那一天,肯定有很多人观看了世界杯排球赛女子组最后一天比赛的电视转播。日本战胜韩国获得了冠军,大概有的家庭内会兴奋地议论,自豪地谈到还是日本厉害吧。
说得是1977年11月15日的事。这一天,建设省派出机构对审计院的宴会攻势在国会上被追究。汇率方面创下了1美元对245日元的最高记录。连续的好天气使菜价暴跌,菜农们怨声连连。对于音乐迷说,关注的焦点或许要数卡拉扬率领柏林管弦乐乐团来日访问了。大街上播放着歌曲《津轻海峡冬景色》。
那天上午8点过一点,母亲横田早纪对女儿说“穿上大衣吧”,上初中1年级的惠子有些点犹豫不决,但还是对母亲说了声“不用了,今天……。我去了。”就出门了。那天新泻市的最低气温是7.6度。
一如既往的一个早晨。时间缓缓流过,这一天或许就这样地被慢慢地遗忘了。但是,惠子却一去就再也没有回家。这一天竟成了欲忘而不能的一天。不仅如此,对于横田一家来说,大概是一种从那时起时间就停止了的心境吧。
27年后的15日,结束了与北朝鲜的实务者协议后的日本政府代表团带着绑架受害者的相关资料的回国了。其中也包括被认定是惠子的遗骨。虽然内心希望这是一个错误,然而还是让人痛感,这是多么严酷的一天。
被绑架后的那些凝固了的岁月是再也无法挽回的了。但是尚能挽回的人和物是一定要挽回的。
その日、ワールドカップバレーボール大会女子最終日をテレビ観戦した人も多かったのではないか。日本が韓国に勝って優勝し、やはり日本は強かった、と弾む会話をした家族もいるだろう。
1977年11月15日のことである。国会では、建設省出先機関の会計検査院への宴会ぜめが追及されていた。円は1ドル245円の最高値を記録した。好天つづきで野菜が暴落、農家は嘆きの声をあげていた。音楽ファンには、ベルリンフィルを率いてのカラヤン来日が関心の的だったかもしれない。街には「津軽海峡・冬景色」が流れていた。
その日午前8時すぎ、「コートを着ていったら」と声をかけた母の横田早紀江さんに、少し迷いながらも中学1年のめぐみさんは「もういいわ、今日は……。行ってきまーす」と出ていった。新潟市の最低気温は7・6度だった。
いつものような朝だった。なだらかに時は流れ、そのまま忘れ去られてしまうかもしれない一日だった。しかし、めぐみさんは帰ってこなかった。忘れようにも忘れられない一日になってしまった。それどころか横田さん一家にとっては、以来、時間が止まった。そんな心境だろう。
27年後の15日、北朝鮮との実務者協議を終えた日本政府代表団が拉致被害者に関する資料を携えて帰国した。めぐみさんの遺骨とされるものも含まれる。間違いであることを念じつつ、それにしても何と酷薄な一日か、との思いが強い。
拉致以来の凍結した歳月を取り戻すことはできない。しかしなお取り戻すことのできる人やものは取り戻さねば。