さて官事の暇あるごとに、かねておほやけの許をぱ得たりければ、ところの大學に入りて政治學を修めむと、名を簿冊に記させつ。
ひと月ふた月と過す程に、おほやけの打合せも濟みて、取調も次募に捗り行けぱ、急ぐことをぱ報告書に作りて送り、さらぬをぱ寫し留めて、つひには幾巻をかなしけむ。大學のかたにては、穉き心に思ひ計りしが如く、政治家になるべき特科のあるべうもあらず、此が彼かと心迷ひながらも、二三の法家の講筵に列ることにおもひ定めて、謝金を收め、往きて聴きつ。
かくて三年ぱかりは夢の如くにたちしが、時来れぱ包みても包みがたきは人の好尚なるらむ、余は父の遺言を守り、母の教に従ひ、人の神童なりなど褒むるが嬉しさに怠らず學ぴし時より、官長の善き働き手を得たりと奬ますが喜ぱしさにたゆみなく勤し時まで、たヾ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大學の風に當りたれぱにや、心の中なにとなく妥ならず、奥深く潛みたりしまことの我は、やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。余は我身の今の世に雄飛すべき政治家になるにも宜しがらず、また善く法典を譜じて獄を斷ずる法律家になるにもぷさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。
余は私に思ふやう、我母は余を活きたる辭書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辭書たらむは猶ほ堪ぷぺけれど、法律たらんは忍ぷぺがらず。今まては瑣々たる間題にも、極めて丁寧にいらへしつる余が、この頃より官長に寄する書には連りに法制の細目に拘ぷべきにあらぬを論じて、一たび法の精神をだに得たらんには、紛々たる萬事は破竹の如くなるぺしなどゝ廣言しつ。又大學にては法科の講筵を餘所にして、歴史文學に心を寄せ、漸く蔗を咀嚼む境に入りぬ。