72个小时。据说这是压在被地震震塌的房屋下的人尚能获救的一个时间极限。这是人在不吃不喝的情况下能够存活的极限,过了此极限,获救的可能就相当渺茫了。
92个小时。这是从新泻县中越发生地震后,到在信浓川沿岸的泥石流现场将皆川优太救出为止所经过的时间。简直是超越极限,奇迹般的生还。
被泥石埋了将近整整4天的优太紧紧地抱住了救援队员。脖子也好好的,还在动。赤裸的双脚看着叫人心疼,他虽然只是一个2岁的幼儿却极其顽强。眼前这个景象与我脑海中的,85年日航巨型客机坠落的第2天,尚存一息的中学生被人从背后抱起送入直升机的场景重叠起来了。
在优太获救的3小时后,优太的母新——贵子女士(39岁)被送到等在空中的直升机中。四周围一片漆黑,探照灯射出的桔黄色的灯光往返交错。然而3岁的真优在救援工作中断以前,尚不能确定平安与否。
东京以及长野的消防、警察、自卫队等所组成的救援队在余震频发之时,坚持执行危险而又艰难的援救工作。甚至还动用了名为“天狼星”的电磁波人命探测器。在得到车子那边传来有声音的报告当时,他们是一心想要将3人一起抢救救出来的。但那已是可望而不可及的事了。
生死分际的严酷,痛锥心胸。电视中在灯光下闪着白光的信浓川的微波涟漪是那么的模糊不清。
041028《天声人語》
72時間。それが、地震で崩れた建物の下敷きになった人を救助できるタイムリミットだという。人が水と食料なしで生き延びられる限界だからで、ここを過ぎると、生存救出率は急激に下がる。
92時間。これは、新潟県中越地震が起きてから、信濃川沿いの土砂崩れ現場で皆川優太(みながわゆうた)ちゃんが助け出されるまでの時間だ。いわば、限界を超えた、奇跡的と言いたくなるような生還である。
まる4日近くも土石に閉じこめられていた優太ちゃんは、救急隊員に、しっかりとしがみついた。首も、ちゃんと動いている。むき出しの脚が痛々しいが、2歳の幼子が、よくがんばったものだ。85年の日航ジャンボ機の墜落の翌日、生存していた中学生が後ろから抱きかかえられながら救助のヘリに収容される場面が、二重写しになった。
それから3時間後に、優太ちゃんの母、貴子さん(39)が、上空で待機するヘリコプターに収容された。あたりは闇に包まれ、投光器からオレンジの光が行き交った。そして、3歳の真優(まゆ)ちゃんは、救出作業が中断したときまでには、安否は確認されなかった。
東京や長野の消防、警察、自衛隊などの救助チームが、たびたび余震が起きる中、危険で困難な作業を続けた。「シリウス」と名付けられた電磁波による人命(じんめい)探査装置も使われた。車の方で声がしたと報じられたときには、ひたすら、3人そろっての救出を念じた。しかし、それはかなわないことだった。
生と死の分かれの過酷さに胸を突かれる。投光に白く輝く、テレビ画面の信濃(しなの)のさざ波が、ぼやけて見えた。