)!当時にも生噛りであまりよくわからない。親まで聞いてみて、「いいから、いま解らないでもけっこうですよ、かならず覚えてね、将来は自分で解るって、、、、、」と親は答えた。

そうね、いま年をとって、だいたいわかります。生物はすべて死を畏れるが、人間は万物の霊長であり、死を畏れる中から、死を畏れない理屈を選び出していくべきだと思います。自分の体は天から授かったもので、死生(自殺を除く)の権利は自分ではなく天にある。それゆえに、従順に天命に従うのは当然だ。私たちは生まれる時には喜びも知らないが、死ぬときも悲しみは知らないものでしょう。天が変な奴を生かし、死なすのであるから、死生は天に(お願い)一任し、好きなことしなくちゃ~~~、何も畏れることはいらないさ!

「皆様、現実は簡単ではなく、私ども聖人ではないから、できるだけ賢人になるべく、確りした死生観を若い頃から、身につけておきたいものだ」 と思います、僕はそんな風に考えて04年の春を迎えた。



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