秋天的心是个愁字,自古以来秋天总是与忧愁相伴。秋雨之心尤其沉重,而今年的秋雨则愈发地惹人忧思。
这一句或许辞锋过锐。“秋风秋雨愁煞人”。这是谋划反请革命,1907年、33岁时赴刑场的秋瑾的辞句。审讯中她始终一言不发,在递来的纸上仅写下了前面那句话。她被称为辛亥革命的先驱、英雄,在她的绝命辞中,浸透了悲愤和哀愁。
法国诗人的低吟也浮上了我的心头。“秋日里 /小提琴的叹息声浸润着我的身体/径直引起/我无名的忧伤”(魏尔伦《落叶》上田敏译)。诗人在钟声里怀古落泪,由落叶而感慨自身命运的无常。
仓嶋厚先生曾写过在树叶开始变色的10月里鸣叫的 “秋蝉”。说它似乎并非是从盛夏熬过来的。“结束了漫长的地下的生活,好不容易来到了地上,可它们的季节已经过去了”。他怜悯它们“一降生便不得不吟唱季节的挽歌的命运”,也给它们送去鼓励 (《疗疾季节里的笔记》幻冬舍)。
虽然有些年的秋天尽是秋高气爽的好天气,可在今年的10月却横遭台风、地震之重灾。身心两面不免都饱尝了凄风苦雨的侵袭。而大自然的无情追击更令人担忧。
以“秋风萧萧愁杀人”起首的,作者不明的中国古诗《秋风》,抒发了离乡背井之人的深深忧思。受灾地区人们的忧愁之深更是可想而知。
041031《天声人語》
秋の心を愁(しゅう)といい、古来、秋には憂愁(ゆうしゅう)がつきまとってきた。とりわけ秋の雨は心を重(おも)くし、今年の秋雨は、ひときわ憂いを誘う。
この言葉はあまりに鋭(するど)すぎるだろうか。「秋風秋雨(あきかぜあきさめ)、人(ひと)を愁殺(しゅうころ)す」。清に対して革命を企(くわだ)てたとして1907年、33歳で刑場(けいじょう)に散った秋瑾の言葉である。彼女は調べに黙秘(もくひ)を貫(つらぬ)き、渡された紙にただ先の言葉だけを記した。辛亥革命(しんがいかくめい)のさきがけといわれ、英雄視される彼女の辞世の言葉には、悲憤(ひふん)と哀愁(あいしゅう)が入(い)りまじる。
フランスの詩人のつぶやきも心にしみいる。「秋の日の ●オロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。」(ヴェルレーヌ「落葉」上田敏訳)。詩人は、鐘の音に過去を思い出して涙し、落ち葉にさだめなき我が身をなぞらえて慨嘆(がいたん)した。
木の葉が色づき始めた10月に鳴く「秋の蝉(せみ)」のことを倉嶋厚(くらしまあつし)さんが書いていた。盛夏の生き残りではないだろうという。「長い地下生活を終えて、やっと地上に出てきたら、彼等の季節は過ぎていたのです」。彼等の「生まれながらに季節の挽歌(ばんか)を歌わなければならない呙工颏い趣筏摺⑸颏耄ā喊K(いや)しの季節ノート』幻冬舎)。
さわやかな秋日和(あきびより)がつづく年もあるのに、今年の10月は、台風、地震と大きな災害に見舞われた。冷たい秋の雨風は、それこそ心身を打ちのめしかねない。非情な追い打ちが気がかりだ。
「秋風蕭々(しょうしょう)として人を愁殺す」で始まる作者不明の中国の古い詩「秋風」は、家を離れて暮らす人の深い憂愁を描く。被災地の人々の憂愁の深まりが思われる。