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[翻译问题] ”秦腔’的翻译  秦の声 对吗

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发表于 2008-2-18 11:41:15 | 显示全部楼层 |阅读模式
秦腔怎么翻译最合适那,陕西的秦腔,谢谢
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发表于 2008-2-18 12:13:10 | 显示全部楼层
不要翻 就写原文比较好
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发表于 2008-2-18 12:27:24 | 显示全部楼层

ご参考まで


「陕西の秦弁」でどうですか?
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发表于 2008-2-18 15:51:44 | 显示全部楼层
秦腔とは中国西北地区を代表する地方劇で、多くの民衆に親しまれている。
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发表于 2008-2-18 15:52:01 | 显示全部楼层
秦腔(陝西省で行われる地方劇の一種)
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发表于 2008-2-18 15:52:42 | 显示全部楼层
秦腔は、一見京劇とまったく同じように見えますが、セリフがすべて陝西方言で話され、楽器の構成が京劇とは異なるのだそうです。 ... 秦腔とは主に西安地方で有名な中国の地方劇です。しかし、その影響力は陝西省全域、甘粛省、寧夏回族自治区、青海省、 ...
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发表于 2008-2-18 15:52:56 | 显示全部楼层
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秦腔の歴史



秦腔の歴史紹介(歴史簡介):秦腔とは主に西安地方で有名な中国の地方劇です。しかし、その影響力は陝西省全域、甘粛省、寧夏回族自治区、青海省、新疆ウイグル族自治区などにも及び、中国西北部の最も代表的な地方劇の一つに数えられています。(この他にも、中国西南部のチベットや四川省の一部、中原地域の晋西、豫東や河北、東北地域の大慶、東南地域の広東省、福建省、宝島・台湾などの一部、そしてキルギスタン共和国などにも秦腔の影響は見られます。)しかも秦腔は、昆曲、弋陽、柳子などと共に、南昆(南の昆曲)、北弋(北の弋陽)、東柳(東の柳子)、西木邦(西の木邦子:秦腔)として、中国の古代戯曲の四大声腔体系の一つとして並び称されています。


ところで、悠久の歴史を持つこの秦腔の起源については、現在でも幾つかの説があり、秦腔の源流に関する議論は未だに完全に解決していません。例えば、その起源を周や秦の時代に求める周秦説、古代民間音楽舞踊の基礎の上に周秦時代の礼楽によって洗練されたとする秦漢説(焦文彬氏の『秦腔史稿』に詳しい)、安史の乱によって唐の宮廷所属の梨園師弟たちが西北各地に散らばり、その過程で彼らの芸能が各地の民間楽舞と次第に融合して秦腔を形成したとする唐代説、金元北曲の一派としてのその接点を強調する金元説、明の伝奇(長編戯曲)との接点を見出す明代説などがあります。そして、明代の歴史資料に秦腔の名で明らかな記載が残されており、それ以前の歴史資料には必ずしも明らかな記載が残されていないことから、記載があった明の万歴年間よりも若干遡った明代中頃には、秦腔は少なくとも存在していたとする説が有力となっています。


このように悠久の歴史を持つ秦腔は、その積年の歴史的発展の中で、各地の民の言語環境や生活習慣の違いと結びついて、様々な流派を生み出して来ました。例えば、清の乾隆年間には、渭河(黄河の支流)以北と以南に大きく分かれる流派がありました。さらに、前者の渭北派の中には同州腔、後者の渭南派の中には渭南腔、礼泉腔、周至腔などがありました。さらにその後、それらが東府秦腔(同州木邦子とも呼ばれ、大茘、蒲城一帯で盛んである)、西府秦腔(宝鶏、鳳翔、岐山、隴県、甘粛省天水一帯で盛んである)、西安秦腔(西安及びその近辺で盛んである)、南路秦腔(陝南漢中地方で流行っており、漢調桄桄とも呼ばれる)などに分かれたと言われています。ただし、西安は陝西地方の交通に恵まれた要衝で、経済と文化の中心地ということもあって、これら各流派の中でも西安秦腔が、別名で西安乱弾とも呼ばれて、芸術的発展の機会に最も恵まれて来ました。今日、一般に秦腔と言う時、いわゆるこの西安秦腔を指すことが多いです。


さて、中国全国でこの秦腔の名を高めるきっかけを作った者に、魏長生という人物がいました。もともとは四川人であった魏長生は、少年時代(1757年頃)に親に従って陝西省にやって来て、現在の陝西省・大茘や蒲城辺りで民間にあった秦腔戯班(当時の劇団)に加わり、秦腔役者の道を歩み始めました。その後、秦腔の名優として成長した魏長生は、清の乾隆年間に幾度も自分の秦腔班を率いて北京を訪れ、北京の舞台で当時盛んであった京腔(弋陽腔が変貌して出来たと言われている演劇)を圧倒しました。さらにその後、全国を遍く走破した魏長生は、秦腔の存在感を全国的に高めて、形成期の京劇にも大きな影響を与えました。この魏長生などの働きによって、秦腔は清の乾隆年間(1736~1795)に一つの黄金時代を迎えて、全国の多くの地域で秦腔班社(当時の劇団)が数多く作られました。西安地方だけでも約36もの秦腔班社が存在していたと言われておりますから、当時の秦腔のその盛況振りは大変なものであったことが覗われます。


その後、秦腔はかつての乾隆年間ほど全国的な演出活動をすることが徐々になくなって、主に陝西省を中心とする地方を根城とするようになって来ましたが、清の光緒年間(1875~1908)になっても陝西省近辺でのその勢いは大変盛んでした。そして、辛亥革命の翌年の1912年に西安易俗社が創設されると、豊富な人材を擁し、民主主義革命思想に基づいた近代的組織を持つ西安易俗社によって、秦腔は多くの改良を加えられました。この西安易俗社の主な活動については、既に西安易俗社の歴史(歴史簡介)で紹介した通りですが、秦腔は西安易俗社の活動の下に、中国演劇史に様々な影響を与えました。


他方、革命の聖地と目される陝西省・延安で、1938年に創設された陝甘寧邊区民衆劇団によって、日中戦争や国共内戦などで苦難に喘ぐ民を啓蒙するために作られた新編歴史劇や現代劇などの分野で、秦腔はもう一つの新たな時代を迎えました。1949年の建国後、この陝甘寧邊区民衆劇団は、最終的に現在の陝西省戯曲研究院として合併・再編成されましたが、その名の通り、同研究院は上演活動だけでなく研究活動も活発に行って、秦腔音楽や脚本などの多方面の改良を積み重ねて、いわゆる新秦腔と呼ばれる秦腔を創り上げて来ました。


なお、この秦腔の演劇としての特徴ですが、いわゆる行当(劇の役柄)は、主に老生、鬚生、小生、幼生、老旦、正旦、小旦、花旦、武旦、媒旦、大浄、毛浄、醜(道化役)など十三類(呼び名も京劇とは若干異なる)に分かれています。特に、花臉(悪役)の大音量で、声高・激越する歌い方は有名です。また、文場(弦楽伴奏楽器)には二弦子、板胡、二胡、笛子、三弦、揚琴などが使われおり、武場(打楽器伴奏)には暴鼓、干鼓、堂鼓、勾鑼、小鑼、木邦子などが使われています(建国後は一部の西洋楽器も使われるようになりました)。


いわゆる特技(難度の高いパフォーマンス)では、吐火や吹火などの火を操る技が有名で、身段(しぐさ)の分野では、拉架子、担柴担、水担などと呼ばれるものが有名です。劇目(演目)に関しては、いわゆる「列国」、「三国(三国演義物)」、「楊家将」、「説岳」などの小説を題材とした物が多く、その他の神話物や現代劇なども含めると、総演目数は約1万を超えると言われており、演目数では中国の数ある演劇の中でもトップクラスです。ただし、打ち続いた戦乱と革命のため、その多くは流失してしまって、現在ではおよそ4700余りしか残っていないと言われています。

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发表于 2008-2-18 15:54:29 | 显示全部楼层
中国の戯曲芸術 — 秦腔  (07.08.27)   
  






 中国の戯劇は大きく分けて、発祥が東南のものと西北のものの2種類があります。西北の戯劇は、主に秦腔とされています。秦腔は中国でも最古の演劇の一つで、西北地域の優秀な文化を代表するものです。歴史が古くて地域の特色を色濃く残し、一般民衆の間に浸透しています。
 秦腔は乱弾とも呼ばれ、起源は西秦腔です。西北部の陕西はじめ甘粛、青海、寧夏、新疆などで流行し、ナツメの木で作った梆子(拍子木)を使うため、甘粛では「梆子腔」という呼び方もあります。甘粛の古地名は「西秦」だったので、秦腔の名称もここから来ています。清朝の康熙帝の時代が最も発展・成熟した時期でした。乾隆年間には北京でも上演され、またたくまに都中の話題になりました。各地で育った梆子声腔に直接影響を与える存在になったのです。
 秦腔は節回しとリズムで変化をつけてゆきます。節回しには「歓音」と「苦音」の2種類があり、前者は喜びや嬉しさ、後者は悲憤や沈んだ情感を表現し、劇中のムードや人物によって選びわけられます。板式と呼ばれるリズムには慢板、二六、代板、起板、尖板、滚板、花腔などがあり非常に豊富です。演奏に使うメイン楽器は胡弓の一種「板胡」で、とがった高い音が出ます。秦腔の表現法は質朴で荒さと細かさが融合し、情感も豊かで見る人をグッと引き付けます。
 役柄は大きく「四生(男性)」、「六旦(女性)」、「二净(荒々しい男性)」、「一丑(道化役)」の計13個に分かれています。辛亥革命後、西安で秦腔をメインに演じる「易俗社」という劇団が設立され、京劇はじめ各種戯劇の要素を取り入れた改革を行いました。節回しも、高く激昂した調子から柔和で優しい調子まで細かくアレンジし、元々の秦腔を基盤に新たな格調を生み出したのです。秦腔の深みのある謡いは陕西人の感情の奥底を表現したものです。
 秦腔の起源は古代の陕西や甘粛一帯にあった民間の歌舞踊です。この一帯は古代中国において、政治・経済・文化の中心だった場所で、歴代の芸術家たちが民間の芸能をだんだんと発展させてゆきました。秦腔が流行したそれぞれの場所によって、違った流派も生まれました。西安一帯のものが秦腔と呼ばれたほか、関中東部渭南地区の大荔や蒲城近辺のものは東路秦腔、関中西部宝鶏地区の鳳翔・岐山・隴県や甘粛省天水一帯のものは西路秦腔、漢中地区の洋県・城固・漢中・沔県一帯のものは漢調恍恍とされました。
 うち、西路秦腔は四川に入って梆子になり、東路秦腔は山西に入ったものが晋劇、河南に入ったものは豫劇へと発展し、秦腔は京劇はじめ各地の有名な戯劇のベースになったのです。

 秦腔の演目は、現在数えてみると約3,000にもなります。「列国」「三国」「楊家将」「岳飛」など英雄物語や悲劇、神話、民間の昔話などジャンルもたくさんです。古典的な秦腔は2005年、2つの大きなニュースをきっかけに注目を集めました。一つは蘭州市が「中国秦腔発展都市」に指定されたこと、もう一つは陕西省が秦腔を無形文化財に指定したことで、中国で初めて国家レベルでの無形文化遺産保護目録に組み入れられたことによるものです。
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 楼主| 发表于 2008-2-18 21:37:32 | 显示全部楼层

どうもありがとうございました

学生です、よろしくお願いします、手伝ってもらって楽しかったです
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