050125《天声人語》邮政民营化
日本に郵便の仕組みを採り入れる時、前島密(ひそか)は、料金をどう定めるかで思い悩んだ。その折、命じられて洋行(ようこう)し、郵便事業は政府の独占で料金は遠近均一と知る。「其時の心持といふ者は実に清々として、是迄の迷ひも全く霽(は)れ、雲霧を出て青天を望むといふ有様であつた」(『郵便創業談』)
在邮政系统引入日本时,前岛密曾为该如何定邮费而大伤脑筋。为此他奉命出洋调查,得知邮政事业为政府所垄断,邮费远近相同。“当时心情畅快,以往的疑惑一扫而光,真有拨云见日之感”(《邮政创业谈》)。
そして創業2年後の1873年、明治6年に、太政官布告が出された。「量目等一ノ信書ハ里数ノ遠近ヲ問ハス国内相通シ等一ノ郵便税……」。今に続く、全国一律料金の始まりだ。
在创业2年后的1873年,明治6年,公布了太政官布告。“分量相同的书信,不论里数远近国内投递时,邮政税统一……”。这便是延续至今的,全国邮费统一的开端。
しかし、当時は「この手紙は軽い」「届け先が近い」などといって料金を負けろと談判する者もあった。茶やたばこを要求し、断られると横着だなどとののしる手合いもいた。前島は「郵便取扱所」を一時「郵便役所」と改め、官の威力を借りたと述べている。
但是,当时也有些人以“这封信分量轻”“投递处近”为由想要砍价。还有些家伙索要茶叶、香烟,被拒绝后竟大骂对方蛮不讲理。前岛述说道,曾一度将“邮政处理所”改为“邮政衙门”,来借用官府的威力。
「郵便局」となったのは明治8年で、身近な通信網として広がり、生き続けてきた。しかし、膨大な資金を集める世界最大の金融機関という面も問われるようになった。資金の哂盲摔鈫栴}は多い。
到了演变为“邮政局”的明治8年,邮政作为便捷的通信网得以普及,一直流传至今。然而,它那能聚集巨大的资金,可称世界上最大的金融机关的一面也开始被人注意起来了。资金的运用方面也是问题多多。
民営化を掲げる小泉政権は、07年4月に4分社・民営化という方針を出した。支持基盤が地方にあり、郵政の組織を有力な支援団体としてきた自民党は抵抗する。郵政だけでなく、貯金、保険事業でも「全国一律サービス義務」を唱えた。
主张民营化的小泉政权,提出了到07年4月一分四家的民营化方针。在地方上有支持的基础,一直将邮政组织当作有力的支援团体的自民党提出反对。他们主张,不光是邮政,连储蓄、保险业务也有“全国统一服务义务”。
郵便局を票の束と見ているとしたら、「一律」の創設者も嘆くだろう。何でも一律ではなく、重さ、大きさできちんと仕分けをして送り出さないと、将来の受け手が、とてつもない不足料金を背負う羽目になる。
若把邮政局看作选票捆,恐怕“统一”的创立者也会摇头叹息吧。不该什么都统一处理,要区分轻重、大小来投递,否则,将来的收件人将会陷入巨额邮资欠付的窘境。
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一、前島密(まえじま─窑饯