最早十一時をや過ぎけん。モハビツト、カルル街通ひの纖道馬車の軌道も雪に埋もれ、ブランデンブルゲル門の畔の瓦斯燈は寂しき光を放ちたり。立ち上らんとするに足の凍えたれぱ、兩手にて擦りて、漸やく歩み得る程にはなりぬ。
足の運びの捗らねば、クロステル街まで來しときは、半夜をや過ぎたりけん。ここ迄來し道をぱいかに歩みしか知らず。一月上旬の夜なれば、ウンテル、デン、リンデンの酒家、茶店は猶ほ人の出入盛りにて賑はしかりしならめど、ふつに覺えず。我腦中には唯々我は免すべからぬ罪人なりと思ふ心のみ滿ち滿ちたりき。
四階の屋根裏には、エリスはまだ寝ねずと覺ぼしく、烱然たる一星の火、暗き空にすかせぱ、明かに見ゆるが、降りしきる鷺の如き雪片に、乍ち掩はれ、乍ちまた顯れて、風に弄ぱるゝに似たり。戸口に入りしより疲を覺えて、身の節の痛み堪へ難けれぱ、這ふ如くに梯を登りつ。庖厨を遇ぎ、室の戸を開きて入りしに、机に倚りて襁褓縫ひたりしエリスは振り返へりて、「あ」と叫びぬ。「いかにかし玉ひし。おん身の姿は。」
驚きしも宜なりけり、蒼然として死人に等しき我面色、帽をぱいつの間にが失ひ、髪は蓬ろと亂れて、幾度か道にて跌き倒れしことなれば、衣は泥まじりの雪に汚れ、處々は裂けたれぱ。
余は答へんとすれど聲出でず、膝の頻りに戰かれて立つに堪へねぱ、椅子を握まんとせしまでは覺えしが、その儘に地に倒れぬ。
人事を知る程になりしは數週の後なりき。熱劇しくて譫語のみ言ひしを、エリスが慇にみとる程に、或日相澤は尋ね來て、余がかれに隠したる顛末を審らに知りて、大臣には病の事のみ告げ、よきやうに繕ひ置きしなり。余は始めて病牀に侍するェリスを見て、その變りたる姿に驚きぬ。彼はこの數週の内にいたく痩せて、血走りし目は窪み、灰色の頬は落ちたり。相澤の助にて日々の生計には窮せざりしが、此恩人は彼を精神的に殺しゝなり。