自考[日语翻译一]教材概述部分的改错题
时间:2007-03-26 10:52:29 来源:黑夜过客|http://www.coffeejp.com/bbs/viewthread.php?tid=144196&e 作者:
翻译考试会出现改错题,其实其他的部分也会出,但内容实在太多,来不及整理.先理了一个[概述]部分的一些段落,仅供参考!
日本語翻訳(改错题)
§概述
(1)
部屋は渡辺老人のいったように四畳半であった。だが、妙に細長く見えた。それは、あとで私に納得がいったのだが、隣の中学生のいる部屋をつくるために、黄色く火に焼けた古畳が不揃いに狭くきられていたからであった。
原文:屋子如渡边老人所说的,是四张半席子。奇怪的是细长细长。事后我才了解,原来是为了给中学生分出隔壁的那间房屋,特用风吹日晒得黄焦焦的席子,参差不齐地铺了一间狭小的睡铺。
正解:屋子如渡边老人所说的,是四张半席子大小。不过房间看起来又细又长显得怪怪的。这一点事后我才明白,原来是为了给中学生分出隔壁的那间房屋,才把这屋里晒得焦黄的席子,参差不齐地剪去了一条。
(2)
三景書房は前から知り合いでしたし、新しく文化雑誌を出す計画があったもんですから、その雑誌の編集長に推薦したわけです。そして神坂の手によって創刊されたのが東西文化という雑誌なんです。それと同時に僕は三景書房の希望にしたがってその雑誌の編集顧問という立場についたわけです。
原文:三景书房那方面的人与我是旧交,他们计划新出一种文化杂志,我就向总编辑推荐了神坂,并由神坂负责创刊了《东西文化》杂志。同时,我也应三景书房的邀请担任了该杂志的编辑顾问。
正解:我和三景书房的人早就熟识,得知该社计划出一种新的文化杂志,我乘机推荐神坂去当总编,这就是神坂一手创刊的《东西文化》杂志。与此同时,应三景书房的请求,我担任了《东西文化》的顾问。
(3)
部屋の広さは八畳でした。床の横に違い棚があって、縁と反対の側には一間の押し入れがついていました。窓は一つもなかったのですが、その代り南向きの縁に明るい日がよく射しました。
原文:房间八铺席大,摆设台侧面有交错的搁板。面对走廊,附有一口壁橱,窗一扇也没有,但是朝南的走廊替代了窗,明亮的阳光很容易照进来。
正解:房间的面积有八铺席大,摆设台上有百宝格,与廊檐相对的另一边有个壁橱。屋里没有一扇窗户,但朝南的一面去掉隔扇,阳光便可以通过廊檐下的过道照进来。
(4)
日曜日のことであったが、いつものように私がおそい朝飯を食べていると、郵便配達夫が小包を配達して来た。福井義冶―隣の中学生の名宛であった。それを、私は二階の自分の部屋にかえるついでに、中学生の部屋にもっていってやった。表書の字は上手な女文字であり、裏がえすと、おそらくは母親であろう―福井まさ、という名前が書かれてあった。
「福井君、小包だよ。」
私はそういって隣の部屋に声をかけた。中学生に似ぬ太い声がきこえ、むくんだような顔がその部屋からのぞいて小包を受け取ったか、……
原文:那是一个星期天,我照例早饭吃得较晚。邮差送来了一个邮包,寄给福井义治,这就是隔壁中学生的名字。我回二楼自己的寝室时,顺便捎去了这个邮包,因而走进了中学生的房间。邮包正面的字是女人写的,字体清秀,落款的名字是福井正。这恐怕是他母亲的手笔。
“福井,你的邮包。”
我向隔壁喊了一声,回答是粗声大气,不像个中学生。随后探出了一张浮肿的脸,收下了邮包。
正解:那是一个星期天,我照例早饭吃得较晚。正吃着,邮差送来了一个邮包,是寄给福井义治——隔壁中学生的。我回二楼自己的房间时,顺便把这个邮包带了上去。邮包正面是漂亮的女体书法,反面的落款是福井正——大概是他的母亲吧。
“福井,你的邮包。”
我向隔壁喊了一声,他立刻答应了。不过声音太粗,不像个中学生。他从门口探出一张浮肿的脸,收下了邮包。
(5)
世界中には、たくさんのことわざがあります。しかし、先人の「これだけは、忘れないでくれ。」という、子孫への思いや戒めには、似たものが多いのかもしれません。
原文:世界上有许多谚语。但是先辈抱着“唯此勿忘”的愿望给子孙留下的希望和告戒里相似的话也许很多吧。
正解:世界上有许多谚语。不过,先人们说过这样一句话——“唯此勿忘”,他们把这句话留给子孙。在先人们留给子孙的希望之语和告戒之词中或许也有不少和这句话意思相近,相似的说法。
(6)
やがて淮河を渡る。列車は先日、そこに立って、倦かず夕焼けの空を眺めた負函の遺跡の中を通過してゆく。贅沢な列車だと思う。「近き者悦び、遠き者来る。」と孔子が称えた、往古の政治の町とも、軍都とも受け取れる歴史の街が埋まっている地帯を、列車は烈しい音を立てて、北へ向って行く。
原文:不久将渡淮河。列车前几天曾停在这里,不倦地眺望负函遗迹的天空晚霞,现在却要穿行而过。真是奢侈的列车。列车发出轰响,将经过这被孔子称为“近者悦,远者来”的往古政治,军事之重镇,向北驶去。虽然它的历史街区尚埋在土地之中。
正解:不久,列车将渡淮河。前两天,我还曾站在这里,不倦地眺望着负函夕阳似火的天空。现在列车却疾驶而去,真是骄奢之极。负函是被孔子盛赞为“近者悦,远者来”的古代政治,军事重镇,也是一座尚未挖掘出来的历史小城。然而现在列车却毫不理会地轰鸣着穿行而过,径直向北驶去。
(7) ★
8月15日の正午から午後一時まで、日本じゅうが、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な页を音もなくめくったのであった。
東北の小さい田舎町までも、暑さとともに凝固させた深い沈黙は、これまでひろ子個人の生活にも苦しかったひどい歴史の悶絶の瞬間でなくて、何であったろう。
原文:从8月15日的正午到下午一点,整个日本都处于一片沉寂之中。转瞬之间,历史便无声地翻开了它那巨大的一页。
就连位于东北地区的一个小小的山村也深陷于仿佛与酷暑凝固到一起的沉寂之中,而这沉寂的瞬间,难道不正是迄今为止广子那苦难重重的严酷人生中令人窒息的一刻又是什么呢?
正解:从8月15日的正午到下午一点,整个日本都处于一片令人窒息的沉寂之中。转瞬之间,历史便无声地翻开了它那巨大的一页。
连东北地区的一个小小城镇也在这沉寂之中和酷暑一起凝固不动了。即便对广子迄今为止的个人生活而言,这一瞬间若不是惨痛的历史休克,又能是什么呢?
(8)
人生を道にたとえるのは平凡である。しかし芭蕉が、あの不朽の紀行文に「奥の細道」と題したのは、その文中に、おくの細道の山際に云々の文があるところから、現実の道の呼び名でもあり、奥州地方の細々とした道の意味からでもあろうが、辺鄙な地方の細々とした道をわけて旅行く自分の姿、芭蕉の人生観、芭蕉の芸術感の象徴として選んだ題名と云えるだろう。
原文:将人生比作路的确是件平凡之事。然而,芭蕉之所以在他不朽的纪行文上题名为《奥州小路》,从其文章中的有“深处”的小路之山脚等文句来看,这既意味着是一条现实之路的称呼,同时也意味着是奥州地区的一条细长之旅。也可以说,这是作为一条象征选择的题名吧。它象征着芭蕉那穿越偏僻地区细长小路的身姿,芭蕉的人生观以及芭蕉的艺术观。
正解:将人生比作路是很普通的,但是芭蕉将他不朽的游记题名为《奥州小路》却意味深长。从文中时有奥州小路山边等词句来看,也许这是借用了一条小路之名,也许它是奥州地区众多细长小路的统称,但是,更可能为芭蕉披荆斩棘穿越偏僻地区崎岖小路的自我写照,它象征着芭蕉的人生观,象征着芭蕉的艺术观。
日本語翻訳(改错题)
§概述
(1)
部屋は渡辺老人のいったように四畳半であった。だが、妙に細長く見えた。それは、あとで私に納得がいったのだが、隣の中学生のいる部屋をつくるために、黄色く火に焼けた古畳が不揃いに狭くきられていたからであった。
原文:屋子如渡边老人所说的,是四张半席子。奇怪的是细长细长。事后我才了解,原来是为了给中学生分出隔壁的那间房屋,特用风吹日晒得黄焦焦的席子,参差不齐地铺了一间狭小的睡铺。
正解:屋子如渡边老人所说的,是四张半席子大小。不过房间看起来又细又长显得怪怪的。这一点事后我才明白,原来是为了给中学生分出隔壁的那间房屋,才把这屋里晒得焦黄的席子,参差不齐地剪去了一条。
(2)
三景書房は前から知り合いでしたし、新しく文化雑誌を出す計画があったもんですから、その雑誌の編集長に推薦したわけです。そして神坂の手によって創刊されたのが東西文化という雑誌なんです。それと同時に僕は三景書房の希望にしたがってその雑誌の編集顧問という立場についたわけです。
原文:三景书房那方面的人与我是旧交,他们计划新出一种文化杂志,我就向总编辑推荐了神坂,并由神坂负责创刊了《东西文化》杂志。同时,我也应三景书房的邀请担任了该杂志的编辑顾问。
正解:我和三景书房的人早就熟识,得知该社计划出一种新的文化杂志,我乘机推荐神坂去当总编,这就是神坂一手创刊的《东西文化》杂志。与此同时,应三景书房的请求,我担任了《东西文化》的顾问。
(3)
部屋の広さは八畳でした。床の横に違い棚があって、縁と反対の側には一間の押し入れがついていました。窓は一つもなかったのですが、その代り南向きの縁に明るい日がよく射しました。
原文:房间八铺席大,摆设台侧面有交错的搁板。面对走廊,附有一口壁橱,窗一扇也没有,但是朝南的走廊替代了窗,明亮的阳光很容易照进来。
正解:房间的面积有八铺席大,摆设台上有百宝格,与廊檐相对的另一边有个壁橱。屋里没有一扇窗户,但朝南的一面去掉隔扇,阳光便可以通过廊檐下的过道照进来。
(4)
日曜日のことであったが、いつものように私がおそい朝飯を食べていると、郵便配達夫が小包を配達して来た。福井義冶―隣の中学生の名宛であった。それを、私は二階の自分の部屋にかえるついでに、中学生の部屋にもっていってやった。表書の字は上手な女文字であり、裏がえすと、おそらくは母親であろう―福井まさ、という名前が書かれてあった。
「福井君、小包だよ。」
私はそういって隣の部屋に声をかけた。中学生に似ぬ太い声がきこえ、むくんだような顔がその部屋からのぞいて小包を受け取ったか、……
原文:那是一个星期天,我照例早饭吃得较晚。邮差送来了一个邮包,寄给福井义治,这就是隔壁中学生的名字。我回二楼自己的寝室时,顺便捎去了这个邮包,因而走进了中学生的房间。邮包正面的字是女人写的,字体清秀,落款的名字是福井正。这恐怕是他母亲的手笔。
“福井,你的邮包。”
我向隔壁喊了一声,回答是粗声大气,不像个中学生。随后探出了一张浮肿的脸,收下了邮包。
正解:那是一个星期天,我照例早饭吃得较晚。正吃着,邮差送来了一个邮包,是寄给福井义治——隔壁中学生的。我回二楼自己的房间时,顺便把这个邮包带了上去。邮包正面是漂亮的女体书法,反面的落款是福井正——大概是他的母亲吧。
“福井,你的邮包。”
我向隔壁喊了一声,他立刻答应了。不过声音太粗,不像个中学生。他从门口探出一张浮肿的脸,收下了邮包。
(5)
世界中には、たくさんのことわざがあります。しかし、先人の「これだけは、忘れないでくれ。」という、子孫への思いや戒めには、似たものが多いのかもしれません。
原文:世界上有许多谚语。但是先辈抱着“唯此勿忘”的愿望给子孙留下的希望和告戒里相似的话也许很多吧。
正解:世界上有许多谚语。不过,先人们说过这样一句话——“唯此勿忘”,他们把这句话留给子孙。在先人们留给子孙的希望之语和告戒之词中或许也有不少和这句话意思相近,相似的说法。
(6)
やがて淮河を渡る。列車は先日、そこに立って、倦かず夕焼けの空を眺めた負函の遺跡の中を通過してゆく。贅沢な列車だと思う。「近き者悦び、遠き者来る。」と孔子が称えた、往古の政治の町とも、軍都とも受け取れる歴史の街が埋まっている地帯を、列車は烈しい音を立てて、北へ向って行く。
原文:不久将渡淮河。列车前几天曾停在这里,不倦地眺望负函遗迹的天空晚霞,现在却要穿行而过。真是奢侈的列车。列车发出轰响,将经过这被孔子称为“近者悦,远者来”的往古政治,军事之重镇,向北驶去。虽然它的历史街区尚埋在土地之中。
正解:不久,列车将渡淮河。前两天,我还曾站在这里,不倦地眺望着负函夕阳似火的天空。现在列车却疾驶而去,真是骄奢之极。负函是被孔子盛赞为“近者悦,远者来”的古代政治,军事重镇,也是一座尚未挖掘出来的历史小城。然而现在列车却毫不理会地轰鸣着穿行而过,径直向北驶去。
(7) ★
8月15日の正午から午後一時まで、日本じゅうが、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な页を音もなくめくったのであった。
東北の小さい田舎町までも、暑さとともに凝固させた深い沈黙は、これまでひろ子個人の生活にも苦しかったひどい歴史の悶絶の瞬間でなくて、何であったろう。
原文:从8月15日的正午到下午一点,整个日本都处于一片沉寂之中。转瞬之间,历史便无声地翻开了它那巨大的一页。
就连位于东北地区的一个小小的山村也深陷于仿佛与酷暑凝固到一起的沉寂之中,而这沉寂的瞬间,难道不正是迄今为止广子那苦难重重的严酷人生中令人窒息的一刻又是什么呢?
正解:从8月15日的正午到下午一点,整个日本都处于一片令人窒息的沉寂之中。转瞬之间,历史便无声地翻开了它那巨大的一页。
连东北地区的一个小小城镇也在这沉寂之中和酷暑一起凝固不动了。即便对广子迄今为止的个人生活而言,这一瞬间若不是惨痛的历史休克,又能是什么呢?
(8)
人生を道にたとえるのは平凡である。しかし芭蕉が、あの不朽の紀行文に「奥の細道」と題したのは、その文中に、おくの細道の山際に云々の文があるところから、現実の道の呼び名でもあり、奥州地方の細々とした道の意味からでもあろうが、辺鄙な地方の細々とした道をわけて旅行く自分の姿、芭蕉の人生観、芭蕉の芸術感の象徴として選んだ題名と云えるだろう。
原文:将人生比作路的确是件平凡之事。然而,芭蕉之所以在他不朽的纪行文上题名为《奥州小路》,从其文章中的有“深处”的小路之山脚等文句来看,这既意味着是一条现实之路的称呼,同时也意味着是奥州地区的一条细长之旅。也可以说,这是作为一条象征选择的题名吧。它象征着芭蕉那穿越偏僻地区细长小路的身姿,芭蕉的人生观以及芭蕉的艺术观。
正解:将人生比作路是很普通的,但是芭蕉将他不朽的游记题名为《奥州小路》却意味深长。从文中时有奥州小路山边等词句来看,也许这是借用了一条小路之名,也许它是奥州地区众多细长小路的统称,但是,更可能为芭蕉披荆斩棘穿越偏僻地区崎岖小路的自我写照,它象征着芭蕉的人生观,象征着芭蕉的艺术观。
(9)
夕暮れ、トウモロコシの葉を静かにゆする風が快い。それにしても、この夏、おいしいトウモロコシに出会わないのは撙瑦櫎い护い坤恧Δ8胜い坤堡侵猩恧丹丹筏皮い郡辍ⅳ郡罋nごたえがあるだけだ。夏の日を濃縮したようなにおいや、歯について離れぬ感触がない。
味わいは薄っぺらなくせに、外見だけは粒をそろえて見栄えがよい。あのトウモロコシは、どこにいってしまったのだろう。
原文:日暮时分,轻轻地吹拂着玉米叶的晚风令人心情舒畅。尽管如此,今年夏天没品尝到好吃的新苞米也许是运气不佳的缘故吧。今夏的苞米只不过是甜的而已,里面都是沙沙棱棱的,仅仅有点咬头。往年的那种好像浓缩了夏日的香味,或是那种粘牙的感觉已不复存在了。
如今的苞米,淡而无味,但人们要求的仅是外观看上去颗粒饱满就行了。往昔的那种苞米又到哪里去了呢?
正解:日暮时分,轻轻地吹拂着玉米叶的晚风令人心情舒畅。尽管如此,今年夏天没品尝到好吃的新苞米也许是运气不佳的缘故吧。今年的玉米,甜倒是甜,口感也还不错,有点咬头,但是却闻不到那种夏日的清香,也没有那种香屑满口的感觉。
如今的苞米,淡而无味,但是外观上都颗粒饱满,卖相很好。往昔的那种玉米又到哪儿去了呢?
(10)
なじみ深い木や草の芽を見て回るのもこれからの山歩きの楽しみであるが、春の気配に敏感なもの、私から見ると、すこしせっかちすぎるのではないかとさえ思われるものがあるかと思えば、秋の末からの、これから当分寒さの厳しい季節が続くぞという時の身構えを、そのまま少しも崩さずにいるのもある。
原文:环顾那熟识的树木或是草芽而行,虽也是此次山行的一大乐趣,但从对春天的信息颇为敏感的我来看,甚至觉得自己莫不是稍显得过于性急了吗?但同时却又不肯舍弃秋末那种此后寒冷的季节将持续相当长的一段时间的心理。
正解:边走边看那熟识的树木和春草的嫩芽,自然也是此次山中之行的乐趣。山野之中既有那些对春的气息极为敏感的植物,在我看来,它们似乎显得过于性急,也有一些植物到秋天就摆出一副架势,这种从秋末就准备好熬过漫长的严寒季节而至今不改尊容的架势一直保持着。
(11)
「結婚をしている娘さんは、どうしてこんな見合旅行のツアーに参加したのですか。」
「家内にきくと、お友達のご主人がこのツアーに参加していて、どうも彼女と一緒に行くらしいので、どの人が彼女か調べてほしいと言われたそうです。あの子は気のいいので引き受けたのですが、それがこんなことになるとは……」
原文:“订了婚的女儿为什么参加这种征婚旅行呢?”
“听我妻子讲,一个朋友的丈夫参加了这次旅行,而且看来要约我女儿一块儿去,并想了解她是谁。那孩子心肠好,便答应下来。可没想到会出这种事……
正解:“您的女儿既然已经订了婚,为什么又会参加这种征婚旅行呢?”
“听我老伴讲,我女儿有位朋友,说是自己的丈夫参加了这次旅行,而且看来很可能要带一个相好的女人一道去。于是,那位女士便托我女儿去参加旅行,帮她查明那个女人是谁。那孩子心肠好,便答应下来。可没想到会出这种事……
(12)
裏庭に山査子の苗木を植えたのは、三人娘の一番上の結婚が決まった年だった。若やいだ姿がひとつ見えなくなる。その代わりに、花の咲く低い木を植えよう。山査子の花に陽春の日が射して白い光が生まれるなら、目をなぐさめるに足りるだろう。しかし、二年後に咲いたのは、白ではなくて紅の花。山査子の花は白いときめこんでいたものだから、思わくがはずれた。
原文:在后院里种上山楂,正是三个女儿中的老大订婚的那年。一个朝气蓬勃的身影消失看不见了,作为补偿,就种一些开花的灌木吧。如果山楂花被一片阳春的霞光,映得熠熠闪光的话,那么老眼也可以得到安慰了吧。然而没有想到,两年后绽开的花朵却是红色,而并非白色。显然是自己搞错了,而一直误以为山楂花是白色的。
正解:在后院里种上山楂,正是三个女儿中的老大订婚的那年。眼见一个朝气蓬勃的女儿就要远走高飞,便不由地想种几株开花的灌木,亦算是见花思人吧。等到初春的太阳洒落在山楂花上,染出一片熠熠的白霞,也足可以赏心悦目的吧。但是,两年后开的花却不是白色,而是红的。我本以为山楂花是白色的,显然是搞错了。
(13)
山野の路傍にこの花を見つけて、「しばらく」と声をかけても、しょんぼりうつむてだまっている。思いのほか無愛想だから、長く立ち止まって見とれるほど気を惹かない。名のおかげで、ずいぶん得をしている。一抹の幼なこころをよみがえらせ、ほんの一時にせよ、人をいわば詩人に変える魔法が、ほたるぶくろという呼び名にはひそんでいる。
原文:风铃草很怪,即使你在山野小路旁寻觅到它,跟它说一声“久违久违”,它依旧颔首无语,一副无精打采的样子,真是比想象的还要冷淡,所以自然也勾不起久立不走,如痴如醉的观赏兴致。不过,它却因名得益,因为它总唤醒人们的一抹幻想,即便瞬间即失,它的名字里也潜藏着一种魔力,似乎把人都变成了诗人。
正解:风铃草很怪,即使你在山野小路旁寻觅到它,跟它说一声“久违久违”,它依旧颔首无语,一副无精打采的样子,没想到真是冷淡之极。所以自然也并不那么吸引我长久地站在原地,如痴如醉的观赏。不过,它的名字却占了便宜,因为它总唤醒人们的一缕童心,纵然瞬间即失,它的名字里也潜藏着这种魔力,似乎把凡夫俗子都变成了诗人。
(14)
実は、茶花,挿花など、このような花に心を動かされる人たちのために、四季の花を絶やさぬ「花長」という店がある。店というより、野山の支店とか、出店といったほうがいい。
原文:有一家花店,名叫“花长”,为了倾心于茶花,插花的人们,四季花卉不断。不过,与其说是“店”,不如说是山野的分店,摊位倒更恰当。
正解:有一家花店,名叫“花王”,为了倾心与花卉,花艺的人们,四季花卉不断。不过,与其说是“店”,不如说是大自然的分店,摊位倒更恰当。
(15)
花を美しいと思うのは、尊敬する人や愛する人のそばにいるだけで心が満たされる、あの心情に似ている。その心の中が写真に撮れないように、絵にも描けない。
それでも描くのは、花と過ごすひとときを幸せと思う恋に似た思いがあるからである。
原文:以花为美之心,和待在尊敬,喜欢的人的身边一样,会自然地感到心满意足。不过这种心情无法摄入照片,也无法画下。
不过,至于我依旧提笔作画,就是因为与花相处的那一刻,体味到了一种近似于幸福的恋情。
正解:以花为美,犹如待在尊敬者,爱戴者的身旁,心满意足。不过这种心情无法用相机摄下,也无法入画。
不过,至于我依旧提笔作画,就是因为与花相处的那一刻,体味到了另一种幸福的恋情的感觉。
夕暮れ、トウモロコシの葉を静かにゆする風が快い。それにしても、この夏、おいしいトウモロコシに出会わないのは撙瑦櫎い护い坤恧Δ8胜い坤堡侵猩恧丹丹筏皮い郡辍ⅳ郡罋nごたえがあるだけだ。夏の日を濃縮したようなにおいや、歯について離れぬ感触がない。
味わいは薄っぺらなくせに、外見だけは粒をそろえて見栄えがよい。あのトウモロコシは、どこにいってしまったのだろう。
原文:日暮时分,轻轻地吹拂着玉米叶的晚风令人心情舒畅。尽管如此,今年夏天没品尝到好吃的新苞米也许是运气不佳的缘故吧。今夏的苞米只不过是甜的而已,里面都是沙沙棱棱的,仅仅有点咬头。往年的那种好像浓缩了夏日的香味,或是那种粘牙的感觉已不复存在了。
如今的苞米,淡而无味,但人们要求的仅是外观看上去颗粒饱满就行了。往昔的那种苞米又到哪里去了呢?
正解:日暮时分,轻轻地吹拂着玉米叶的晚风令人心情舒畅。尽管如此,今年夏天没品尝到好吃的新苞米也许是运气不佳的缘故吧。今年的玉米,甜倒是甜,口感也还不错,有点咬头,但是却闻不到那种夏日的清香,也没有那种香屑满口的感觉。
如今的苞米,淡而无味,但是外观上都颗粒饱满,卖相很好。往昔的那种玉米又到哪儿去了呢?
(10)
なじみ深い木や草の芽を見て回るのもこれからの山歩きの楽しみであるが、春の気配に敏感なもの、私から見ると、すこしせっかちすぎるのではないかとさえ思われるものがあるかと思えば、秋の末からの、これから当分寒さの厳しい季節が続くぞという時の身構えを、そのまま少しも崩さずにいるのもある。
原文:环顾那熟识的树木或是草芽而行,虽也是此次山行的一大乐趣,但从对春天的信息颇为敏感的我来看,甚至觉得自己莫不是稍显得过于性急了吗?但同时却又不肯舍弃秋末那种此后寒冷的季节将持续相当长的一段时间的心理。
正解:边走边看那熟识的树木和春草的嫩芽,自然也是此次山中之行的乐趣。山野之中既有那些对春的气息极为敏感的植物,在我看来,它们似乎显得过于性急,也有一些植物到秋天就摆出一副架势,这种从秋末就准备好熬过漫长的严寒季节而至今不改尊容的架势一直保持着。
(11)
「結婚をしている娘さんは、どうしてこんな見合旅行のツアーに参加したのですか。」
「家内にきくと、お友達のご主人がこのツアーに参加していて、どうも彼女と一緒に行くらしいので、どの人が彼女か調べてほしいと言われたそうです。あの子は気のいいので引き受けたのですが、それがこんなことになるとは……」
原文:“订了婚的女儿为什么参加这种征婚旅行呢?”
“听我妻子讲,一个朋友的丈夫参加了这次旅行,而且看来要约我女儿一块儿去,并想了解她是谁。那孩子心肠好,便答应下来。可没想到会出这种事……
正解:“您的女儿既然已经订了婚,为什么又会参加这种征婚旅行呢?”
“听我老伴讲,我女儿有位朋友,说是自己的丈夫参加了这次旅行,而且看来很可能要带一个相好的女人一道去。于是,那位女士便托我女儿去参加旅行,帮她查明那个女人是谁。那孩子心肠好,便答应下来。可没想到会出这种事……
(12)
裏庭に山査子の苗木を植えたのは、三人娘の一番上の結婚が決まった年だった。若やいだ姿がひとつ見えなくなる。その代わりに、花の咲く低い木を植えよう。山査子の花に陽春の日が射して白い光が生まれるなら、目をなぐさめるに足りるだろう。しかし、二年後に咲いたのは、白ではなくて紅の花。山査子の花は白いときめこんでいたものだから、思わくがはずれた。
原文:在后院里种上山楂,正是三个女儿中的老大订婚的那年。一个朝气蓬勃的身影消失看不见了,作为补偿,就种一些开花的灌木吧。如果山楂花被一片阳春的霞光,映得熠熠闪光的话,那么老眼也可以得到安慰了吧。然而没有想到,两年后绽开的花朵却是红色,而并非白色。显然是自己搞错了,而一直误以为山楂花是白色的。
正解:在后院里种上山楂,正是三个女儿中的老大订婚的那年。眼见一个朝气蓬勃的女儿就要远走高飞,便不由地想种几株开花的灌木,亦算是见花思人吧。等到初春的太阳洒落在山楂花上,染出一片熠熠的白霞,也足可以赏心悦目的吧。但是,两年后开的花却不是白色,而是红的。我本以为山楂花是白色的,显然是搞错了。
(13)
山野の路傍にこの花を見つけて、「しばらく」と声をかけても、しょんぼりうつむてだまっている。思いのほか無愛想だから、長く立ち止まって見とれるほど気を惹かない。名のおかげで、ずいぶん得をしている。一抹の幼なこころをよみがえらせ、ほんの一時にせよ、人をいわば詩人に変える魔法が、ほたるぶくろという呼び名にはひそんでいる。
原文:风铃草很怪,即使你在山野小路旁寻觅到它,跟它说一声“久违久违”,它依旧颔首无语,一副无精打采的样子,真是比想象的还要冷淡,所以自然也勾不起久立不走,如痴如醉的观赏兴致。不过,它却因名得益,因为它总唤醒人们的一抹幻想,即便瞬间即失,它的名字里也潜藏着一种魔力,似乎把人都变成了诗人。
正解:风铃草很怪,即使你在山野小路旁寻觅到它,跟它说一声“久违久违”,它依旧颔首无语,一副无精打采的样子,没想到真是冷淡之极。所以自然也并不那么吸引我长久地站在原地,如痴如醉的观赏。不过,它的名字却占了便宜,因为它总唤醒人们的一缕童心,纵然瞬间即失,它的名字里也潜藏着这种魔力,似乎把凡夫俗子都变成了诗人。
(14)
実は、茶花,挿花など、このような花に心を動かされる人たちのために、四季の花を絶やさぬ「花長」という店がある。店というより、野山の支店とか、出店といったほうがいい。
原文:有一家花店,名叫“花长”,为了倾心于茶花,插花的人们,四季花卉不断。不过,与其说是“店”,不如说是山野的分店,摊位倒更恰当。
正解:有一家花店,名叫“花王”,为了倾心与花卉,花艺的人们,四季花卉不断。不过,与其说是“店”,不如说是大自然的分店,摊位倒更恰当。
(15)
花を美しいと思うのは、尊敬する人や愛する人のそばにいるだけで心が満たされる、あの心情に似ている。その心の中が写真に撮れないように、絵にも描けない。
それでも描くのは、花と過ごすひとときを幸せと思う恋に似た思いがあるからである。
原文:以花为美之心,和待在尊敬,喜欢的人的身边一样,会自然地感到心满意足。不过这种心情无法摄入照片,也无法画下。
不过,至于我依旧提笔作画,就是因为与花相处的那一刻,体味到了一种近似于幸福的恋情。
正解:以花为美,犹如待在尊敬者,爱戴者的身旁,心满意足。不过这种心情无法用相机摄下,也无法入画。
不过,至于我依旧提笔作画,就是因为与花相处的那一刻,体味到了另一种幸福的恋情的感觉。