年终岁尾
就大自然的脚步而言,秋去冬来,则严寒降临,冬去春来,则天气回暖。就人类社会而言,十二月自然是一个大的段落,是这一年总清算。所有的借贷都在年末结清。日常的所欠人情也在此一总尝还。虽然这一切也成了惯例,可不知为什么,听到腊月的声音,心里总有一点点慌张。
使岁末的心情越发缭乱的是商店的年终大甩卖或圣诞大甩卖。还有工会的年关斗争。罢工也已经成了年底的定期活动了。如此这般,腊月便更加慌张、匆忙了。再加上忘年会和圣诞夜的欢闹。圣诞是一天就结束了,而忘年会只办一次可能还“忘”不了旧“年”,一些有钱有闲好热闹的人往往要办上好几次。
就岁末的忙乱而言,日本似为世界之冠。哪个国家都不像日本这样手忙脚乱的。那是因为日本把一年的麻烦事全都留在了年底。按照西方的生活方式,是一星期或一个月就了结掉一些小麻烦。战后的日本一度相当的“小麻烦”主义了,可是“大麻烦”主义的恶习还远没有根除。对腊月、过年过于看重了。
荒垣 秀雄 《天声人语》
原文:
年末
自然の歩みから言えば、秋の次に冬が来て寒くなり、冬の次には春が来て暖かくなる。人間の社会生活から言えば、十二月はやはり一つの大区切りで、一年の総決算になる。貸し借りも年末には一応綺麗にする。平素の不義理も一まとめにしてお義理を果たす。そういうしきたりなのだが、なかなか思うようにならず、師走の声を聞くと、何となく心せわしい。
師走気分をさらにあわただしく掻き立てるのは、商店の歳末大売り出しやクリスマスセール。それに労働組合の越年闘争。ストも年末行事化として、師走というものがいっそうあわただしいものとなった。おまけに忘年会がある。クリスマスイブというドンちゃん騒ぎがある。クリスマスの方は一日で済むが、忘年会の方は一回だけで年忘れができぬと見えて、金と暇と遊興ぐせのある人は何度でもやる。
歳末のあわただしさでは、日本は世界に冠たるものであるようだ。どこの国も年末だからといって、日本ほど忙しくあわただしくする所はない。それは一年中のしわよせを全部年末に持っていくからでもある。西洋流の暮らし方では、一週間とか一ヶ月ごと小じわで始末してゆく。戦後の日本はよほど小じわ主義になって来たが、まだまだ大じわ主義の旧弊が抜けきらない。師走だ越年だと重大視し過ぎる。
荒垣 秀雄 「天声人語」