作者:些些
上一个夏天和金同住,一个朝鲜族女孩,单纯但不质朴,带着小家子的精明气,也许因为这个,同住两年,依然无法成为至交。然后这个夏天,我过着我阴阳颠倒的日子,她做她的家教,用重复一遍又一遍的五十音图换一个小时二十五元的人民币。每个清晨我倒头睡觉,她起来准备一天的奔波。在这个城市动辄四十几度的高温里,我很佩服她的毅力。但是不甚赞成她的行为。
房间没有空调,我便经常的泡在KFC,或者看一些小说,一个夏天,我阅读了村上春树的所有长篇和中篇,她教遍了这个城市的几大主城区。我花着老爸老妈的赞助,偶尔去立洋买打折的漂亮裙子,吃遍三个超市所有的特色食品。这是我们的选择,因为家境,因为性格。
有很好的朋友,经常会约会见面,建筑的硕士,刚刚考上这个学校的博士,春风得意,谦而不骄。“龙湖要翻译,日语,一个月一万”,有这样的朋友唯一的好处就是,随时想着你。“我什么都不做,没能力,也不想做”然后那建筑师的朋友便换了话题,考研和复习,政治和英语。我喜欢这样,做一件事的时候,绝对不做其他的事,即使我每天用休息的时间教两个孩子五十音图也可以有不算不菲,但绝对可以买漂亮裙子的收入。我不眼馋,也不心急。
很好的朋友在广州的家里赋闲,和男友新分手,有时我会打个电话去问候,或者安慰那个关系一样不错的男生。但是大部分时间,我在泡书,或者在泡KFC。
金在家教之余,也零零碎碎的接些翻译,居然有人把日语教材的课文翻译成汉语学,我用鼻子笑笑,然后轻轻摇那把扇子,很上手,廉价且玲珑。我很满足。
那个夏天,行为艺术是个时髦的烫手的词,就象这个城市八月的气温。金接了一个行为艺术者的资料,在三天内赶成日文。我不知道他算不算艺术家。我帮金整理些零碎的文件,有时也帮她参谋翻译。那盏日光灯用了太久,以至灯光都有些暗淡,就象这样的同居生活,两个不同世界的女生,做不同的事,互不欣赏互不干涉。我摇着扇子,顺手翻看她的手译稿,字体娴熟,只是内容一般,象她这样的女生,没见过什么世面也没什么艺术修养,翻译这样的东西,实在不易,我开始不那么惋惜她大好的时间都在教书了,赶稿,无聊。然后这个夜晚出奇的我早睡而她熬夜。
清晨我醒在她犀犀琐琐的声音里,或者,我根本未曾深眠,她在校稿,等下就交,我翻了几次身,然后终于还是说与她:キム、你把“持续行为艺术”翻译成“持续着的行为艺术”了,她道谢,然后犀犀琐琐的改正。无比的郁闷,我又睡去。
原題:トランスレート.パフォーマンス.サマー
翻译:JamesBond
去年の夏から金と同じ寝室になった。金は朝鮮族の女の子である。純粋だけど素朴ではない。こせこせするが鋭敏である。そのせいか、二年も同居してきたのに、親友にはなれない。そしてこの夏、私は自分なりの逆昼夜を送って、彼女も自分なりに家庭教師に励んでいる。家庭教師といっても、連綿と五十音図をデジャーブすることで、時給二十五元の人民幣と引き換えるバイトだ。毎朝早朝、私が眠りについた頃、彼女は一日の奔走の準備を始める。この何かというとすぐ四十度も超える暑苦しい都市で、私は彼女の意志の固さに敬服する。が、その行為自体には賛成しかねる。
下宿先の部屋にはエアコンがついていない。そのため、私はいつもケンタッキーにくつろぎ、小説を読む。ひと夏が終えると、私は村上春樹の長編、中篇を全部読破した。金の教育活動も順調にこの都市のメイン区画を殆ど網羅した。私は両親がスポンサーで、たまに立洋に行って、ディスカウントの綺麗なスカートを手に入れる。また、市内3つのスーパーを食べ歩いて、これといった定番グルメを一通り味わった。これは私と金の選択であり、実家がゆえ、性格がゆえ、である。
私にはとてもいい友人がいて、いつも誘い合っている。建築の修士だったが、博士に受かったばかりだ。順風満帆。博士が謙遜で決して驕らない人である。「龍湖が翻訳を募集してるよ。日本語の、月一万だって」、このような友人をもって、とてもよく思うのがいつも気遣ってくれることである。「私は何もやらない。そんな能力もない。やりたくもない」。そして、その建築専攻の友人が話題を変え、研修生の受験と復習や、政治と英語の話題へと。私は現状が好きだ。何か一つに専念すると、ほかのことに絶対手を出さない。休みを利用してどっかの子供たちに五十音図を教えるのがたしかに金銭的な潤いになる。少なくとも綺麗なスカートにあてるぐらいの収入はある。しかし、私はそんなむさぼりやではない。焦ることもない。
もう一人の友人が広州の実家で休養中で、ボーイフレンドと別れたばかりだ。時々私は電話で挨拶する。或いは同じぐらい親しい関係であるそのボーイフレンドを慰める。しかし、大部分の時間は私は本と渡り合っている。か、ケンタッキーにくつろいでいる。
金は例のバイト以外にも、イレギュラーに翻訳のバイトを受けている。驚くことに日本語の教材を勉強のため、わざわざ中国語に翻訳する依頼もある。私にしてみれば鼻で笑うしかない。扇子を扇いでそんなことに構いたくもない。その扇子の柄の握り心地がとてもよい。安い扇子のわりにはよく繊細にできている。私のお気に入りだ。
この夏、パフォーマンスアートが熱をおびた旋風のように流行語になっている。その暑さといえばこの都市の八月の気温に匹敵する。金はあるパフォマンスアーティストの資料の翻訳バイトを受けた。日本語にするまでの納期は三日以内だ。そのアーティストがはたして芸術家であるか否かについて私は定かではない。私は金の書類整理を手伝い、偶には翻訳のアドバイザーにもなる。寝室の蛍光灯がかなりの年期もので、発するあかりもパッとしないほどだ。この同居生活のふたり関係のようだ。全く別世界の二人の女子大生が、それぞれに違うことをし、互いに干渉も賛美もせずにいる。私は軽く扇子を扇いで、ついでに彼女が書き下ろした原稿を手にして、目を通す。筆跡がいいが内容が淡々。彼女みたいな女がたいした世間を見たこともなければ芸術的な教養もない。この類のものを翻訳するのはさぞそう容易なことではないだろう。私は彼女の家庭教師に費やした貴重な時間が惜しいと思わなく始めた。納期前の追い込みなんか、くだらない。この夜私は驚くほどの早寝で、彼女は徹夜をした。
早朝、彼女のひそひそした音のなか、私は目が覚めた。というよりも、もともとそれほど深い眠りについてなかったかもしれない。彼女は翻訳の見直しをして、終わり次第納品する。私は何回か寝返りを打って、とうとう我慢しきれなく、「金、(パフォーマンスアートを続けてる)と(続いたパフォーマンスアート)、間違ってない?」と。彼女が礼を言って、再びひそひそしたチェック作業に戻った。教えてやったわりにはすっきりしない私はまた眠りについた。