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【天声人语】04年9月17日 安身之处
时间:2007-11-09 13:44:04  来源:本站原创|http://coffeejp.com/blog/index.php/27935/viewspace-3217  作者:华南虎

040917安身之处

失去你后的悲凉,今天又结队向我涌来。因长崎县佐世保市的小学事件而痛失爱女怜美的御手洗恭二先生,用他独特的言语向我们传达了他的思绪。在那思绪的底层所蕴藏着的,是无法用言语来表达的深深的悲伤。

事件过后一百多天,家庭裁判所对那同级女生作出了送少年管教所的保护性处分的判决。那判决书中的“安身之处”引起了我的注意。

对于这个不善于用言语和他人交流的女孩子来说,递纸条、上网就成了唯一能安心地表达自我,能确认自己存在“安身之处”。当她发现别人在网页上写了些东西,就认为自己的“安身之处”被人侵犯了,一怒之下就发生了该事件。但是,据说那些文章也绝非是足以引发杀人动机的东西。

在栃木县小山市发生的儿童绑架事件中,继3岁的弟弟的尸体之后,4岁的哥哥的尸体也被发现了。思川,这条有着令人心酸的名字的河流,如今竟成了罕见的凶残案件的现场。对暴行自然是切齿痛恨的,更使人追悔不已的是,那两个幼小的生命竟然得不到安全的“安身之处”。

“所谓‘安身之处’,对大人也好,对小孩子也好,都有着同样的含义。假如父母亲觉得在自己的家里没有‘安身之处’的话,那么毫无疑问他们的孩子也会感到在自己的家里没有‘安身之处’。」(《现代精神特刊》・岩月謙司)

人,总在寻找着各自心灵的“安身之处”。可那实在不容易找到。

040917《天声人語》

今も君のいない寂しさがスクラムを組んでやってきます。長崎県佐世保市の小学校の事件で娘の怜美(さとみ)さんを奪われた御手洗(みたらい)恭二さんの思いが、独特な表現を通して伝わってくる。その思いの底には、言葉にはならない深い悲しみがあるのだろう。

事件から百余日、家裁は、同級生の女児を自立支援施設へ送るという保護処分を決めた。その決定要旨(けっていようし)の「居場所」という文字が目についた。

会話でのコミュニケーションが不器用な女児にとって、交換ノートやインターネットが唯一安心して自己を表現し、存在感を確認できる「居場所」になっていた、とある。ホームページに書かれたことなどを「居場所」への侵入ととらえ、その怒りが事件につながったとする。しかし、その文章などは、他人に殺意を抱かせるようなものでは決してなかったという。

栃木県小山市で起きた幼児誘拐事件では、3歳の弟に続いて、4歳の兄が遺体でみつかった。思川(おもいがわ)という切ない名をもつ流れが、まれにみる残忍な事件の現場となってしまった。凶行は、憎(にく)んでも憎(にく)みきれないが、幼いふたりが、どこかで安心できる「居場所」を得られなかったものかと悔(く)やまれる。

 「居場所というのは、大人にとっても、子どもにとっても同じ意味を持つ。自分の家には居場所がないと感じている親がいるとしたら、間違いなくその子どもも自分の家に居場所はないと感じているものだ」(『現代のエスプリ別冊』・岩月謙司)

人は、それぞれの心の居場所を探している。しかし、それを見つけるのは容易ではない。


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