“故乡在我思念的远方/在我哀愁的歌中”。这是室生犀星年轻时的作品《抒情小曲集》里,一首著名诗歌中的一节。
想在东京成为一名诗人的梦想已经破灭,只得暂回金泽故乡,诗歌所呈现的正是作者当时的心情。他接下来写道,“即使/在异乡乞食潦倒/也不该退缩彷徨”。
让我想起这首诗,是因为看到了,在发现了远涉重洋身殁异乡的遣唐使的墓志的报道中,有“异土”和“故乡”的字样。据新华社通讯报道,墓志的末尾是:“形既埋于异土、魂庶归于故乡”。专家翻译为:“身体埋葬在此地,而魂魄定然回归故乡”。
墓主人是和阿倍仲麻吕一起受派遣,并在朝中才干超群,36岁而猝死,皇帝给予了特例厚葬——。若他的一生果真如墓志所撰,则可谓是辉煌而又哀伤、紧张而又动人的一生了吧。
“彼大唐,乃法令完备之宝国。宜常趋赴”。以遣隋使的学问僧及学问生的身份渡洋而去,在亲眼目睹了隋亡唐立后归国的人们,曾如此这般向推古朝廷进柬,于是便开始了遣唐使的派遣(《最后的遣唐使》讲谈社)。
既在世界的中心之一的唐都,以出类拔萃的才干得到赏识,则虽有“异土”、“故乡”云云,自然亦均与犀星之时不可同日而语了。然而从人生这一艰难的航程来看,此二语,自有其超越时代和个人际遇的沉重和无奈。
041013《天声人語》
「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」。室生犀星(むろうさいせい)の若き日の作品「抒情小曲集(じょじょうしょうきょくしゅう)」の有名な詩の一節である。
東京で詩人になろうという夢が破れ、一時金沢に帰郷した頃の心情が表れている。そしてこう続く。「よしや/うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても/帰るところにあるまじや」
この詩が思い浮かんだのは、遣唐使として海を渡り、かの地で没した人の墓誌が発見されたとの記事に、「異土」と「故郷」という文字があったからだ。新華社通信によれば、墓誌の末尾は、こうだった。「形既埋於異土、魂庶帰於故郷」。専門家の訳では「体はこの地に埋葬されたが、魂は故郷に帰るにちがいない」となるそうだ。
阿倍仲麻呂と一緒に派遣され、朝廷で抜きんでた活躍をしたが36歳で急死、皇帝が特別に埋葬――。墓誌がつづった通りの生涯があったとするならば、まぶしくも悲しく、劇的な一生ということになるのだろう。
「其(か)の大唐国(もろこしのくに)は、法式(のり)備(そなわ)り定(さだま)れる珍(たから)の国なり。常に達(かよ)うべし」。遣隋使の学問僧や学問生として渡航し、隋の滅亡と唐の誕生を目の当たりにして帰国した人たちが、こう推古の朝廷に進言して、遣唐使は始まっている(『最後の遣唐使』講談社)。
世界の中心の一つだった唐の都で抜群の働きを認められたとするならば、異土も、故郷も、その意味合いは、犀星の場合とは違っていたはずである。しかし、人生という生(なま)やさしくない航海にあっては、この二つの言葉は、時代や境遇を超えて通じるような、重みと切なさを備えている。