果然是一副孱弱的样子。让人不禁想问个究竟,怎么就竟敢到那么危险的伊拉克去了呢?但是,香田证生在电视中那有所忌讳的话语,却出人意外地震撼着我的内心。那种振荡至今依然不息。
他传达了武装团体要求自卫队撤兵的要求,并说自己的性命与此相关。他道歉道“对不起”,又自言自语似地嘟囔道“完了以后,想回日本。”从这一声低语中让人感到他百感交集的思绪。或许就在那时,他已真正意识到了自己所希求的是什么了。
59年前,有一位青年,比香田君小一岁,23岁时战死在沙场。他叫竹内浩三,留下了这样的诗句“战死令人悲/卒伍之死令人悲/去远国 悄然而死有谁怜”。他看透了自己的命运。虽然情殊事异,但是以“我欲长生”开头的这首祈祷似的诗却可与香田的低语可发生共鸣(《战死令人悲》岩波现代文库)。
香田君于今年1月持可就业旅行签证去了新西兰。不知是否事出突然,兴趣一下子转向了中东。在以色列稍事停留之后经约旦进入了伊拉克。
他的旅行不是目的明确的旅行,可谓是去寻找某种明确的东西的旅行。大概是在寻求如他名字所反映的“生的证明”。而他在低语“想回到日本”之时,即悟出了生存下去本身的价值了吧。
这样的生存被无情地中止了。越发叫人觉得伤天害理。
いかにも弱々しげだった。なぜ危険なイラクにあえて行ったのか、と問いただしたくなるような気持ちにもさせられた。しかし、ビデオで遠慮がちに語る香田(こうだ)証(しょう)生さんの言葉に、意外なほど心の奥深くを揺(ゆ)さぶられた。振動はつづいている。
自衛隊撤退を求めている、という武装集団の要求を紹介し、自分の命がかかっていることを言う。「すいませんでした」と謝り、「あと、また日本に戻りたいです」と独り言のようにつぶやいた。ぼそっとした一言に万感の思いを感じとる。あのとき、彼は自分が希求(ききゅう)していたものに気づいたのではないか。
59年前、香田さんより一つ若く23歳で戦死した青年がいた。「戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ/遠い他国で ひょんと死ぬるや」の詩を残した竹内(たけうち)浩三(こうぞう)だ。彼は自分の呙蛞娡à筏皮い俊W礇rはまるで違う。しかし「ながいきをしたい」と書き始める祈りのような詩は、香田さんのつぶやきと共振する(『戦死やあわれ』岩波現代文庫)。
香田さんは今年1月、ワーキングホリデービザでニュージーランドへ行った。突然なのかどうか、関心は中東に向いた。イスラエルにしばらく滞在したあと、ヨルダン経由でイラク入りした。
明確な目的があっての旅というより、むしろ何か明確なものを探し求めての旅だったのではないか。たぶん名前のように「生の証(あかし)」を求めての。そして「日本に戻りたい」とつぶやいたとき、生きつづけること自体の価値を悟ったのではないだろうか。
その生が無残にも断ち切られた。不条理との思いが募る。