虽然很难得,我有时也会起鸡皮疙瘩。留在记忆中,较陈旧一点的,要说大约40 年前,在初中的音乐教室里的一次经历。我完全被老师所放的贝多芬的《命运》所征服。也不知道是谁演奏的,我好像是从门缝中偷窥到了一个崭新的世界,浑身直打哆嗦。可才放了第一乐章,就到了课间休息的时间。
“共有4章。可了不起啊”。老师的这句话在我心里扎下了根。日后,我又找来卡尔·伯姆指挥的《命运》,反复聆听。但是,随着年龄接近成年,听的遍数渐次稀疏了。
前些天,重又听了一下。伯姆的唱片早已不知了去向,这次听的是富特文格勒指挥的CD。今年,是这位20世纪代表性的指挥家去世50周年,今天是他的忌日。
这是在德国战败2年之后的1947年5月录的音。同盟国加在他头上的“协助纳粹嫌疑”解除后,他初次指挥柏林爱乐乐团。“演奏结束后,欢呼声经久不息。持续时间之长,简直令人怀疑听众是否已不准备离开大厅了”(《富特文格勒 音乐和政治》三焉书房)。
虽然CD中并未录入鼓掌和欢呼声,但身处战败的悲惨之中的市民的狂热劲儿是完全能够想象的。人们既为给苦难中的生活加油鼓劲的演奏所打动,或许还因为这是巨匠自身获得解放的时刻。“嘿,前进、前进”在贝多芬的这样的旋律中,人们又回想起了昔日的的感动。
虽然重听时没起鸡皮疙瘩,但我想今后还得时常拿出来听一听。
めったにはないが、鳥肌が立つことはある。記憶に残るもので古いのは、約40年前の中学校の音楽室での体験だ。先生が針を下ろしたベートーベンの「呙工藞R倒された。誰の演奏かも知らなかったが、新しい世界を垣間見るようで、ぞくぞくとした。第1楽章だけで、休み時間となった。
「第4楽章まであって、素晴らしいの」。先生の言葉が胸に残った。後日手にしたカール・ベーム指揮の「呙工蚶Rり返し聴いた。しかし、大人の年に近づくにつれて、間遠(まどお)になった。
先日、久々に聴いてみた。ベームのレコードは、もう手元にはなく、フルトベングラー指揮のCDである。今年は、この20世紀を代表する指揮者の没後50年で、今日が命日にあたる。
録音されたのは、ドイツの敗戦から2年後の1947年5月だ。連合国側から彼にかけられていた「ナチへの協力の疑惑」が解けて初めてベルリン・フィルを指揮した。「演奏が終わったとき、喝采(かっさい)は何時はてようともしなかった。もう聴肖悉长违郓`ルから出て行かないのか、と思われるほどの場面が長く続いた」(『フルトヴェングラー 音楽と政治』みすず書房)
拍手や歓呼はCDには入っていないが、敗戦の悲惨のなかにある市民の熱狂ぶりは十分に想像できた。苦難の中で生きることに力を添えるような演奏にも打たれた。巨匠(きょしょう)自身の解放の時だったのかも知れない。「さあ前へ、前へ進め」と聞こえるベートーベンの旋律は、昔日(せきじつ)の感動を思い起こさせた。
鳥肌こそ立たなかったが、これからも時に聴こうと思った。