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芥川龙之介《秋》(日文版)。。。
时间:2007-03-15 19:07:52  来源:|  作者:

秋(芥川龍之介)

 信子は女子大学にゐた時から、才媛(さいゑん)の名声を担(にな)つてゐた。彼女が早晩作家として文壇に打つて出る事は、殆(ほとんど)誰も疑はなかつた。中には彼女が在学中、既に三百何枚かの自叙伝体小説を書き上げたなどと吹聴(ふいちやう)して歩くものもあつた。が、学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家(ごけ)を立て通して来た母の手前も、さうは我儘(わがまま)を云はれない、複雑な事情もないではなかつた。そこで彼女は創作を始める前に、まづ世間の習慣通り、縁談からきめてかかるべく余儀なくされた。
 
  彼女には俊吉(しゆんきち)と云ふ従兄(いとこ)があつた。彼は当時まだ大学の文科に籍を置いてゐたが、やはり将来は作家仲間に身を投ずる意志があるらしかつた。信子はこの従兄の大学生と、昔から親しく往来してゐた。それが互に文学と云ふ共通の話題が出来てからは、愈(いよいよ)親しみが増したやうであつた。唯、彼は信子と違つて、当世流行のトルストイズムなどには一向敬意を表さなかつた。さうして始終フランス仕込みの皮肉や警句ばかり並べてゐた。かう云ふ俊吉の冷笑的な態度は、時々万事真面目な信子を怒らせてしまふ事があつた。が、彼女は怒りながらも俊吉の皮肉や警句の中に、何か軽蔑(けいべつ)出来ないものを感じない訳には行かなかつた。
 
  だから彼女は在学中も、彼と一しよに展覧会や音楽会へ行く事が稀ではなかつた。尤(もつと)も大抵そんな時には、妹の照子も同伴(いつしよ)であつた。彼等三人は行きも返りも、気兼ねなく笑つたり話したりした。が、妹の照子だけは、時々話の圏外へ置きざりにされる事もあつた。それでも照子は子供らしく、飾窓の中のパラソルや絹のシヨオルを覗き歩いて、格別閑却された事を不平に思つてもゐないらしかつた。信子はしかしそれに気がつくと、必(かならず)話頭を転換して、すぐに又元の通り妹にも口をきかせようとした。その癖まづ照子を忘れるものは、何時(いつ)も信子自身であつた。俊吉はすべてに無頓着なのか、不相変(あひかはらず)気の利いた冗談(じようだん)ばかり投げつけながら、目まぐるしい往来の人通りの中を、大股にゆつくり歩いて行つた。……

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