復活祭(ふっかつさい)はキリスト教の典礼暦における最も重要な祝い日で、十字架につけられて死んだイエス・キリストが三日目によみがえったことを記念する。典礼暦においては復活祭からペンテコステ(聖霊降臨)にいたる二ヶ月間は「復活節」と呼ばれる。「復活の主日」、あるいは「イースター」とも言われる。復活祭そのものは移動祝日といわれるもので、その年によって日付が変わるが、基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われている。(復活祭の日付については後述。)
本項ではカトリック教会やプロテスタントの諸教会など西方教会における復活祭について述べるため、東方正教会の復活祭(復活大祭)に関しては復活大祭の項を参照のこと。
名称と起源
英語とドイツ語以外のヨーロッパ諸言語における「復活祭」という言葉は、すべてギリシャ語の「パスカ(Πάσχα)」に由来しており、その言葉も元をたどればユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭り」を表す「ペサー」(Pesach)という言葉から出ている。これはキリスト教の復活祭がユダヤ教の「過越の祭り」から生まれた祝い日であることを示している。ちなみに復活祭を表す英語「Easter」およびドイツ語「Ostern」はゲルマン神話の春の女神「エオストレ(Eostre)」の名前、あるいはゲルマン人の用いた春の月名「エオストレモナト(Eostremonat)」に由来しているといわれる。8世紀の教会史家ベーダ・ヴェネラビリスはゲルマン人が「エオストレモナト」に春の到来を祝う祭りをおこなっていたことを記録している。実際、復活祭の習慣の中には、このゲルマン人の祭りに由来すると思われるものもある。たとえば、復活祭に色をつけた卵を配る「イースターエッグ」や多産の象徴であるうさぎが復活祭のシンボルとされていることがそうであると考えられる。
復活祭の日付について
西方教会(カトリック教会やプロテスタント等)での各年の復活祭
2000年 4月23日
2001年 4月15日
2002年 3月31日
2003年 4月20日
2004年 4月11日
2005年 3月27日
2006年 4月16日
2007年 4月8日
2008年 3月23日
2009年 4月12日
2010年 4月4日
2011年 4月24日
復活祭は移動祝日といわれ、もともと太陰暦にしたがって決められた日であったため、太陽暦では年によって日付が変わる。グレゴリオ暦を用いる西方教会では、復活祭は3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日に祝われる。国によってはキリスト教の習慣に従って翌日の月曜日も休日にすることがある。ユダヤ人が用いていた太陰暦では、過越の祭りは「ニサンの月」(ユダヤ教の暦で3月~4月にあたる月)の14日に固定されている。
もともとは復活祭はユダヤ教の過越の祭りと同じ日に祝われていたと考えられている。しかしキリスト教がユダヤ教から離れ、各地に広まっていく中で、復活祭をいつ祝うかということで2世紀頃から論争が起こることになった。これを「パスカ論争」という。
すなわち小アジアの教会はユダヤ教以来の伝統に従ってニサンの月の14日を復活祭をして祝っていたため、平日に復活祭が祝われることもあった。一方、ローマをはじめ多くの教会では日曜日を主イエスの日として尊重するため、復活祭も「ニサンの月の14日の後の最初の日曜日」に祝う習慣であった。初期キリスト教では、各地方に根付いた習慣は排斥されることがなく、論争の過程でも、むしろそれぞれの地方の慣習と伝承を尊重することが勧告されたが、やがてどちらか一方に統一しようという動きが強まった。
325年におこなわれた第1ニカイア公会議は小アジアの教会の主張を退け、全教会で復活祭を同じ日曜日に祝うことを決議した(残念ながらこの公会議の文書資料は残されていない)。そこで、復活祭を決定する権限は誰にあるのかという問題が起こってきた。公会議はとりあえずアレクサンドリアの教会に復活祭の日付の決定をゆだねている。なぜなら当時アレクサンドリアが地中海世界でもっとも学問の盛んな都市だったためである。
アレクサンドリアの教会では、復活祭は「(太陽暦でいうところの)3月21日以降で最も早い(太陰暦の)14日の次の日曜日」に祝う習慣であったため、東方の教会はニカイア公会議の決定に従ってこのアレクサンドリア方式を採用した。しかし、この決定方法は非常にわかりにくいものだったので中世になるとこれが「復活祭は春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」という表現に変化していった。
一方西方のローマ教会は6世紀までは独自の方法で復活祭を算出していたが、アレクサンドリアの教会の手法を(ローマで用いられていた)ユリウス暦に適応させる方法がディオニシウス・エクスギウスによって編み出されたことでようやくその決定法を採用することになった。イギリスやフランスなどの各地でも当初はローマ式の方法が採用されていたが、やがてディオニシウスの方法が採用され、ようやく復活祭の日付がヨーロッパの全キリスト教会で統一されることになった。しかし、16世紀になって西欧社会がグレゴリオ暦を採用したことで、ユリウス暦を用いつづけた東方教会との間で再び復活祭がくい違うという現象が起こるようになった。
1997年にシリアのアレッポでキリスト教諸派の代表が集まっておこなわれた世界キリスト教協議会では復活祭の日付の確定法の再検討と全キリスト教における復活祭の日付の統一が提案された。この問題は現在でも協議が続けられているが、いまだに統一には至っていない。
ある人々は復活祭の日付が移動することや教派によって日付が異なることの不便を解消するため、思い切って月齢と復活祭を切り離すことを提案している。たとえば4月の第二日曜日に固定するなどの意見が出されているが、まだ広範な支持を受けるまでには至っていない。
西方教会において、最も早く復活祭が祝われる可能性がある日は(グレゴリオ暦の)3月22日である。これは最も最近では1818年にそうなっていた。次にこの日が復活祭になるのは2285年のことである。逆に最も遅い日は4月25日である。最も最近でこの日が復活祭となったのは1943年のことであり、次は2038年になる計算である。
典礼暦における位置づけ
カトリック教会やプロテスタント教会では、復活祭の前に40日の四旬節が置かれる。ただし、この40日には日曜日を含めないので、四旬節は灰の水曜日に始まり、復活祭の日に終わる。特に復活祭前の一週間は「聖週間」と呼ばれ、典礼の中で非常に重要な位置を占めている。まず復活祭前の日曜日はパーム・サンデー(日本語では枝の主日、復活前主日、棕櫚の主日、受難の主日など)と呼ばれる。この週の木曜日から土曜日までは特に、聖木曜日(洗足木曜日)、聖金曜日(Good Friday、受難日、受苦日)と呼ばれ、特別の儀式が行われる。多くの教派では復活祭の祝いが始まるのは(ユダヤ暦が日没を一日の始まりとすることから)土曜日の夜からであり、これを復活徹夜祭などと呼ぶ。特に「聖なる過越の三日間」と呼ばれる木曜日の日没から日曜日の日没までは、受難と死と復活という主の過越の出来事を忠実に再現し祝っている。
復活祭から始まる季節が「復活節」であり、ペンテコステ(聖霊降臨)の日まで7週間続く。
復活祭に関する習俗
イースター・エッグ
復活祭にかかわる習俗としてもっとも有名なものにイースター・エッグ(Easter egg)がある。これは復活祭に殻に鮮やかな彩色を施したり、美しい包装をしたゆで卵を出す習慣である。国や地域によっては、復活祭の際に庭や室内のあちこちに隠して子供たちに探させるといった遊びもおこなわれる。近年では卵だけでなく、卵をかたどったチョコレートも広く用いられている。これはもともとヒナが卵から生まれることをイエスが墓から出て復活したことを結びつけたものといわれている。
イースターエッグに関連して、王侯貴族などが作成させた金銀宝石で飾られた高級美術品としてのイースター・エッグもある。特にロシア帝国ロマノフ朝のニコライ2世が母や妻に贈るために作らせたものが有名。
ウィキメディア・コモンズに、イースターエッグに関連するマルチメディアがあります。また、上記のイースターエッグの探し物遊びにちなんで、ソフトウェアの中に開発者がまぎれこませたメッセージ(開発チームスタッフへの謝辞やスタッフロール)のことも「イースターエッグ」と呼ばれる。通常の操作の範囲内では明らかになることはないが、通常は公開されない特殊な操作を行うと起動するようになっている文言や画像のことが多い。いわゆる「隠しコマンド」で、バグではなくユーモアの範囲と見なされる。 |