15【擬人法】
ある事柄を人間の行為や感情になぞらえる表現技法。想像力を呼び起こし、読み手の注意を惹きつけることができる。例えば:
小倉山 峰のもみぢば こころあらば 今ひとたびの みゆき待たなむ
[26/雑/貞信公/拾遺集]
「小倉山」はいうまでもなく京都嵯峨野にある名山。定家がこの「小倉百人一首」を撰したのもこの山の山荘である。ここでは小倉山の峰の紅葉を擬人化にする、その美しさをそのままに、どうか散らずにいておくれ。もう一度帝の行幸の日を待っていて欲しい。
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ
[36/夏/清原深養父/古今集]
ここでは月を人間になぞらえている。 (月は、夜歩き、昼間はどこかの雲に宿をとって寝る)
16 【見立て】
和歌に多く用いられる「見立て」の表現は、本来はまったく別のものであるものを、共通点に着目して、同じものだとして考えたり扱ったりすることで、いわゆる「比喩」のことである。例えば:
田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
[4/冬/山辺赤人/新古今集]
富士が真っ白な衣を着ている、と見立てたことになる。
天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
[12/雑/僧正遍昭/古今集]
舞姫を天女に見立て、空の風に向かって呼びかけるという趣向には柄の大きな華やかさがある。
山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり
[32/秋/春道列樹/古今集]
事実としては、山の中の川に散った紅葉が流れきらないのを、しがらみをかけたとしている。此れは「紅葉」を「しがらみ」に見立てたもの。また、本来しがらみは人がかけるものなのに、風がかけたとしている。これは「風」を擬人化したものである。
「見立て」で、いろいろな歌を調べまして、【なれや】という現象を発見することができる。
17 【なれや】
『古今和歌集』の中の恋の歌に「なれや」を使ったものがいくつかある。「なれ」は断定「なり」の已然形、「や」は疑問の係助詞である。「AはBなれや」という構文で、「AはBなのだろうか、そうではないのだけれどなあ」という、ついついぼやきたくなるような思いを表現する。例えば:
秋の野に 置く白露は 玉なれや つらぬきかくる くもの糸すぢ
[古今和歌集/巻四/225/文屋朝康]
秋の野に置く白露は珠であろうか、蜘蛛の糸がそれを貫いて掛けている、という歌。 "つらぬきかくる" は、貫いて(草などの間を)渡している、という感じか。 この歌は 「白露=玉」の譬えを 「蜘蛛の糸」で再び写実に戻しているところがポイントである。 「白露」も 「蜘蛛の糸」も透明なイメージがあるので、その背景である "秋の野" をどう見るかによって印象が変わってくる。
わが恋は 深山隠れの 草なれや 茂さまされど 知る人のなき
[古今和歌集/巻十二/560/記友則]
この和歌は、「我が恋」を「深山隠れの草」に見立てています。
附1、和歌の歴史 咖啡日语 Ver.7 Created by Mashimaro
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