虹という漢字が、どうして虫偏(むしへん)なのか、不思議に思ったことはありませんか?
爬虫類(はちゅうるい)の動物にも、蛇(へび)、蛙(かえる)など、虫偏がつきますね。
中国の人は、虹というのは、龍が天に上がる姿だと思っていたそうです。それで、虫偏になったというわけです。
龍は想像上の動物ですが、雷雲を呼んで、天に上がるといわれます。
恵みの雨のあとにかかる虹を見て、これこそ、龍の姿だと思ったのでしょう。
虹からは、さまざまな伝説が生まれました。
天と地を結ぶかけ橋、神の世界と人間の世界を結ぶ道、虹の袂(たもと)には宝物が埋まっているなど。。。
空が泣いたあとに劇的に現れる七色の虹は、希望の形そのもの。
大自然から私たちへのすばらしい贈り物用に思えます。
虫偏(むしへん) 名 虫字边
袂(たもと) 名 脚下 袖子
劇的に(げきてきに) 副 戏剧性的
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霧(きり)と靄(もや)、そして霞(かすみ)は、科学的には同じ現象なのだそうです。とはいえ、気象用語に霞はありません。
それでも、ずっと昔から、私たちは、霞は春にたなびくもの、霧は秋に立ち込めるもの、そんなイメージで親しんできました。
「霞の衣(ころも)」は、春に霞がかかっている様子を衣に見立てたものです。
大自然がまとう春の衣装は、霞でできているのですね。空も山も海も道も、うつすらと霞の衣をまとって、ほのぼのとたたずんでいます。
不老不死(ふろうふし)の仙人(せんにん)は、霞を食べていたといわれるところから、「霞の命」は、非常に長寿(ちょうじゅ)であることをいいます。
今のうちに、存分に、霞を味わっておきたいですね。春にしか、そして、私たちの言葉の中にしか、霞を存在しないのですから。。。
たなびく 自五 拖长 霞雾飘渺的样子
立ち込める(たちこめる) 自一 弥漫 笼罩
見立てる(みたてる) 他一 比做
ほのぼの 副 朦胧 模糊
佇む(たたずむ) 自五 伫立
存分に(ぞんぶんに) 副 充分的 尽情的
うつすら 副 隐约 朦胧