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【天声人语】06年2月11日
时间:2007-12-14 13:19:20  来源:本站原创|http://coffeejp.com/blog/index.php/27935/viewspace-3217  作者:华南虎

「良寛はしきり(に)欲いのですとても手には入りませんか」。晩年に良寛への関心を深めた夏目漱石が、1914年、大正3年に知人に送った書簡の一節だ。 夏目漱石在晚年对良宽(注:1758~1831日本江户后期曹洞宗的僧人、诗人)醉心日甚。1941年他在给友人的信中写道:“我太想要良宽的作品了,真的很难弄到吗?”。  1年余り後に、念願がかなって手に入った時の礼状には、自分の書が所望ならいくらでも書きましょうとしたためている。「良寛を得る喜びに比ぶればあくひつ悪筆で恥をさらす位はいくらでも辛防可仕(つかまつるべく)候」(『漱石全集』岩波書店)。 一年多以后,他终于如愿以偿,在谢函中他写道,如果想要自己的字,则要多少就写多少。“得到良宽的大作令我欣喜无比,而我自己的拙劣之笔随时准备献丑。” (《漱石全集》岩波书店)。  良寛の書いた「詩書屏風(びょうぶ)」が、東京・上野で開催中の「書の至宝」展に出品されている(東京国立博物館 19日まで)。自詠の漢詩を草書で揮毫(きごう)したもので、筆画が極度に省略されていることもあって、ひとつひとつの文字は読み取りにくい。しかし、墨で示された筆の通り道と、その周辺の空白との間には、不思議な一体感が生まれている。屏風全体として、見る側を緩やかに包み込むような大きさがある。

 

 良宽手书的《诗书屏风》现正在东京上野举行的“书法至宝展”中展出(东京国立博物館 19日止)。这是良宽自咏汉诗的草书作品,挥毫恣意纵横,笔划也极为简略,文字很难一个个地加以字辨认。然而,着墨的笔迹部分与四周的留白相得益彰,体现出一种奇妙的整体感。整个屏风显得异常宏大,似乎要将观众宽宽松松地包裹进去。  良寛は、中国や日本の書を手本にしながら、独自の書風を手にした。「至宝」展は、その手本のひとりとされる「書聖」王羲之(おうぎし)を含め、古代中国から日本の江戸期までの数々のいっぴん逸品を中心に展示している。 良宽在模仿中国和日本的书法的同时,创出了独特的书风。在这次“至宝展”中还展出了包括被良宽奉为法帖之一的“书圣”王羲之的作品在内的,从中国古代到日本江户时期的众多精品。  うらないを記録した文を牛骨に刻んだ「甲骨文」は、3千年以上前のものだ。文字の祖先のような素朴な線のつら連なりの前で、漢字がたどってきた長い歴史を思う。 其中记录占卜内容的,刻在牛骨上的“甲骨文”,已有3000年以上的历史了。在这些如同文字的祖先一样的,朴素的线条组合前,不由得令人缅怀起汉字演化所走过的漫长历史。  さまざまな時代を経て日本へも渡り、ひらがなが生まれ、今に至った。漢字とかなの、ぜいたくな競演の場となった会場を巡り歩く。「東洋の記憶」とでも名付けたい音楽が、どこからともなく響いてくるかのようだった。 汉字经过各个时代,东渡到日本,然后平假名应运而生,一路发展到今天。我漫步在这个奢华的汉字与假名的竞艳场上,不知从何处似乎隐隐约约地传来了,欲题名为《东洋记忆》的音乐。


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