米太平洋岸のシアトル市の近くに、ベインブリッジという小さな島がある。今はフェリーで市内に通勤できる緑豊かな住宅地だが、戦前は日系人がイチゴ摘みに従事する貧しい農作地帯だった。
在美国太平洋岸边的西雅图市附近,有一个名为贝里布里奇的小岛。现在那里是一个绿化很好的住宅区,人们可乘坐渡轮去市里上班,但在战前却是日裔在此采摘草莓的贫穷的农业地区。
太平洋戦争の勃発(ぼっぱつ)からほどなく強制収容所に送り込まれたのが、ここに住む日系人240人である。64年前の3月のことだ。近くに海軍の施設があったため、破壊活動の疑いをかけられたのだ。軍がやって来て、1週間以内の強制退去を命じた。
居住于此的日裔曾有240人,太平洋战争爆发后不久,他们就全被送进了集中营。那已是64年前的3月里的事了。由于附近有一些海军设施,而他们被怀疑有破坏行为。军队来到了岛上,命令他们在一星期内实施强制撤离。
そのときに抗議の声をあげたのは、島の新聞「ベインブリッジ・レビュー」の発行人で、編集長でもあったウッドワード氏だった。「米国生まれの2世は我々と同じ市民権を持っている」と社説に書いた。
那时,岛上报纸《贝里布里奇评论》的发行人兼总编伍德华德发出了抗议之声。他在社论中写道:“他们是在美国出生的第二代,和我们一样拥有市民权”。
広告主が降り、読者も次々と離れたが、主張は貫いた。日系人を通信員に任命して、収容所での暮らしぶりを報じた。「この混乱が終わったら、君たちは帰って来るんだ」。収容所への手紙で励まし続けたのである。
尽管广告客户和读者都纷纷离去,他依然坚持自己的主张。他启用日裔任通讯员,报道集中营里的生活状况。“这次的混乱结束后,你们还是要回来的”。他还通过书信不断地鼓励着集中营里面的人们。
戦後になって、彼の行いは高く評価された。日系人の苦難を背景にした90年代のベストセラー小説で、映画にもなった「ヒマラヤ杉に降る雪」を覚えている人もいるだろう。物語に登場する日系人のために論陣を張る新聞記者は、彼がモデルだと言われている。
战后他的行为得到了很高的评价。也许还有人还记得以日裔所经历的苦难为背景,一度还被拍成电影的畅销书《落到雪松上的雪》吧?据说该书中为日裔辩护的新闻记者就是以他为原形的。
02年に島を訪れてみたが、ウッドワード氏はすでに亡くなり、新聞も他人の手に渡っていた。船着き場に立ちながら、あの寒い3月の朝、日系人がフェリーに追い立てられる光景を想像した。そして、だれの身であれ、不正は座視できないと考えた人の勇気を思いおこした。
02年我去该岛时,伍德华德已经逝世,报纸也有他人接手了。我站在码头上,想象着在那个寒冷的3月的早晨,日裔被驱赶到渡船上去的情景。同时,也缅怀着那位认为不管是针对谁,只要不公正就不能坐视不管的人的勇气。