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東京方言の特徴
时间:2008-10-07 15:27:51  来源:咖啡日语|http://www.coffeejp.com  作者:猫の手

 

東京方言(とうきょうほうげん)は、江戸・東京で話されてきた方言。山の手の山の手言葉と、下町の江戸言葉(江戸弁、下町言葉)に分かれる。

現在の東京では首都圏方言(新東京方言)が優勢で、山の手言葉や江戸言葉は東京の旧来の住民の間に残るのみとなっている。

東京方言は江戸時代の江戸の発展に伴い、土着の西関東方言を基盤に、当時の中央語であった上方語や徳川氏ゆかりの三河弁(ただし現在の三河弁は江戸中期以降に成立したとされ、江戸に伝わった当時の三河弁とは大きく異なる)などの西日本方言の要素が多く混合して成立したとされる。「江戸は諸国の入り込み」のとおり江戸は全国各地から人々が集まったことから、上方語や三河弁以外にも様々の方言の影響も受けた。また当時世界最大の人口を誇った巨大都市であることから、町人や武家など階層別に様々な言葉遣いの違いが生まれた。こうした経緯から、東京方言は周辺の関東方言とは孤立した「言語の島」となっている。

標準語・共通語の大部分は東京の中流階層の言葉をもとに構築されたが、標準語・共通語とは異なる表現・語彙(「入梅」「唐茄子」など)・アクセントも少なくない。

おおむね山の手言葉よりも江戸言葉に伝統的な東京方言の特徴が表れやすい。
東日本方言にありながら、西日本方言にある特徴を示す。

伝統的な関東方言・東北方言では意思・同意・推量の語尾は「べ・べえ」だが、東京方言では関西方言や東海東山方言と共通する「う・よう」である。例えば、西関東方言で「行くべ」や「これだべ(だんべ・だっぺ)」と言うところが、東京方言では「行こう」「行くんだろう」や「これだろ(う)」となる。

「う・よう」の使用が広まる以前は江戸でも「べ・べえ」を使用しており、当時上方の人間からは「関東べい」と呼ばれていた。


方向を示す格助詞が「へ」であるのも関西方言などと共通で、東日本方言に多い「さ」とは異なる。


東日本で一般的な「おっかない」に加えて西日本由来の「こわい」を併用するなど、語彙の面でも一部で西日本方言の影響が見られる。

「おりません」「ごきげんよう」「お寒うございます」のように、敬語表現は京都方言の影響を強く受けている。
動詞の否定は「未然形+ない」が一般的で、西日本に多い「未然形+ん」が使われることはほとんどなく、これは東日本の他の方言と共通する。

かつては江戸でも「ん」が主流であった。その名残りとして格言や慣用句では現在も「ん」(または「ぬ」)が使われ続けている。

このほかの東日本方言共通の特徴として、/[ai]/(アイ)が/[ɛ:]/(エー)に、/[oi]/(オイ)も/[ɛ:]/(エー)になる。(例)「甘い」→「あめえ」、「よくない」→「よくねえ」、「遅い」→「おせえ」、「太い」→「ふてえ」


母音よりも子音を中心に発音される。そのため母音弱化が顕著である。(例)ネクタイです→/nektai des/


「じゅ」が「じ」「しゅ」が「し」に転訛する。北関東地域と共通する特徴と考えられる。(例)「準備」→「じんび」、「美術」→「びじつ」、「新宿」→「しんじく」、「党首討論会」→「闘士討論会」、「アラブ首長国連邦」→「アラブ市長国連邦」、「趣向」←→「嗜好」


「ひ」と「し」の発音が混同される。特に「ひ」から「し」になる傾向が強い。(例)「潮干狩り」→「ひおしがり」、「羊」←→「執事」、「熾烈」←→「卑劣」、「渋谷(しぶや)」←→「日比谷(ひびや)」


「してしまう」が「しちまう」「しちゃう」になる。もとは「しちまう」だけであり、「しちゃう」が成立したのは明治以降である。


文節や文章の最後に「さ」をつける傾向がある。(例)あのさ、こんなこと言っちゃあなんだけどさ。


明治以降、「わ」「こと」「てよ」など独自の女性語が発達した。


近年、東京周辺の方言が若者言葉として東京で広まることが増えている。例えば横浜経由で中部地方(静岡・山梨・愛知県三河方面)から伝わった「~じゃん・じゃんか(~じゃないか)」、北関東方面から伝わった「ちがかった(違った)」「~よか(用言に接続して:~するしか、体言に接続して:~よりも)」、東北方面から伝わった「~みたく(~みたいに)」「~した時ある(~したことある)」など。


 


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