作为对灾区的慰问或可谓别出心裁。新泻出生的作家新井满先生送给遭受地震之灾的故乡的人们不是援助金,而是一千支康乃馨。
我由此想起了阪神大地震时的一些见闻。我的一个朋友带着所能买到的瓶装水还有郁金香深入灾区现场。接过瓶装水的灾民仿佛都无动于衷。但看到了郁金香就立刻为之动容。有人微笑盈盈、有人热泪长流,万种情态,不一而足。
新井先生说,“那是生命的感召”。人们想到已经死去的人们和存活下来的自己,有的人恐怕就会沉沦下去,从此一蹶不振。而在这时“看到那盛开着的小生命就会镇静下来。生之希望也许就会重新涌现。如果能促成别人有这样的转机,真是莫大的欣慰”。
新井先生在上高三的时候曾经历过新泻地震。教室中红白粉笔空中乱飞,无数的玻璃碎片犹如雨注,校舍横遭破坏。近旁架设在信浓川上的昭和大桥也塌落波心。自己家里也墙坍壁倒,一片狼藉。那经历“无论何时也不愿回忆”。
考入大学不久他就身患重病,徘徊于生死边缘。“那是晚到的地震后遗症”。以一个受灾者的切身体会,他对这次地震也感到“今后很够呛。今后紧张的心情会缓解,社会的关心也淡化的”。
他赠送的康乃馨是北海道七饭町所培植的。培植这些花的农家遭受了18号台风的侵害,刚刚重振家业。所以他的行为之中也包含着要将两处灾区连结在一起的心意。
被災地へのお見舞いとしては異色かもしれない。新潟県出身の作家新井満さんが地震に襲われた故郷の人たちに、義援金とは別にカーネーション千本を贈った。
阪神大震災のときの見聞から思いついた。知人が、買えるだけのペットボトルの水とともにチューリップを携えて現地入りした。水を受け取る被災者はどちらかといえば無表情だった。チューリップを見ると表情が変わった。ほほえむ人、涙を流す人、いろいろだったという。
「いのち、ということだと思うのです」と新井さんは言う。犠牲になった人々のことや生き延びた自分のことを皆考えている。落ち込んでいる人もいるだろう。そんなとき「けなげに咲いている小さないのちを見てはっとする。生きる希望が新たにわいてくるかもしれない。そうしたきっかけになってくれれば嬉(うれ)しい」
新井さんは高校3年のとき新潟地震を経験した。教室では赤白のチョークが宙を飛び、無数のガラス片が降り注ぎ、校舎は壊れた。信濃川にかかる近くの昭和大橋も崩落した。自宅も全壊だった。「いまも思い出したくない」経験だ。
大学に入ってすぐ、大病を患い生死の境をさまよった。「遅れてやってきた地震の後遺症だと思う」。被災者としての経験から、こんどの地震についても「これからが大変だと思う。緊張が緩み、世の中の関心も薄れていくこれからです」
贈ったカーネーションは北海道の七飯(ななえ)町で栽培された。栽培農家は台風18号で被害を受け、ようやく立ち直ったところだ。二つの被災地を結ぶ思いも込められる。