050111《天声人語》人是什么
宇宙からみれば、地球は芥子(けし)粒のようなものという福沢諭吉は、人間をいろいろなものにたとえている。塵(ちり)、あるいは埃(ほこり)。ボウフラ、ウジ虫、アリ、バッタ等々である。
福泽渝吉说过,在整个宇宙看来,地球就像是芥子粒那样的东西,他又把人比作各种各样的东西。尘埃,或者是灰尘。孑孑、蛆虫、蚂蚁、蝗虫等等。
「一寸の虫にも五分の魂」という俚諺(りげん)もあるように、人を虫に見たてることは多い。はかなさから露にたとえられることもまたしばしばだ。たとえば能のせりふ「げに理(ことわり)や露の身は、電光朝露石の火の……」は、はかないものを列挙する。
就像还有“一寸的虫子也有半寸的魂”这样的谚语,人常常被看作为虫子。因其无常又常常被比作露珠。比方说,能的台词中有“道理、露水之身,实为电光、朝露、石火……”列举了许多幻灭无常的东西。
あなたの「時価」はいくら?と尋ねられて「ゼロ」と答えた新成人が一番多かった。先日報じられたセイコーのインターネットによるアンケートの結果である。理由は一様ではないようだ。一方で「無限大」と答えた若者もけっこういたというから対比が興味深い。
你眼下的“时价”是多少?回答为“0”的新成人(注:指今年要参加成人仪式的年轻人)最多。这是前几天报道过的精工公司网上调査的结果。理由似乎也并非一律。相反,回答“无限大”的年轻人也不在少数,这样的对比意味深长。
たとえ話をつづければ、昔のはやり歌の「おれは河原の枯れすすき……」(船頭小唄)には、日本人好みの哀愁と諦観(ていかん)が漂う。同じように川辺に群生する葦(あし)だが、「人間は考える葦である」(パスカル)というと、哲学的思索の世界に踏み込む。
如果我们把比方的再说下去,那么在古代的流行歌谣“我是河滩上一棵枯萎的芒草……”(船头小调)中,弥漫着一种日本人偏爱的哀愁和彻悟。同样长在河边的还有群生的芦苇,一说“人是会思考的芦苇”(帕斯卡),就踏进了哲学思辨的世界。
福沢が「人間の如き、無智無力見る影もなき蛆虫(うじむし)同様」(福翁百話)と語ったのは、所詮(しょせん)人生は戯(たわむ)れでしかなく、万事をあまり重く見ない方がいい、というためだった。その方が思いつめて極端に走ることもないだろう。しかし、本来戯れと知りながら戯れをまじめに勤めるべきだ、とつづける。それが人間の人間たるゆえんだ、と。パスカルの思索との距離は近い。
福泽所谓“像人这样如同无智无力可怜兮兮的蛆虫似的……”云云,只循着人生无谓,万事不必看得太重的一面。似乎他也没有钻牛角尖,走向极端。他接下来还说过,就是知道无谓还得认真地过,这样,人才为人。这就与帕斯卡的思辨相去不远了。
先のアンケート結果を借りれば「人間はゼロに等しく(ひとしく)、同時に無限大でもある」とでもいおうか。
借用刚才所提到的调查结果,或可说成“人等于零,同时,也是无穷大”吧。
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一、 自分の時価総額はいくら? アンケート1位は「0円」
今の自分の「時価総額」はいくら?--セイコーが今年成人式を迎える人にアンケートしたところ、「0円」(全回答のうち13・5%)がトップ、2位が「100万円」(8・3%)だった。フリーターや通学も仕事もしないニートが増加し、将来への不安を感じる若者が増えているためか、控えめな答えが上位を占めた。
「0円」の理由としては、「まだ収入がない」「お金では人間の価値は測れない」「まだ若く、今後の生き方によって大きな可能性が出てくる」などが挙げられた。「100万円」と答えた人は「親につぎ込んでもらった総額」「この程度なら自分で稼げる」などと答えた。
3位は「1千万円」「千円」でともに6・6%。大きな夢と野心を表現して「無限大」と答えた人も3・9%いた。
調査は昨年11月にインターネットで実施、518人が回答した。男女の比率はほぼ半々。
「朝日新聞」(01/09 13:05)
二、
NO.803 福沢諭吉
宇宙無辺の考を以て独り自から観ずれば、
日月も小なり地球も微なり。
況して人間の如き、
無智無力見る影もなき蛆虫同様の小動物にして、
石化電光の瞬間、偶然この世に呼吸眠食し、
喜怒哀楽の一夢中、忽ち消えて痕なきのみ
『福翁百話』