一位美貌女子,受到两个男子的追求而芳心归属难定,结果选择了死——。这便是南北朝时代观阿弥所作的谣曲《求塚》的主题。
文化审议会在史迹认定的申报中就含有流传着为《求塚》原型之凄惨故事的神户市西求女塚古墓的内容。传说,由于有两个男子在追求那女子,所以以女子墓居中,共筑有三座坟墓。
该古墓所在地带也曾受灾于阪神大地震。被迫停止了去西宫的大学上班的脚步的大森亮尚先生,曾走过很长的路程。据说每当走累了,只要站在古墓前稍事休息,就会不可思议地从脚底涌出一股力量。千百年来,古墓目送过的行人何止千万。“我……也不过是走在历史之中的一人而已。然而,就在那一瞬间,那已往的一个个过客的积淀便构成了古墓‘生’之历史的明证”(《阪神间的文学》和泉书院)。
在名胜认定的申报中还有“依哈多布的风景地”。是指宫泽贤治的作品源泉的岩手县的6处自然景观。贤治作为“依哈多布童话”出版的《一要求特别多的餐厅》的广告传单仍在。“依哈多布是一个地名……在那里什么事情都可能发生……只要是罪恶、悲惨就会在那里清新闪光”。
面对“名胜”这样的待遇,或许贤治也将苦笑不已。然而尊重自然以及风景,与“依哈多布”的宗旨也是相符合的吧。
能够静静地与悠久的历史以及自然对话的场所,也将是送给遥远未来的礼物。
ふたりの男性に求愛された美しい女性が、心を決めかねて死を選ぶ――。南北朝時代の観阿弥作とされる謡曲「求塚(もとめづか)」の主題だ。
文化審議会が史跡への指定を答申した中に「求塚」の元になった悲話(ひわ)が伝わる神戸市の西求女塚(にしもとめづか)古墳が含まれていた。男性ふたりも女性の後を追ったため、女性の墓を中にして三つの墓が築かれたとの伝説がある。
この古墳の一帯も阪神大震災に襲われた。西宮の大学への通勤の足を奪われた大森亮尚(おおもりあきひさ)さんは、長い距離を歩いた。歩行が難渋(なんじゅう)した折、古墳の前に佇(たたず)んでしばし憩(いこ)うと、不思議と足に力が湧(わ)いたという。築かれて千数百年、古墳は何百万もの旅人を見送ってきたのだろう。「私も……歴史の中を歩み続けてきた旅人の一人に過ぎない。が、その一瞬、そのひとりひとりの積み重ねが、古墳の『生』の歴史の証となってきたのだ」(『阪神間の文学』和泉書院)
名勝への指定が答申された方には「イーハトーブの風景地」がある。宮沢賢治(みやざわけんじ)の作品の源泉をなす岩手県の6カ所の自然景観という。賢治が「イーハトヴ童話」として出版した『注文の多い料理店』の広告用チラシがある。「イーハトヴは一つの地名である……そこでは、あらゆる事が可能である……罪や、かなしみでさへそこでは聖(きよ)くきれいにかゞやいてゐる」
「名勝」という扱いには、賢治も苦笑するかも知れない。しかし、自然や風景を大事に扱うのは「イーハトヴ」の思いにもかなうことだろう。
悠久の歴史や自然と静かに対話のできる場は、はるかな未来への贈り物でもある。