奥特、玛莉、弗雷滋、昂奴、路易。这些个西洋味儿的名字,在森鸥外的家里变身为于菟、茉莉、不律、杏奴、类(注:这些汉字在日语中的发音与第一句中的西洋名字相近),派给了自己的孩子们。
最近发现了很多资料,是一些鸥外给孩子们的带漫画的信件等物,以“致孩子们”这样开头的也有。据说是次女、随感作家小堀杏奴的遗物。
“一靠上父亲的背,就能闻到父亲的粗脖子上那熟悉的雪茄和头皮屑的混合味儿”。杏奴在《父亲的晚年》(岩波书店)中这么记载着她的回忆。“父亲叫我‘杏奴、杏奴’,并且,或许是出于爱称的意思吧,还特意在杏奴后面加上一个‘子’,‘杏奴子’‘杏奴子’的叫着逗我”。
长女茉莉这么写道,“父亲对我的爱以及对其他姐妹们的爱都极其深厚,并表现得淋漓尽致,几乎是异乎寻常的”(《父亲的帽子》讲谈社文艺文库)。回想起鸥外的脸,不管在何种情况下都“没有不愉快的影子。从不以小人之心来揣度别人”。
位于东京都文京区的鸥外的旧址,现已成为鸥外纪念本乡图书馆。现正在举办“鸥外与漱石的来往信件所展示的两大文豪交流展”(12月15日止)。其中有据说是鸥外手制的和式线装书。那是将杂志上所刊载的漱石的作品剪下来,装订后给孩子们看的。
杏奴的遗物中有手制的教科书。她回想起鸥外的手“很大,骨骼粗壮”。这样一双手所作成的精细的“作品”中似乎也蕴涵着作为父亲·林太郎的心思与愿望。
オト、マリ、フリツ、アンヌ、ルイ。この欧風の名が、森鴎外の家では於菟、茉莉、不律、杏奴、類となって、子どもたちに付けられた。
「コドモミナニ」。こんなくだりも見える、鴎外から子らへの絵手紙など、多くの資料がみつかった。次女で随想家の小堀杏奴の遺品だという。
「父の背中に寄りかかっていると、父の太い首筋に葉巻と雲脂(ふけ)のまじった懐しい匂いがする」。杏奴は『晩年の父』(岩波文庫)に、思い出を記している。「父は私を『アンヌ、アンヌ』と呼んだ。そして愛称の意味もあるのか、アンヌにわざと『コ』を付けて、『アンヌコ、ヌコヌコや』などといってふざけた」
長女の茉莉は、こう書いた。「父の愛は私に対しても他のきょうだいに対しても、素晴しく、その表現は完全以上であり、殆ど常識の外れたものであった」(『父の帽子』講談社文芸文庫)。鴎外の、どんな場合の顔を思い出しても「不愉快な影がない。浅ましい人間の心が覗(のぞ)いていた事がない」
東京都文京区の鴎外の旧居跡は、区立鴎外記念本郷図書館になっている。「鴎外と漱石-書簡からみた明治の二大文豪の交流」展が開かれている(12月15日まで)。鴎外の手製といわれる和綴(わと)じ本があった。雑誌に載った漱石の作品のページを切り取って綴じ、子どもたちに与えたという。
杏奴の遺品の方には手製の教科書があった。彼女は、鴎外の手を「大きい、骨ばった」と回想している。その手でなしたこまやかな「作品」には、父親・林太郎の思いと願いが込められているようだった。