夏目漱石が自宅の「漱石山房」で面会するのは、木曜日と決まっていた。ある木曜の晩、門下の数人が漱石を囲んでいる時、初めての客が来たと手伝いの女性が告げた。「紹介状がなければ会わない」と漱石が言い、女性からそれを聞いた客は「田舎から先生にお目に掛かりたくてわざわざ上京したのだから」と粘った。
夏目漱石在自己的住宅“漱石山房”里会客,总是在星期四。有一个周四的晚上,门生们团团围着漱石而坐的时候,女佣通告说,来了一位生客。漱石说道,“没介绍信的不见”。从女佣处得到如此回复的来客不甘心就此作罢,说“我可是为了见先生一面,特地从乡下进京来的”。
座が気まずくなって誰も口をきかない。「紹介状がなければ会わない」。今度は漱石に怒るように言われ、女性はお辞儀をして去る。「みんなが黙つてゐる中で、私は漱石先生を憎らしいおやぢだと思つた」と内田百〓(門の中に月)が書いている(『菊の雨』新潮社)。
于是,气氛顿时凝重,座中鸦雀无声。“没介绍信的不见”。这次,女佣听得先生话中带怒,便躬身一礼退下了。“大家都默不作声,这时,我觉得漱石先生是个面目可憎的老头”,内田百闲在书中写道(《菊雨》新潮社)。
漱石が没して、きょうで90年になる。明治改元の前年に生まれた。日本が欧米と出会い、近代国家へと移り変わる激動の時代を生きた。
漱石去世,到今天已是90周年了。他出生于明治改元之前,亲身经历了日本与欧美风云际会,向现代国家转变的动荡年代。
漱石山房には、文壇の若い星たちが集まった。没する年の夏、芥川龍之介と久米正雄に「牛になるように」と書き送っている。「あせつては不可せん……根気づくでお出でなさい」
漱石山房之中,曾经文坛新星云集。“要如同牛一般”在他去世那年的夏天,还写信给芥川龙之介和久米正雄,“不可急躁……须坚忍不拔”。
死の前月の知人への手紙には、やや驚かされる一節がある。「変な事をいひますが私は五十になつて始めて道に志ざす事に気のついた愚物(ぐぶつ)です」(『漱石全集』岩波書店)。
在他去世前一个月写给友人的信中,有一段稍稍令人吃惊的内容。“说起来有点奇怪,我是个活到五十岁才有志与道的愚者”(《漱石全集》岩波书店)。
昨日、東京・早稲田の漱石山房跡の小公園には、時折冷たい風が吹き渡っていた。サザンカの白い花びらにサクラの枯れ葉が散りかかる。由来説明の板には、三四郎、それから、門、明暗などが山房で執筆されたとある。それらは、偉大な「憎らしいおやぢ」が世界とこすれあって奏(かな)でた不朽の交響楽のように思われた。
昨天,东京早稻田漱石山房遗志公园,不时吹过阵阵寒风。茶梅白色的花瓣上,散落者樱花树的枯叶。由解说牌可知,《三四郎》、《从那以后》、《门》、《明暗》等作品都是在此山房内完成的。这些作品,被世人喻为是,这个伟大的“面目可憎的老头”在与世界切磋中奏响的,不朽的交响曲。