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【天声人语】06年7月19日 罐装氧气
时间:2007-12-14 13:32:09  来源:本站原创|http://coffeejp.com/blog/index.php/27935/viewspace-3217  作者:华南虎

大手コンビニのチェーンで先月から、酸素の缶詰が全国発売されている。スプレー缶のような形をしており、ノズルから出る酸素を吸い込む仕掛けだ。

大型便利连锁店自上月起,开始在全国范围内销售罐装氧气了。那样子有点像喷雾罐,使用时从喷嘴处吸入氧气。

1缶600円で、2秒の噴出を35回ほど繰り返すことができる。1回約17円の計算になる。効能は、ストレス解消とリフレッシュだそうだ。だれが買うのかと思うが、広報担当者によると、予想以上の売れ行きだという。

每罐600日元,每按一次喷气2秒,可以重复按35次。每次折合17日元左右。据说它具有消除精神压力、健神醒脑之功效。有谁来买呢?这样的担心似乎是多余的,据信息部门的人说,销路远比预想的要好。

「ミネラルウオーターが売り出された時、売れると思いましたか。ペットボトル入りのお茶はどうでしたか。酸素を買う時代が来ても不思議はありません」。そう説かれると、そんな気がしないでもなくなってくる。

“当初矿泉水上市的时候,你曾觉得有人买吗?瓶装茶上市的时候,又怎么样呢?如今到了花钱买氧气的时代,又有什么奇怪呢”。经他这么一说,倒也觉得不无道理。

酸素といえば、国会議事堂の中には、「酸素ボックス」というものがある。性罕净嶙h場の出入り口のわきにある、電話ボックスを改造した古びた箱だ。議員専用で、中にある酸素ボンベを自分で操作して吸い込む。ちなみに、参院にはない。

提到氧气,国会大会堂里,倒是有个“氧气箱”的。放在众议院会议大厅门口旁边,一个由电话箱改造而成的旧箱子。那是议员专用的,里面有氧气瓶,要用时得自己动手。顺便提一下,在参议院没有这样的玩意儿。

性菏聞站证摔瑜毪取ⅲ叮赌辘巫h院邌游瘑T会で、「本会議が深夜まで続くと、頭が痛くなったり眠くなったりする。気分転換にもなる」と提案があり、直ちに設置された。当時の首相は佐藤栄作氏。前年には日韓条約をめぐる強行採決があり、国会が大もめの時代だった。

据众议院秘书处介绍,在1966年的议员运营委员会上,有人提出需要氧气瓶,说是“本次会议一直开到半夜三更,开得人头昏脑涨、昏昏欲睡觉。吸点气瓶,也能换换心情。”于是马上就给装上了。当时的首相是佐藤荣作。在此前一年就日韩条约进行了强制性表决,国会上闹得不可开交。氧气箱就是在这样的时代背景下,应运而生的。

最近は牛歩戦術や徹夜国会がほとんどなくなったこともあって、あまり使われていないという。酸素の缶詰の存在を知っていた衛視(えいし)の一人は、「先生方も随分若くなって、これからはコンビニで買う時代になるんでしょうかね。こういうボックスは消えていくのかもしれません」と話していた。

最近什么牛步战术、通宵国会之类已几乎没有了,所以听说氧气也不怎么用了。一位得知罐装氧气的国会警卫说:“议员也年轻化了,要用氧气的时候也会去便利店买。所以,这个氧气箱也许就要退出历史舞台了吧”。



相关链接:
一.040606牛步
想起了太田省吾先生排演的80年代的一系列的舞台剧,或许对他有些不敬。那是因为看到国会上传统艺术“牛步战术”的复活,而脑海中浮起了演员的脚步慢得出奇的《水驿》等哑剧的情景。使人深感划时代的演剧与时代倒错的牛步剧之间的落差。

在战后不久的46年曾有过“与时钟对视的牛步导致大会流产”的报道。这似乎是牛步的发端。在第一届吉田内阁上,社会党等在野党提出了针对众议院院长的不信任案。而对欲以席位数压人的执政党,在野党施展牛步进行对抗,拖至深夜零点之后,使会议流产。

自此以来,这样的标题频频见诸报端。“社会党再走牛步”“牛步剧角色也心烦”,以牛步而收功的几乎没有,只留下徒劳,虚无之感。

这一次,久违了的“牛步剧”再度上演。在年金未缴纳的骚乱中,角色一变再变似乎偏离了剧本的安排。在这事关长远将来的生活的主题上,对其内涵挖掘不够。由强行表决一变而为牛步战术的旧剧风格似闭幕也实在令人失望。

关于太田先生的哑剧曾有如此评价。“其动作极其缓慢似乎在挑战观众的耐力,在令人心焦的慢吞吞的表演中,一种日常看不到的领域,静悄悄地呈现出来”(扇田绍彦《现代演剧之航海》立波罗伯特)。

从围绕年金法案的闹剧中到底出现了什么。如果真正的主角,即我们这些主权者被忽视了,那才是徒劳无益之事。


原文:
040606《天声人語》

 太田省吾(おおたしょうご)さんが演出した80年代の一連の演劇を思い浮かべるのは彼に失礼かもしれない。国会での伝統芸「牛歩戦術(ぎゅうほせんじゅつ)」の復活を見て、驚異的な遅さで俳優が歩く「水の駅」など沈黙劇の情景が浮かんだのだった。時代を画した演劇と、時代錯誤(さくご)にも見える牛歩劇との落差を痛感しつつ。

 戦後すぐの46年に「時計と睨(にら)めつこで牛歩、本会議を流す」の記事がある。牛歩の最初らしい。第1次吉田内閣で、社会党など野党が性鹤h長の不信任案を提出した。数でつぶそうとする与党に野党は牛歩で対抗、深夜0時を越えて流会(りゅうかい)に持ち込んだ。

 以来、こんな見出しが並ぶ時代が続く。「社会党また牛歩」「役者もうんざり 牛歩劇」。牛歩が成功を収めたことはほとんどなく、徒労感とむなしさばかりが残ることが多かった。

 今回、久しぶりの「牛歩劇」再演である。未納騒動で役者が次々交代したのは筋書きにない展開だった。長い将来の生活にかかわる重要テーマをかかげながら、中身の掘り下げが足りなかった。強行採決から牛歩戦術へと旧劇風に幕を下ろしてしまったのにもがっかりした。

 太田さんの沈黙劇にはこんな評がある。「観客の忍耐力に挑戦するかのように極端に遅くし、そのじれったいほどゆるやかな表現のなかから、日常の眼では見えにくい領域を静かに立ちあがらせた」(扇田昭彦(せんだあきひこ)『現代演劇の航海』リブロポート)。

 年金法案をめぐるドタバタ劇から立ち上がってくるものは何か。真の主役、つまり主権者の私たちが無視された、ということだったとすればむなしい。

二. 日本参院的“牛步战术”(光明日报)
本报驻东京记者 蒋道鼎
“牛步战术”的由来
  在西方国家的议会,处于少数地位的在野党为阻止某项法案的表决,往往通过发表冗长的演说来干扰议事日程的进展,而“牛步战术”则是日本的独创。
  日本国会采用“牛步战术”是从战后开始的。1946年8月,当时在野的社会党和执政的自由党围绕新宪法问题发生对立,社会党为阻止法案的表决,向国会提出了不信任众议院议长的决议案。在对这一决议案进行记名投票表决时,社会党议员又以慢步行进的方式拖延时间,结果使众议院全体会议因越过午夜12点而失效。当时日本报纸曾用“比牛行走还慢”来形容投票情景,“牛步战术”由此得名。
  50年代,随着国际形势的发展和日本国内政治力量的变化,在野党和执政党议员因在法案上的争执而相互厮打的现象屡见不鲜,速记和警卫人员常在混战中受伤,“牛步战术”逐渐被“武斗方式”取代。后来,由于电视等影像技术的进步,国会审议通过电视实况转播越来越多,国会内部发生的厮打场面通过电视屏幕展现在观众面前,确实不很雅观。于是,以“拒绝审议”的方式来阻挠法案表决又成为在野党与执政党进行对抗的主要手段。进入80年代后,“牛步战术”再呈活跃趋势。1987年9月,当时的内阁首相中曾根康弘因急于通过“调节税法案”而强行召开国会,在野党则对当时的大藏大臣宫泽喜一等人提出了一连串的不信任决议案,并以“牛步战术”对这些决议案进行投票表决,结果导致“调节税法案”事实上流产。1988年12月,竹下内阁提出了“消费税法案”,在野党又以“牛步战术”进行阻挠。
  “牛步战术”所耗时间的最高纪录是1992年日本国会审议《联合国维持和平活动合作法案》(以下简称《合作法案》)时创下的。当时的社会党认为,所谓《合作法案》,实际上是打着“国际贡献”旗号的“派兵法”,它不仅从根本上动摇了日本现行宪法的基本理念,
而且关系到日本今后走什么样的道路,因此一直采取强烈的反对态度。《合作法案》一提交参议院,社会党就准备用“牛步战术”进行对抗。为此,社会党还对新议员进行了“牛步训练”。为阻止参议院全体会议对《合作法案》进行表决,社会党提出了包括追究宫泽首相责任在内的一系列决议案,使《合作法案》拖延了4天3夜才获通过。参议院在表决追究“国际合作特别委员会”委员长下条进一郎的责任这一决议案时,“牛步战术”所耗时间长达13小时零8分钟,创最高纪录。
  这次民主党等在野党相隔7年再次在参议院拿起了“牛步战术”这一以“小”抗“大”的“传统武器”,以拖延时间,抵制“窃听法”等法案通过。虽有人指责在野党损伤了“良知之府”的“大雅”,是“落后时代”的行为,但更多的人却表示理解和支持。曾任大平首相秘书的政治评论家伊藤昌哉指出,由于“自自公”三党实行联合,不论什么法案都想以人数优势强行通过,“牛步”就成了在野党对自民党炮制旨在“回归战前”的“阴谋法案”进行抵制的“最后手段”。社会评论家赤冢行雄认为,“牛步战术”虽是当年社会党经常采用的
抵抗手段,但今天在野党采用“牛步战术”的意义却不同。现在自民党不仅同自由党进行联合,还纠合公明党一起执政,用“人数就是力量”这一不讲道理的方式来操纵一切,在此情况下,在野党只有采取“牛步战术”这一“悲壮手段”进行抵抗,才能唤起当今国民对现状
的关心。


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