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淡淡的寂寞
时间:2007-10-26 11:01:56  来源:华南虎|http://coffeejp.com/blog/?uid/27935  作者:华南虎

  淡淡的寂寞
武者小路实笃

我时常会感到一阵淡淡的寂寞。这时,我便想写点什么,觉得写一点东西便可排遣这寂寞。所以我并不认为寂寞有什么不好。
寂寞,是某种饥渴,静静的、淡淡的。寂寞,是某种企求,尽管自已都不甚明了。当寂寞来临,就想要干点什么,会感到某种温馨,就想畅开心扉。
西行、芭蕉都曾寻求过寂寞。那大概是某种更加深刻的寂寞吧。而我时不时所感受到的,只是孩童似的寂寞,或者说是嫩芽般的寂寞。
不是什以不可自拔的寂寞,而是恰到好处的寂寞。
其程度也并不太严重、远非不可救药。只要写一点东西、散散步、看一幅好画什么的便可得以慰籍。
然而这寂寞却能使人认真。使人沉静。使人真心地去追求一些什么。使人懂得谦逊。
所以我喜欢这种寂寞,把它当成一种清纯的东西,而不欲轻薄待之。
寂寞,是一种清纯的憧憬。

 

 


作者介绍:
武者小路实笃
 
    (1885~1976)
    日本小说家。
    生于东京贵族家庭,父亲武者小路实世是子爵,祖父实藏为著名的歌人。他从幼年即入贵族子弟学校学习院学习,青年时对文学发生兴趣。受到托尔斯泰作品的影响,在哲学上接近禅学和阳明学派。这对他以后的创作思想有重要的影响。
  武者小路实笃于1908年在学习院高等科毕业,入东京帝国大学社会科,次年退学,与木下利玄、志贺直哉等办同人杂志,发表处女作《芳子》。1910年,同人杂志成员和有岛武郎、有岛生马兄弟等创办文艺刊物《白桦》,提倡新的理想主义的文艺,形成“白桦”派,武者小路是它的代表作家。
  他早期的主要作品,有中篇小说《天真的人》(1911),长篇小说《幸福者》(1919),剧本《他的妹妹》(1915)、《一个青年的梦》(1916)以及《爱欲》(1926)等,作品文体平易,表现作者对人生明朗而强烈的愿望。如《天真的人》写一个在恋爱上遭受打击的青年,直到他所爱的女子同别人结了婚,他还相信对方是爱自己的。《一个青年的梦》作于第一次世界大战正在剧烈进行的时候,反映了人类爱好和平的愿望。
  武者在创作和生活上,表现为一个乐天的理想家。曾发起“新村运动”。1918年创办《新村》杂志。为建设乌托邦式的社会,在日向创办劳动互助、共同生活的模范新村。1925至1936年,主办杂志《大调和》和杂志《独立人》。后以马克思主义在日本的普及,他的新村运动和社会主义思想遭到批判。在这次批判的风暴中他坚持自己的信念,并在这一时期写出了一系列长篇和中篇传记小说,如《释迦》、《孔子》、《托尔斯泰》、《二宫尊德》(1929)等。1937年欧游回国到1945年日本侵略战争失败的这一阶段内,他除继续创作一些戏剧和长篇小说外,从事美术著述,有《美术论集》、《读美》、《生活在艺术中的人们》等新著刊行,并发表《大东亚战争私感》(1942)等文章,支持侵略战争。战后致力于绘画,并从一般的文人画转向西洋画的制作。1951年以后完成长篇小说《真理先生》。

                         (楼适夷) 

 


原文:
小さい寂しさ
武者小路実篤

時々、別に理由もなく寂しさを感じることがある、こう言う時、何か書きたくなる、書くことでその寂しさに打ち克つことが出来る気になる。だからこの寂しさを感じることは悪いこととは思わない。

何かに餓えている。それもごく静かに淡い。何かを求めている、その求めているものは何か自分にもわからない。そう云う時、何か仕事がしたくなる。何かに親しみを感じる、自分の心をうちあけたくなる。
西(さい)行(ぎょう)も芭蕉も寂しさを求めていた。その寂しさはもっと痛切なものであろう。それだけそのその寂しさからのがれることは難しかったろう。僕は時々感じるのは、その子供のようなものだ。或いはその新(しん)芽(め)のようなものだ。
どうにもならないと言う程の寂しさではない。丁度いいくらいの寂しさである。
それだけ其処から生まれるものも、そう真剣な、どうにもならないと言うものではない。何か書くか、散歩かするか、いい画を見るか、すればそれで慰められる程度だ。
しかしこの寂しさは人を真面目にする。しんみりさせる。正直に何か求めさせる。謙遜にしてくれる。
だから僕はそう言う寂しさを、清いものとして愛するのである。馬鹿にしたくないと思っている。
清い憧れである。


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