自己的名字被人搞错时,有人会不高兴,也有人不在乎。曾有人将著名哲学家的名字拼错,吓得直冒冷汗。事后向他道歉时他却淡淡地说“这是常有的事。”
这位哲学家就是日前以74岁高龄去逝的的法国哲学家雅克•德里达。他的名字当然应该是法语,但在采访报道中却被写成了英语式的拼写。后来知道他的真名叫杰克,这一美国风格的名字又叫人疑惑不解。
他是20世纪后半叶最具影响力的大哲学家之一。在他死后我常常思,他的哲学为何如此大受欢迎呢?作为外行的瞎猜想,尽管他的著作晦涩难懂,但他又作了一个极其通俗易懂的《处世格言》的翻版或许是一个原因吧。
譬如说有人虎着脸以“我不怕你们误解地说……”开头发言,德里达就会以“一切都是在误解之上”的论调来避其锋芒。他是基于不存在正统的解释、确凿的真实的前提来思考问题的。
有人回顾自己一生时会说“该看的东西都看过了”。德里达则认为人类是在看尽了、想尽了一切之后再前进的。哲学家不并能提供什么新的见识,所能做的仅仅是调整人们的思路。
最近在书店里经常看得到哲学书。是人们在这个日益动荡不安的世界里欲寻求心灵寄托的心理高涨的缘故吧。说句不怕误解的话,“别怕误读”就是德里达风格的哲学主张。
041020《天声人語》
自分の名前を間違えられて、不快に思う人とあまり気にしない人がいる。高名な哲学者の名前のつづりを間違えて書いてしまい、冷や汗をかいたことがあった。後に謝罪すると、彼は「よくあること」といったふうに穏やかに応対してくれた。
先日、74歳で亡くなったフランスの哲学者ジャック・デリダ氏である。インタビュー記事でジャックを英語風に表記したのだが、もちろんフランス語であるべきだった。彼の本名が、ジャッキーというアメリカ風だったことを後日知り、複雑な思いにとらわれもした。
20世紀後半、最も影響力の大きい哲学者のひとりだった。彼の哲学がなぜあれほどもてはやされたか。死後、しばしば考える。著書の難解さにもかかわらず、意外に平易な「処世訓」に焼き直すことができるのも一因か、と門外漢は勝手に思う。
たとえば誰かが「誤解を恐れずにいえば……」と気色ばんで発言する。デリダなら「すべては誤解の上にある」とかわすだろう。正統な解釈、確固とした真実などない、という前提から彼は考え始める。
あるいは「見るべきほどのことは見つ」と人生を振り返るとする。デリダは、人類はすべてのことを見尽くし、考え尽くしたという前提から出発する。哲学者は何か新しい知見を加えるのではなく、思考の文脈をずらすことしかできない、と。
このごろ本屋で哲学書をよく見かける。不安定さを増す世界で、よりどころを求める気持ちが強まっているのか。誤解を恐れずにいえば、「誤読を恐れるな」がデリダ風の哲学の勧めである。